第79話・新宮の虎。
「堀内がこちらに向かって来ておるようです」
「ほう・・」
湯から上がってまだ薄明るい空に輝く三日月を眺めて一献傾けたところだった。連れは遠勝と杉吉だけだ。女衆は湯を使っている。
そう告げたのは保豊の配下の者だが、知らせをもたらしたのは、新宮に潜入している山中忍びの者だ。
「今朝、各地から将兵が新宮城に駆けつけて来ました。「山中殿に会いに行く」と告げて新宮城を経ったのは未の刻(13時)、六十騎と徒四十が早足で北山川沿いを北上しております」
「装備は?」
「刀槍に弓、鎧はつけておりませぬ」
「そうか、ご苦労だったな。また頼む」
「はっ」
「どう思うな?」
「大将に会いに百の兵で急行する・・一応話は合っていますな・・」
「新宮城にも兵はおります。それなのに各地から将兵を集めたと言う事は、選りすぐりの精兵を集めたと言う事です。山中の兵は分散し、寛いでいる大将を精兵で一気に襲うと言う目論見かも知れませぬな」
遠勝が言うと、杉吉が応える。ちなみにもう一人の斥候隊頭の保豊は南の道整備隊の警戒の任に付いている。
ちなみに俺は杉吉の言葉で桶狭間の戦いを思い出して、首筋がひやっとした。今川義元も大軍で余裕かましているところを、少数の織田軍の突入で討たれたのだ。
「堀内の兵は約二千だ。水軍の兵を引いたとしても新宮に引き込めば、自軍が多数で有利に闘える筈だが、なぜ少数で出てくるな?」
「そこですな。堀内氏虎は一代で勢力を広げて、熊野まで領地を広げた豪の者だ。自軍の兵力に自信を持っている筈だが・・・」
「国人衆の動揺で兵を集められないとみたか。各地に守兵を置けば集められる兵数は案外少ないとの報告もあります。いずれにせよ精鋭部隊だけで大将を討ち取る自信があるとも言えるな」
「ふむ、逆に大将が堀内ならやりかねぬ策で御座いますな」
「しかり、何とはなく某、既視感を感じます」
うん、するかも知れん。いや、しないだろう・・たぶん
「殿が討ち取られるなどと縁起でもない。妾と殿で百兵ぐらい蹴散らしまする」
湯浴みを終えた百合葉らに話を聞かれたようだ。
「左様、大将のお傍に巴御前様がいる事は堀内殿も知りますまいな」
「まさに、それならば堀内の野望もそこで潰えますな」
って、杉吉と遠勝も百合葉を煽る。
「もし、武運拙く殿がお討死されるようなことになれば、妾が鬼となって蘇り堀内めを八つ裂きにします」
「その時には、それがしも魔物となって従いますぞ」
「ならば拙者は、雷神の弟子となって稲妻をおとしまする」
鬼と魔物・雷神か、なんか話が変な方向に進んでいるな。
・・うむ、我々に旅の浮かれや兵が多数の余裕があるとすれば、それは拙いな。
”堀内の使者が来ます!”
すぐに騎乗の武士が五名来るのが見えた。忍びの報告通り、背に弓を背負った軽装備だ。槍は最後の者が纏めて持っている。使者の態勢を慮ったのだろう。
「大将、ここは某が」
「うむ」
腹案がありそうな遠勝に、ここは任すことにした。
すっと縁側に立った遠勝。使者は門の手前で馬を下り、案内されて屋敷内に入り、縁側の遠勝を見て膝を着いた。
「某は、堀内氏虎が家臣・水野直茂で御座る。この度の山中殿の参詣道整備のお礼を言上するために、殿はこちら向かっております。今宵は本宮大社の宿坊に入り、明朝にもご挨拶致したいとの仰せで御座ります」
縁側に伏した三人のうち、先頭の武士が口上を言う。他の二人は辺りを見回している。門前に残った二人もそうだ。こいつらは使者と言うより斥候の役目だろうな。
宿舎の門前にいる護衛は百兵だ。彼らは、警護は百兵のみとみるだろう。実際には裏を百兵が固め、屋敷内には五十の斥候隊がいる。
「相分った。いつでも参られよと堀内殿に伝えられよ。水野殿、使者のお役目、ご苦労であったな」
「ははっ」
うん、遠勝は風格があってどう見てもお殿様だな。名乗りもしないのに水野が勝手に勘違いするのも納得だな。
使者が去ってから半刻たらずで、堀内一行が北山川沿いを通過していったようだ。そこは那智大社に向かう参詣道の入り口で、参詣道整備の山中隊の一部が駐屯しているのですぐに解る。ここから北東に半里も無い近場だ。
那智大社参詣道整備の部隊は、その請川に二百、四里程入った小和瀬に二百、その近くの小口に三百が宿泊地としている。
ついに新宮の虎が来たのだ。ここで我らの気の緩みを引き締めておこう。
「皆に伝えよ。我らに呑気な湯治旅の緩みが出ていれば、それを堀内という新宮の虎が突くだろろう。今一度皆の気を引き締めて事に当たるように」
「はっ」
堀内隊が我らを襲うとすれば、夜襲か朝駆けか、或いはお礼言上に来てから豹変するかだ。相手がどのような動きをして来ようとも、鍛え抜かれた斥候隊や護衛兵に抜かりが無ければ不安はない。
来るなら来い。相手がその気なら逆に好都合というものだ。一気に片を付けてやる。
「これは別当殿、また急な御来宮で」
本宮大社の宮司が不安な目で出迎えてきた。
「うむ、参詣道整備のお礼を山中殿に言おうと思ってな」
「さようで・・」
と、儂らの格好を見回す。確かにお礼に伺う格好ではないし、手土産も無い。そんな物を持てば移動に時間が掛かってしまう。
「急いで来たので何も持たずだ。何か適当な物は無いか」
「ならば、酒など見繕いましょう」
「頼む」
兵は宿舎に入れて休ませている。新宮から駆け続けで来たのだ。充分に休ませないと働けぬ。
山中は川湯か・・
湯の峰ならば、狭い地形で護衛の兵は少ししか入れられぬのだがな、
だが騎馬で突撃するのには、広い川湯の方が良いな。山中の宿舎の前には百ほどの兵がいるのみと聞いた。それならば蹴散らして一気に雪崩れ込める。
だが、川湯入り口の請川に街道整備の兵がいたな。宿泊地としていて二百兵ほどはいるという。見張りは厳重で隙は無かった、彼らに見つからずに行くのは無理だな。
ならば山を越えて、川湯を背後から襲うか・・
道に詳しい者に案内させて夜駆けか、だが背後にも必ず見張りはおるだろうな。見つかれば狭い山中では逆に状況は悪化するな。
うむ。いっそ正々堂々と正面から行ったほうが勝算は高いかも知れぬ・・・
「気持ちはお決まりですか」
「おう、いたのか」
傍に春宗が居るのに気付かなんだわ。
「さっきから居ましたよ。山中を討つおつもりですな」
「うむ、討てるかどうかは解らぬがな・・」
「まずは討てませぬ、討てたとしても我らも生還は出来ませぬ」
「総大将を討てば、お家は終わりだ。兵は四散するのではないか?」
「いいえ、跡を継ぐ者はいます。ならば兵は諦めませぬ」
「山中は成り上がり者だ。兵とそれ程の絆があろうか?」
「山中の兵は一人一人が望んでなった志願兵と言えば信じますか?」
「いや、将はともかく兵は徴集して集めたのだろう?」
それから春宗に山中隊の事を諄々と説明された。どれも信じがたい話だが真なのだろう。
万を越える兵力を有していても、宇智郡や桑名湊を攻略したのは三百ほどの兵だという。だが今回は街道整備の為に千を超える兵がいる。さらに総大将とその警護の兵もいる。おそらくその部隊は山中家最強の部隊だろう。
この時点では堀内に万に一も勝ち目が無いという。そして儂が突撃してくる事など当然、見破られているだろうと。
それならば、不意を突いて窮地に追い込まれるよりは、真っ向から勝負を挑んでは如何かと申すのだ。実戦形式の調練ならば、負けても死ぬことは無いと。
「真っ向から勝負を挑むか」
それは武士として甘美な言葉だった。
「はい、桑名湊を攻略した笠置の有市は、圧倒的な力で侵攻してくる山中隊に僅かな手勢で挑んだと聞きます。散々に敗れて臣従しましたが、今では重臣として手腕を発揮しております」
「ふむ、勝てばどうなる?」
「それは、武士として最高の誉れになります。また殿の方が強いと解れば、進退を決めかねている国人衆も殿に従い、山中を押し返す事が出来るやも知れませぬ」
「解った、そう致そう。もしこの部隊で負ければそれで諦めも着く。今いる将兵は堀内の最強の者達だからな」
「御意!」
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