第75話・北勢の勢力と桑名湊。
二日後に、北村大隊長が兵一千と内政や普請方の大勢の役人や女衆を連れて到着した。入れ替わりに騎馬隊二百五十は多聞城に戻した。即応力のある騎馬隊は本城に置いておかなければならない。
「有市、こたびはご苦労であった。褒美として其方を中隊長に任じる」
「はっ、有難き幸せ」
「それに関城の佐藤勝造を小隊長に、鹿伏兎長源を兵長に任じて佐藤の下に付けた」
「相分りました」
大隊長の連れて来た女衆は、殆どが笠置の者たちだ。城内を取り仕切るのは、信頼出来る者たちでないと安心出来ないのだ。関城にも既に女衆を何人か置いて来ている。
役人らは早速動き始めて、城内の蔵の調査や人別帳の作製・検地・商家や職人らの把握と新兵の募集や役人の雇用などを始めた。
兵は領内の治安のための巡回と道の整備や丘陵の造成を始めた。ここ亀山は山中家の東の拠点となる。数千が暮らす駐屯地が必要なのだ。
「拙者・朝倉市之丞で御座る」
「南部弾正で御座る」
「富永光明で御座る」
亀山の隣である朝明(あさけ)郡の代表が訪れて来たのは翌日だ。三名の他にも四名の計七名が朝明郡を統治している。
「戦うか臣従か」の言葉を乱派衆が流した後の一千の兵の到着は、国人衆に威圧を与え、居ても立ってもいられなくなったとみえる。
「山中軍総隊長の北村新介孝智である」
「我らが統治する朝明郡十ヶ所は、山中殿に臣従致しまする」
「相分った。だが、山中家は領地を一括管理する。各々兵と共に帳簿方に名を記されよ」
「な・なんと」
「山中は道を広げ、商いを伸ばし、新田開墾や産業育成をして国を豊かにする。それは小領地単位では行えないのだ。故に国として兵を持ち、調練して普段から国の仕事を行なう」
一同に衝撃が走った。切羽詰まって臣従したからといって、今までの領地を安堵などしない。小領主が群雄割拠している状態では統治も何も無いのだ。唯一鹿伏兎は例外だ。大隊長が領地を安堵してきている。
「それでは話が違う!」と、一人・二人といきり立った。だが動ぜずに冷静な者もいる。
「ぐぬぬぬ」
「それでは、先祖に申し訳が立たぬ・・」
「伝統あるわが疋田家が、一兵卒に戻るのか・・」
「それは違う。今の兵はそのまま配下になろう。また力があればその数倍・数十倍の兵を指揮する将になれよう。だが無理にとは言わぬ。不服のある者は戻って戦支度をするが良い」
「兵はそのままか、だが領地は無くなる。兵は国が喰わしてくれるのか?」
「そうだ。国が兵の面倒も民の面倒も見て呉れる。また、戦だけでなく算用や書・普請・外交・内政・物作りなど得意な職に就くことが出来る。国というものは実に様々な仕事があるのだ」
殆どの者は逡巡している。だが始終冷静な者が二人いる、富永と南部だ。
その二人がすっと立ち上がった。
「知りたい話は伺いました。某は帳簿方に参り記帳します」
「某も参る。皆の者はどうされるな? 戻って戦支度して滅ぶのも武家らしくて良いとは思うがの」
富永の問い掛けに、数人が慌てて付いていった。残された二人も、
「ええい、ここは負けておこう」と捨て台詞を残して後を追った。
「ふむ、朝明郡の富永と南部は中々の者だな」
「はい、ちょっと驚きました」
領地を失うと言うのは、武家に取っては実に耐えがたい事なのだ。過日、某もそれに耐えきれずに、戦って死のうと思って大隊長の部隊に挑んだのだ。
結果は惨敗であったが、それで吹っ切れて今がある。
「どれ程の勢力か?」
「富永・南部がおよそ百兵、他の五人が五十兵と言ったところです」
「朝明郡合計で四百五十か、なるほど関と同程度の勢力だな。その他は?」
「朝明郡の北の菰野には千種氏が統治する二百の兵。東には桑名湊の年寄り衆が支配する桑名郡の二百、その北の員弁(いなべ)郡は梅戸氏が率いる一揆衆が五百と言うところです」
「ふむ、残りの三郡で九百か。だが桑名湊は面倒だと大将に聞いておる」
「そのようです。堺のように、どの勢力にも属さない事を誇りにしております」
「ならば、全てを灰燼にして作り直そうか」
「某もそれを考えて御座りました。ですが、それでは勿体ないと思い至りました」
「さては、悪どい事を考えておるの」
「大将の薫陶を受けておりますれば、それ程では御座りませぬ」
「ふふふ」
桑名湊を仕切る年寄り衆の集まり場
十人の旦那衆が輪になって相談している。
皆、恰幅の良い見るからに裕福そうな大店の主の雰囲気が滲み出ている。
その中で平身低頭で穴があったら入りたいという仕草を出しているのが今回の騒動の元となった米問屋の伊勢屋勘佐衛門である。
「しかし、伊勢屋はんも早まったことをしはったな」
「申し訳おません。大和屋の買い叩きにうちに来る米が減りましたもので・・」
「わかりますえ。大和屋の売る道具はうちの品より良くて、あても歯がみしましたさかいに・」
「ほうじゃ、その上に評判の短弓もある。あの大和弓は三河でよう売れておる。だがあれは大和屋の専売で、儂らが望んでも手に入らぬ」
道具屋の上州屋と武具を扱う伏見屋も伊勢屋に同情を寄せる。
「しかし、商いの仇は商いでとらなあきまへん。賊をけしかけるなぞ商人のする事ではおまへん」
「そうや、おまけに人足を殺して小僧を浚うなどもはや商人ではおまへんな」
一方で旅籠屋の山城屋と播磨屋は伊勢屋を非難する。これに数人の旦那が頷いている。
「わしは、単なる嫌がらせのつもりどしたのや・・」
「それが頼んだ侍が欲を掻いたという事ですかな」
「伊勢屋さんは、単なる嫌がらせに百貫文もの銭を使いますのか?」
「なまじ大金を出すさかいに、侍どもが欲を掻いたの違いますか?」
「そや、一人百文ぐらいで破落戸を雇えばよかったのや」
桑名を代表する年寄り衆とは言え、裏では平気で薄暗いこともする者が多い。それ故に、伊勢屋の失敗をあまり強く言えないのだ。
「ともかく、山中は相当に怒っているようですからの」
「まさか威勢を誇ったあの関が、たった半日で滅亡するとは思いませなんだ」
「さようです。山中は桑名を焼き尽くすという噂が広がり、町衆の中には逃げ出す者もおりま」
「うちの近所でも三軒ばかりは逃げ出しておます」
「困ったものじゃ・・」
「もはや起こってしまった事は、元に戻せぬが道理。肝心なのは、我らはこれからどうするかですな」
年寄り衆筆頭の東海屋清左衛門である。廻船問屋に問屋場・旅籠に金貸と手広く商いをして、裏では桑名の闇を仕切っているとも言われている。
「こうなれば・・」と、皆の目が伊勢屋に向けられた。
「ちょ・ちょっと待ってくだされ、わてを人身御供しようと言う算段でっか。そんな無体な・・」
「何が無体ですのや。このままでは桑名湊は焼かれて終わるのですぞ。その原因を作った伊勢屋さんが責を負うのは当然ですぞ」
「ほな、伊勢屋さんの身柄と財産を山中に差し出して治めましょうかな?」
東海屋の言葉に皆が黙って頷いた。伊勢屋の顔が蒼白となり、そんな伊勢屋に向けられる目に同情の色は無かった。
そこへ血相を変えた町役人が駆け込んで来た。
「大変です。町の入り口に、六人の死体と立て札が掲げられています」
「それで、立て札には何と書いてありますか?」
「この者らは、商人の一行を襲い人足を殺して荷を奪い小僧を浚った賊である。賊は関家の侍と判明したゆえに、関家には既に責めを負わした。
次に責めを負わすのは、賊に依頼した桑名湊の年寄り衆だ。近々に馳走致すゆえにお待ちあれ。山中隊隊長 有道六郎、です」
「なんと・・・」
「伊勢屋では無くて、桑名湊の年寄り衆と書いてあったのか?」
「さようです。伊勢屋の名は何処にもありませなんだ」
「関家を滅ぼした電光石火の兵が桑名湊も滅ぼそうとしているのか・・・」
「町を守る兵は、どれ程集められますな?」
「はい、桑名湊の兵二百に員弁郡からは三百ほどは集められましょう」
東海屋の問いに、年寄り衆の一人が答える。
「員弁郡の梅戸は承知したかの?」
「へえ、梅戸には一千貫文ほどの借財がありますので、嫌とは言わせません」
「総勢五百ですか、それで何とかなりましょうか?」
「数の上では。関もせいぜい四百ほどの兵でしたので」
「待ちなはれ東海屋さん、わては降りますよ。商人が武家と戦なぞ出来ませぬぞ」
「しかし山城屋さん、放っておけば桑名湊は灰燼に帰すのですぞ」
「なら逃げますえ、命あっての物種どす」
「うちも同じだす」
「ほならわてらはこれで失礼しますよ」
どうやら三人程が山城屋と同意見らしい。山城屋・播磨屋・多賀屋・伏見屋が席を立って出て行った。
「伊勢屋さん、あんたはあきまへん」
山城屋らに混じってそっと外に出ようとした伊勢屋は、控えていた東海屋の用心棒によって捕えられた。
「殺生な、山中に突き出されたら間違い無く殺されますがな・・」
伊勢屋は恥も外聞もなく泣いていた。
「何を言ってはる、あんたがひき起こした事や、責めを負わねばなりません。店の有り金と共に店の者を数珠繋ぎにして山中へ引き渡す。ひょっとしたらそれで納めて貰えるかも知れまへんでな、皆の衆、宜しいな」
皆は無言で肯定した。用心棒が泣き叫ぶ伊勢屋を別室に連れてゆく。
(ふむ、年寄り衆は二つに割れたな。伊勢屋は人身御供で、山城屋・播磨屋・多賀屋・伏見屋は逃げ出すと決めたか・・)
その一部始終は、当然、床下に潜んだ山中忍びの者に聞かれていた。
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