第60話・与えられた密命。


二見城 栄山実颯


ご家老らも殆どが絵図と共に去っていった。広間に残ったのは、山中の殿と清水殿の二人だけじゃ。入れ替わりに藤内・梅谷殿の軍を指揮する中隊長が入って来て二人の左右に並ぶ。

もっとも周囲には警護の者が気配も立てずに静かに控えている。

「恐るべき腕達者の者たちだ」と生子どのが言っていた者たちじゃ。その周囲には五十ほどの集団が複数いて、三・四百の軍勢で襲っても敵うまいとも言っておった。


「栄山坊、先ほどの話で何か気付いた事があったか?」


「拙僧には特に気付いた事は御座らぬ。規模が大きすぎて想像もつかぬというところが正直な気持ちで御座る。ところで拙僧の役目が無かったようですが?」


「二人には別に頼みたいことがあるのだ。夜中を借り受けたいと野原に言って了解を貰った。大規模普請に夜中の頭脳を当てにしていたようだがな。まあそちらは替われる者が居ろう。こちらは夜中で無ければ出来ない仕事じゃ」


「某でなければ出来ない仕事ですか・・」

「そうじゃ。夜中、河内の状況は知っておるか?」


「河内は、先月に畠山と三好が手切れとなって争っていると聞きましたが、詳しい事は知り申さぬ」

「ふむ、それを知っておるだけでも大したものじゃ。この際はっきりと言っておこう。其方たちに馴染みがある畠山は我らの敵じゃ、立ち塞がれば叩き潰す」


「・・・」


 不意に空気が冷えた。これがこの男の怖いところかも知れぬ。


「どうじゃ夜中、畠山相手に戦が出来るか?」

「命じられれば躊躇いませぬ」


「ならば命じる。生子・島野隊から百兵を選ばせ派遣する。派遣先は客将の楠木隊だ。楠木の別働隊として活動せよ。別に乱派衆も展開させる。夜中は軍師として彼らの補佐をせよ」

「はっ、承知致しました」


 む、夜中は河内で戦か。楠木の噂は本当だったのだな。それも山中の策だったか、儂は・・


「栄山坊はやっとうよりは説教だったな。ならば得手を生かして貰いたい。根来寺座主・禅介坊とは知り合いと聞いた。根来寺を武装放棄するように説得せよ」


 !!山中はそんな事まで知っているのか・・・


 たしかに禅介坊とは若い頃一緒に修業した仲だ。今では立場が大きく違うがたまに文を交換する間柄だ。


「しかし、強大な根来寺が拙僧の進言などで武装を解くとは到底思えませぬ」

「そうだろう。しかし解かなければ根来は滅ぶ。それは間違いの無い事だ」


 うむ、何だろう。この違和感、背中が冷える・・


「栄山殿、大将が断言されたのだ。必ずそうなる、我らはそれを信じている」


 筆頭家老の清水殿だ。他の皆も頷いている。山中の言う事を毛ほども疑っておらぬのだ。これが山中の持つ力か・・


「分りました。微力を尽くします」


「すぐに事はならぬ。気長に説得しろ。但し時間はあまり無いと思え。それに根来は敵味方が入り交じっている。兵を選んで連れてゆくのだ。周囲の警戒を怠るな」

「承知」


「二人共この事は秘密とせよ。身内にも言うな、公にすれば却って実現が困難になると思えるからだ」

「「はっ」」




 儂はその足で栄山寺に戻った。倅に後事を託して山中の殿の言う事は何でも聞いて家臣として積極的に動けと諭した。


「父上はどうされますな?」

「儂は根来寺の禅介に会いに行く。そこに年余の間留まるつもりよ。なに、修業の仕上げだと思ってくれ」


「・・修業に兵を連れてゆきまするか?」

「根来寺は数千の僧兵の集まりじゃ。儂とて一人では行けぬわ。まあ二十ほどの兵ではどうにもならぬが、いないよりましじゃと思ってくれい」


 疑い深そうな倅の目が痛い。だが密命の事は話せぬ。数十の国人衆と数千の僧兵がいる根来寺の中には、過激に反応する輩が必ずいるものだ。殿の言うように公にすれば命を狙われるだろう。


「分りました。では月一に物資を届けまする」

「それも不要じゃ。殿が全て手配してくれる。山中の殿は根来寺との誼を深めたいのじゃ。個人的な文や品物は二見の大和屋に託せば届く手配となっておる」


「山中の殿が、・・・解り申した。くれぐれも無理をなされませぬように」

「うむ、わかっておる」


 倅には山中の殿の用事だと明かした。殿が根来寺と誼を深めているのは事実だ。これくらいなら問題は無い。倅は裏に密命が有るのをどうやら悟ったらしい。途端に態度が変わったわぃ。

 ふっふふ



夜中阿介


某に回って来た役目は、屈強な島野・生子の先発隊の軍師だ。しかも楠木隊の別働隊として畠山と戦うという密命だ。


 某に出来るのだろうか・・

 いや、やるしか無い。山中の殿が某を名指しされたのだ。その足で吉野川を渡り、自宅に荷物を取りに戻った。

ついでに野原の殿に挨拶をしようかと思ったが止めた。

殿にも明かせない密命なのだ。


 それにしても、山中という男は底が見えない・・

 根来を説得させ、畠山を叩き、楠木を援護する。その先に何が待っているのか?


 一人暮らしだ。隣人にしばらく家を空ける事を伝えたら最小の荷物だけ持って二見城に戻る。


「夜中、この者が案内する。生子隊が合流するのは数日後になろう。まずは楠木殿にお目に掛かり、周辺の情勢を掴め」


殿が河内の絵図などと共に、ずっしりと重い軍資金を下された。

その晩は、治之助という行商人の者と同室で泊まった。治之助は山中の乱派衆の者だ。その他にも数十名がひと月以上前から河内にいるという。

山中はこうして用意周到に物事を進めて行くのだ。

翌朝、治之助と共に暗い内に二見宿を出てあっという間に千早峠に着いた。何故か疲労は全く感じなかった。


峠で振り返って見ると朝日に照らされた宇智郡が見えた。そこは、最早国人衆が林立している惣国では無いのだ。

次に戻って来たときには、光を浴びて輝く黄金の田が並ぶ豊かな土地となっているのが想像出来た。


 峠下で汲んだ水と治之助が行李から出してくれたおむすびが旨かった。そこから見える山々の向こうに光輝く難波の海が見えた。



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