第66話・大和の虎。
大和橿原 織田信長
堺の帰りに南都に向かった。南都からは大和街道を桑名に向かう予定だ。堺で耳にした白亜の城なるものを見てみたかったでこの道を選んだ。
堺から赤坂村を突っ切って水越峠を越えた。河内周辺では三好と畠山が争っていて危険な状況であり、最も安全な道がその道でもあった。いずれも大和の山中の勢力範囲で関所でも税を取られることも無く通過出来、商人の往来が盛んだ。
水越峠を降りて奈良平野をしばらく歩くと橿原宿だ。伊勢・吉野・京に街道が繋がる宿場で賑わっている。
そこに山中が築城中なのが橿原城だ。濠の向こうに盛り上がった台地があって、それが城だという。
・・何と言えばよい、これが城なのか、構えた気持ちのやりどころがないな。
中は見えぬ。見えぬが広い。町一つがスッポリと入るぐらい広い。
台地の端は一間ほどの柵が掛け回されて、それが延々と続きその端は霞んでいるのだ。その中から、普請の槌音に混じって時々火縄銃の音が聞こえてくる。
「だだっ広れぇだけで、工夫のねえ城だがゃ」
藤吉郎が吐き捨てる。此奴は剽げた言動で本音を隠す男だ。顔に羨望の色が出ておるのに気付いておるかの・・、他の者も似たような顔だ、その顔を見て気付いた、この広さに圧倒されているのだ。儂も此奴らも。
「だが、この濠はてえしたものだがゃ」
深さ五間・幅二十間もあろうかという濠が見事な傾斜で続いている。突き固められた濠壁に僅かな綻びも無いのだ。俄普請で出来るものでは無い。
城の西、街道に向いて大手門がある。大門の上は屋根付きの櫓が広がり、開け放たれた大門の向こうに石垣が見え、入り口だけはかなり厳重な防備が施されているのが見て取れる。
その街道が広い。しかも真っ直ぐその先は霞んで見えない、まるで地の果てまで続いているようだ。これは物語に聞く唐の都の洛陽のようではないか。
・・そうか、大和は飛鳥・藤原京のいにしえの都ゆえその伝統か・・
「驚いた、なんて街道だぎゃ」
「ともかく南都に向かいまするか」
藤吉郎より先に我にかえった犬千代が先導する。どちらも好奇心旺盛だが、猿と違って犬は虚勢を張り動揺を隠そうとする。表にすぐ動揺を出す猿は、逆に内心は醒めているのだ。
南都までは五里ある。まだ道半ばで日が傾きつつある。二台の荷駄も重い上に、物珍しき風景に行程は捗らぬのだ。途中で宿を取る必要がある。
「猿、先行して適当な宿をとれ」
「あいっ」
猿はこういう交渉事にうってつけだ。程良い銭でなかなかの宿を見つけるが上手い。護衛の役にはまるで立たぬ猿を、このために連れてきたようなものだ。
南都はもう目前、翌日はゆっくりと宿をたった。あいも変わらぬ広い棒道を北に進む。南都に近付くにつれて人も店も増えてくる。一刻ほどで着いた南都は、まるで熱田の祭礼のような賑やかさだ。
「お嬢、今日はお祭りだぎゃぁ?」
「違うよ、山中の殿様が街道を広げてからは、いつもこんなだよ」
猿の問いに応える物売りの女の声が聞こえている。
「山中の殿様になったのはいつだぎゃぁ?」
「半年足らずだよ、尾張のお侍さん」
「なにぃ、某が尾張の者だと見抜いた、そちは何者だぎゃな?」
「何者もくそも、尾張言葉丸出しだもん。誰でもわかるべ」
「くそだと、これでも某、京のよんどころなきお方のご落胤なのだぞ。失礼であろう」
「寄る所も無きお方の間違いでしょ」
「イタ、アイタタタッ」
猿は、こうやって見ず知らずの他人とすぐに打ち解ける術を知っている。それが武芸の苦手なこの男の武器なのだ。剽げた会話で、知りたいことは聞き出していた。
古の都の伝統などでは無い。山中が作った街道・賑わいなのだ。商いがいかに国力を増すかを知っておるのだ。その山中の事を猿が上手に聞き出してきた。何と二年ほど前には只の武者修行の旅人であったという。それが、ここ半年ほどで電光石火の如く大和を掌握したという。
儂らが堺で聞くまで山中の事を知らなかったのはその為だ。
「おう、あれか!」
「・・・」
皆の足が止まった。
それは日の光を浴びて輝き、南都の町を見下ろし君臨していた。急いでそこに向かう。南都の端、奥の山から流れてくる大きくない川に石造りの橋が架けられている。その向こうに聳えるそれは、どっしりとした石垣の上に、純白の光を放射していた。
(美しい、この様に美しい城は見た事が無い)
「殿、なりませぬ」
止める声を無視して橋を渡り見上げる。傍に寄るとそれは美しいだけでは無く鉄壁の防御を備えているのを感じた。美しさは機能美、必然なのだ。
見たい。中がどうなっているのか。
どれ程そうしていたのだろう。傍に犬千代と藤吉郎がいる。守兵はこちらを気にしつつも動きは無い。他にも大勢の商人や侍・坊主らが見上げているのだ。
ふと気配を感じて見上げると、男と目が合った。
(山中だ)と直感した。考える間もなく言葉が出た。
しばらくすると、重臣とおぼしき者が来て城内に入れてくれた。
門を入り虎口を曲がって驚いた。そこは一面に広げられた材木に職人が取り付いている。広い曲輪だ、立て掛けられ山と積まれた材木や土や石により見通しは効かぬが、城内の三分の一ほどの広さはあろうか。
馬出か、それにしても広いな。五千の兵が整列できる。馬場にもなりそうだ、調練もここで行なうのか?
「見ての通り多聞城はまだまだ普請の真っ最中でしてな。見て頂くのはここまでで御座る」
と清水と言ったご家老が説明してくれる。
「うむ、見事な外見で御座った。あの白壁の建物は何と言われておる?」
「櫓で御座る。多聞櫓と呼んでいます」
「多聞櫓か、是非にその中を見せて頂きたい」
「えっ、多聞櫓の中をで御座りますか・・」
「そうだ、あの中が是非見たい」
「・・分りました。では、ご案内仕る」
「殿、良い眺めで御座りますなぁ」
一旦は渋った清水殿に案内された多聞櫓の中は、思ったより無骨な造りだ。犬千代は風景を眺め藤吉郎はその造りを見つめている。
居住性を犠牲にした頑丈な材木と無数の狭間とで戦う城である事が解る。秀麗な外見の中身は、骨太で無骨そのものだ。
「殿、壁の厚さを御覧下され」
「ふむ・・・」
鎧戸の窓枠が異様に厚い。一尺はあろうかという壁の厚みだ。通常の土壁の厚みは二寸ほどなのだ。ここは比べようも無く厚い壁だ。
「いや、そこに気付かれましたか。某も職人らもそれを見聞した時には驚きいりました。大将はこれでも足りぬようでしたが、職人の懇願でこの厚みに留まりましたので御座る」
「たとえ矢や火縄銃を至近で放ったとしても、これ程の厚みは必要あるまい。これは一体何を想定しての厚みかの?」
「それは、某にも解りかねまする」
どうやら首を捻る清水殿にも分からぬようじゃ。
「それは儂の弱い気持ちを守る為じゃよ」
振り向けば、背後に山中殿と奥方と思われるお方が歩み寄って来た。二人共背が高く所作には隙が全くない。相当の手練れだ。腕自慢の犬千代が青くなっているわい。
「山中勇三郎じゃ。これは奥の百合葉、ようおいでになったな織田殿」
「織田上総介信長です。突然の不躾な願いをお聞き届けて頂き感謝で御座る」
山中殿は儂の顔をじっと見つめてくる。笑みを浮かべているが、その目は鋭い。何故か正徳寺で会った舅(道三)どのを思い出した。
「・・弱い気持ちを守る為だと申されたな」
「言った。火縄銃をたくさんお持ちの織田殿なら、その威力をよく理解されておろう。ところがそれは少し前までは考えられなかった代物だ。なれば、すぐに十倍百倍の威力を持つ物が出てきてもおかしくなかろう」
「南蛮船が船に積んでおる大砲の様な物で御座るか?」
「うん、さすがに良くご存じだな。そういうものが怖くて壁を厚くしておるのだ。それ故、まだまだ厚みが足らぬがのう」
ふむ、それならば解る。確かに大砲如き物が船から下りて、車を付けた台に乗って攻めてくる時代が来るかも知れぬ。
それにしても、海の無い大和でそれに備えている者がおろうとは考えもしなかったな・・
うむ、世の中には儂の想像を凌ぐ者がいると言うことよ。今の儂が戦っても勝てぬ相手が都の至近にいるという事実は思ってもみなかったわ。
大和の赤い虎か・・
どうしてくれようか・・・
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