第72話・鈴鹿の動乱。


永禄三年八月 多門城


「うはっはっは、さすがに十市はやりおるのう」

「へえ、十市殿は肝が据わってござる。他の武将ではこうはいきますまい」


「お蔭で紀見峠まで領地が増え、海に一歩近づいたわ」

「石高にして約1万三千石が、あっという間に増えましたな」


 高野山からは今回の騒動のお詫びとして、紀ノ川右岸の飛び地・約三千石を譲られたのだ。勿論奪い取った国城・向副城・赤塚城もそのままだ。既に紀見峠下に領地を持つ牲川氏は密かに臣従を誓っていた。


「豪儀なものだな。法用に居た頃は三百石で汲々しておったのにな」

「へえ、わしなんぞ百八十石で威張っておりました」

「しかし、十市は得難き人物だな」

「内政よし、軍も見事に率いて性格も大らか、それに男前。わしなんぞ勝っているところが一つも御座らぬわい」


「いっそ大和を十市に任して、奥吉野にでも引き篭もろうか。いやさすがに奥吉野では不便だな、和歌の浦なら良かろうか」

「た・大将、本気でっか?」

「ふふ、どうかな」



 その時、多聞城に早馬が走り込んできた。


「大和街道・鹿伏兎(かぶと)で大和屋の荷駄が襲われました。人夫数人が殺されて荷は奪われ、同行していた四日市店の丁稚が浚われたようです」


 知らせを受けた法用砦の城代・庄佐衛門さんが兵五十を急行させ、その上で俺に後援を頼んできたのだ。

つまり庄佐衛門さんは事態を重くみたのだ。丁稚が荷と共に浚われたと言う事が疑念をもたらしている。例えば、最近羽振りの良い大和屋から人質を取って銭を引き出そうと考えたか、或いは商いで負けそうな店の嫌がらせか。

いずれにしてもこのまま放置しておくことは出来ない。商いは山中家の根底を為すものだ。


「保豊、馬ですぐに向かって状況を把握してくれ」

「はっ!」

「有市は二百五十を率いて向かえ。賊の背後関係を明らかにして、今後のために適当な拠点を確保せよ」

「お任せを」


 大和街道は、鹿伏兎の先・関で東海道に合流する。関からは東海道・亀山を経て鈴鹿・四日市・桑名に到る。大和の産物を東海や関東に運ぶ重要なルートだ。だが北勢のその一帯はややこしい所なのだ。


 位置的には伊勢(北畠)か伊賀(惣国)の領域だ。だが関宿の手前・近江(六角)と桑名宿の先の長島(本願寺)の影響も強い。その先の宮宿・熱田(織田)の影響もありながら、北勢四十八家と呼ばれる国人衆が群雄割拠している地域なのである。

 畿内東海の重要な地でありながら、多勢力の狭間で山賊・盗賊が闊歩しているエリアだ。

尚且つ殆どの賊たちは、何処かの国人衆と繋がる、いや国人衆が盗賊を運営していると言っても過言では無い。商いのためには、いつまでも放置しておける状況では無い。


さらに今月に近江で起こった戦闘が影響している。北近江で勢力を伸ばして来た浅井が旧主六角と闘い打ち破った野良田の戦いが起こったのだ。

絶大な力を誇った六角に陰りが見え、各勢力の狭間であったこの地域のバランスが崩れて揺らいでいるのだ。

ここに山中の楔を打ち込んでおく好機だ。法用砦の庄佐衛門さんもそう考えたのだろう。




 大和街道・鹿伏兎 鹿伏兎長源


街道で商人の荷駄が襲われた。抗った人夫の内、二人が殺されて荷が奪われ小僧が浚われた。残った二人も負傷していて、軽い怪我の一人は他の店に知らせに走ったようだ。

 商人が襲われることは、この辺り・特に鈴鹿峠周辺では日常茶飯事だ。我らも良い獲物を見つけると襲う事はある。この辺りの国人衆は皆そうだ。それが街道を整備する役得だとの認識だ。


 だが、この商人らは他の者らとはちょっと違っていた。人夫も雇いでなく自前で、弓矢で武装している屈強な男達だ。

見ていた者によると、人夫四人が八名ほどの賊と激しく切り結んで、賊の方にも結構犠牲が出ているようだ。賊の逃げた後、地面に点々と血が落ちているのが何よりの証拠だ。


傷付いた人夫を館内に入れて手当をした。死んだ者も運び入れて清めた。なに、後でたっぷりと店から手間賃を貰う。我らに損は無い。


「お主らは何者だ?」

「南山城・木津に本店のある大和屋で」


「荷は何だった、そして何処に行く途中だ?」

「荷は鋤三百本に篭二百個、畚百あとは大和弓に矢が少々でさあ。大和東里の法用村から四日市と桑名の店に行くところで」


「ふむ、大和屋とは武器も扱う道具屋か。小僧が浚われたと言ったな、その小僧は浚う値打ちのある良いところの倅か?」

「とんでもねえ。あっしと同じ百姓の倅で」


「もう一人の者が知らせに走ったと言ったな。何処まで行ったな?」

「へえ、上野広小路の店で、もうしばらくすると引き取りに来ると思いやす」


「ならば待とうか」



運んでいた荷は高価な物では無いし、女を伴っていたわけでは無い。賊の狙いは何だったのだ。それにこの屈強な人夫は何のためだ?


「源二、賊は何が狙いだったのかのう」

「へえ、商売相手の嫌がらせか、或いは身代金目当てか、おそらくはその両方で。・・ですが大和屋はなんとか、という噂を聞いたことがあるような、無いような・・」


 源二は鹿伏兎家の抱える忍頭だ。配下に十名程の忍びがいて、我らの賊働きは主に彼らが担当している。いわば鹿伏兎家御用達の山賊だ。源二は、隣の間で待機して応答している。忍びの者はあまり他人に顔を晒したくないのだ。


「どんな噂だ?」

「それが、ここまで出かかって止まっているので・・」


 源二も還暦近い歳だ。そろそろ倅の源蔵に代替わりをして貰いたいものだと思った。だが、源二が思い出せない事はすぐに分った。


「と・殿、 へ・へいが大勢の兵が・・」


門番が腰を抜かしそうになって叫んでいる、兵がどうしたのだと聞く間も無かった。


「ドッドッドッドッド」と、凄まじい土埃と共に騎馬の列が門を突破して屋敷の中に入り込んできた。

入りきらない騎馬は門前の道を埋めている。


 あっという間の事で、儂も腰を抜かしそうになった。何百という騎馬隊が屋敷も前の道も埋め尽くしたのだ。これ程の数の騎馬隊を儂は見た事が無かった。


「山中隊小隊長・有市六郎だ。鹿伏兎殿とお見受けする。まず聞こう大和屋の荷駄を襲ったのは其方の指図か」


 おう、この騎馬隊は、あっという間に大和を制圧した山中の兵か!、電光石火の侵略、恐るべき軍だという噂は本当だったな。


「とんでも御座らぬ。我が領内で起った事には間違い御座らぬが、こうして遺体を引き取り、残った者の手当をしておる」


「ふむ、それは忝い。だがそれだけでは襲っていない事の証にはならぬ。事が明らかになるまでこの屋敷を借用する。良いか!」


 無茶苦茶だが、有市某は怒りを露わにしている。良いも悪いもないな、逆らえば屋敷ごと破壊されそうだ。


「なんと無茶な・・源二何とかならぬか」

「あきまへん、こちらもご同様に取り囲まれていま。あっ、今思い出しましたが大和屋は山中家の御用達という噂があり、手を出さんほうが宜して・・」


「遅いわ!」


 やっぱ源二は隠居して貰おう。



 有市に命じられて配下を総動員して賊の行方を追った。

山中の騎馬隊は調練場に入り息を潜めている。負傷した人夫は遺体と共に南都に戻っていった。

彼らと一緒に来た忍びの者が配下と同行し、或いは単独で動いている。全数は把握出来ぬが、相当な人数がいるようだ。


 屋敷には次々と情報が入る。それを山中隊の者らと共に聞く。大和屋の荷物は、山積みした二台の荷駄だ。かなり目立つ、あちこちで目撃されていた。


”荷駄が山に向かっているのを見ている者がいる”

”山道を轍が東に向かっています”

”関領でまた大和街道に出た模様”

”それらしき荷駄が東海道を鈴鹿の方に行くのを茶屋の婆様が見ています”


「賊はどうやらひと目を避けて一旦山に入り、再び街道に出て鈴鹿峠の方に向かっている。計画的だと見て良いな」

「しかり。これで我らが関与していないことがお分かり頂けたろう」


「まだです。この辺りの賊には後で手を引く者がいる。そうですな」

「・・たしかに」

「それを探らなければ何とも言えぬ。もしかしたら鹿伏兎殿かも知れぬ」

「我らならばこんなに回りくどいことをせぬ・・」


 たまにはただの賊もいるが、そんなのはすぐに捕えて上前を刎る。よその領地で働いて自領に逃げ込むなどをしたら国人衆同士の争いになる。当然だ。つまり今回我らはコケにされたのだ、それ故に儂の配下も必死になって賊を捜索している。


”坂下宿で見た者はおりません”

”関市場で見ている者が最後です”


 賊は東海道を北に向かった所で消えた。となると関か山中かの手先かも知れぬ・・どちらも厄介だな。

山中とは大和の山中では無い。鈴鹿峠の北を領する甲賀の山中だ。甲賀二十三家の筆頭で支流も多く、忍びの配下も二百はいるだろう。

関はいうまでも無く交通の要衝の関宿に根を張る豪族で、鹿伏兎・長野・神戸ら共に北勢に覇を競う有力豪族だ。

 いや鹿伏兎を入れたのは願望が勝ったと思ってくれ、実際は一段下なのだ、いやもっとか・・


「どうされた?」

「いや、そのあたりで消えたとなると、関か甲賀山中だ。どちらも厄介だと」

「鹿伏兎は関の一族だな。関としめしを合わせてやったのか」

「それは昔の事だ。それから何度も争ったことがある。もはや一族とは言えぬ」


「ふむ、ならば関の勢力は?」

「関城と亀山城を中心に四百の兵はおろう」

「鹿伏兎は?」

「・・百の兵は揃えられる」


「ならば我らと合わせれば互角だな」

「何を言っておる。我らに関と争う謂れは無いぞ」

「縄張りを荒らされたのだぞ。それで黙っておるのか」

「むむむ」



山中の忍びの者が音も無く駆け込んで来た。

「四日市の店に身代金の要求がありました」

「申せ」

「明日・子の刻、銭三百貫文を持って鈴鹿宿に入れと」


「保豊、どう思うか」

「場所を指定しないのは探索を逃れる為、おそらく荷は関領内に隠してありますな。だが銭を受け取りに現われたのなら逃がしはしませぬ」


「やはり関か、どうするな鹿伏兎殿」

「・・む」


 いかに昔なじみで勢力のある関といえども、コケにされて黙っている訳にはいかぬ。

いかぬが、さてどうする・・下手な手を打てば間違いなく潰されるぞ。一矢報いたいところだが、鹿伏兎に何が出来る。


山中はどうするのだ。

人夫を殺され小僧と荷を奪われた大和山中はどうするのか?

この凄まじい騎馬隊と忍びの集団を何のために連れてきたのだ?


まさか・・


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