第30話・南都の拠点。


永禄三年一月二十五日 木津城 須川甚五郎


「甚五郎どの、勇三郎様はまだお帰りにならぬのですか?」


 姫に大将の動向を聞かれるのは、これで何回目だろう。

木津の巴御前もすっかり変わられて、まるで愛しきお方に恋い焦がれる少女のようなご様子じゃ。

 某も何とかしてあげたいが、大将には姫のご様子を既に知らせておる。忙しい大将に、そう何度も使者を出す訳にもいかぬ。


「大将は南都に留まっておるのです。すぐそこで御座る。お気になされるならば馬で一駆けしてみては如何ですか」

 ここから大将のおられる場所までは一里と少し。馬ならば往復しても半刻程じゃ。木津の巴御前様には護衛も無用だろう。


「勇三郎様は戦の後始末をしておられるのじゃ。妾などが行っては邪魔になろう・・・・」


 う・うん、そこは分っておられる、と言うか気を使っておられる。それが余計に健気でうら哀しくある。何か手は無いか・・・


 そうじゃ。


「ならば、大将の元に運ぶ荷駄の護衛をして頂けますか。姫様に護衛などお願いするのは無礼だとは思いまするが」

「さようなことは無い。荷駄は大事じゃ。妾がきっちりと護衛を致そうぞ」


 うん、真に嬉しそうなお顔じゃ。

 取りあえずは、これで良かろう・




南都 眉間寺山 山中勇三郎


 俺は街道を続々と来る荷車の列を見ている。積荷は石だ。街道沿いの山で切りだした石を俺のいる丘に運ばせているのだ。

 俺のいるのは北の木津方面から京街道を来ると奈良平野の入り口にあたる奈良阪という下り坂がある。そこに高さ十メートルから二十メートルほどの眉間寺山と言う丘のような山の上だ。


ここは東大寺や興福寺を含めた奈良平野全体が一望できる場所で、大隊長の新介と木津城から呼んだ十蔵と共にそれを眺めている。


西から南側には俺の本拠地の大和東里から続く大和街道と佐保川が流れて来て、そちら側は一段下がって比高は三十メートル程になる。

ここは史実の多聞城があった場所だ。ここを南都における俺の拠点として急ピッチで築城しているのだ。


ここから山中砦と木津城までは、どちらも本街道が通じ距離は一里少々だ。何かあれば即時に兵を送れる南都の拠点としてはまさにうってつけの場所だ。


台地の斜面は生えていた灌木を切り取り、そこに大勢が群がって石垣を築いている。ここでは千ほどの兵が働いている。相楽・小寺・市坂らの木津勢が競って働き、それに清興や切山らが指揮する元興福寺の僧兵たちも加わっている。


興福寺・松永どのとの三者協議で興福寺の守りは俺がする事になった。興福寺は武装を解き、不要になった僧兵らは山中隊に入りたい者は受け入れその他の者は武器を置いて僧侶に戻るか、興福寺を去るかを選ばせた。


僧兵といえども殆どは銭雇いの傭兵で、三百ほどが山中隊に加わりその者らを嶋清興に預けた。清興は敵前大試合に出場して健闘したので僧兵らの受けも良いようだ。

ただ寺には門番も必要なので、各支院に数人ずつは残した。残ったのは全体で百名ほどか、その者達の調練は引き続いて宝蔵院で行なうことになる。



「遂に千兵になりましたな。まさかこれ程早いとは思いませなんだが・・」

 新介が感慨深げに呟く。


「大隊長、千どころではないわい。僧兵三百と南都の新兵六百を加えると軽く二千を越えるぞ。それを大将は、女武者を押し倒したり胤栄どのと大路で試合したりで手に入れるとは・・・儂は心底呆れておるわい」


「まったくですな・・実は某も・・・」


 おーい、二人で何を言っているのだ・・・・


「呆れんでくれ、儂は本当に必死だったのだ」


「うぁっはっはっは」


 三人でひとしきり笑った。俺は必死のパッチでヤケクソだったけれど、確かに傍目には面白かったかも知れない。いやきっと面白かったのに違いない・・

   

 冷静な新介も顔をくしゃくしゃにして思い出し笑いをしている・・・十蔵は腹を抱えて涙目になって笑っているし・・・



「やはり奈良平野は広いですなあ・・」

 十蔵が、遥か南・霞んで見えない先まで続く奈良平野を見てため息をつく。


「ああ、平野も遥かだが、さらにその先には重々たる山々が際限も無く熊野の海まで続く・・」


「真に大和は、広う御座るな・・」


 三人でしばし霞む山々を眺めるが、その想いは同じかも知れない・・


 南都は奈良平野の北端にある。

奈良町という大きな門前町を擁しているが、その勢力は大和全体の一割にも満たない、多めにいっても五分ほどだろうか・・


 その南には長い平野が続く。さらにその平野の先には広大な山々が延々と続く吉野郡があって意外と人口も多いのだ。なんと吉野郡だけで、その広さは大和の他の十三郡の三倍も四倍もあるのだ。

 まさに広大、とんでもなく広い郡なのだ。

吉野郡は、後醍醐天皇が逃げ込み護良親王が再起を計ったほどの所だ。彼らは剽悍でプライドが高く有力者といえどもそう簡単には靡かない。尊皇の意思が高く、日本の歴史が変わるときには彼らが活躍すると言われて、幕末にも登場した地域だ。


 全く大和の国ってのは、とんでもなく奥深くて実に厄介な土地柄なのだ。



「言っておくが、儂はこれ以上領地を広げようなどとは思っておらぬぞ。面倒だからな」


 二人には正直なところを打ち明けておくべきだ。まあ釘を刺す意味もあるけどね。


「そうでは無いかと某も思っておりました・・」

「儂もそう感じておりましたが、それで済みましょうか?」


 ・・・だよね。


あの遙かな空の下には、多くの者がこちらの様子を伺っているのだ。こちらが隙を見せればすぐに襲ってくるだろう。そうならなくとも、山中は松永と畿内の覇者・三好の麾下なのだ。命令があれば火中の栗も拾わなければならない。そしてほぼ間違いなくそう命じられるだろう。

つまり確実に面倒なことになるのだ。


「我らの敵になりそうな国人は?」


「へえ、そこそこの力のある国人は全て敵になりましょうな。十市・布施・越智・箸尾がわれらと同等以上の勢力を持っていやす。宇陀郡の沢・芳野・秋山や宇智郡の楢原も強力です。それに筒井もまだいやす」


「やれやれ、難儀だな。敵には事欠かないということか・・それで、当面の敵は誰だ?」


「今・柳生どのと睨み合っている山辺郡の古市でしょうな・・」


「古市と言うのは何者なのだ?」


「過去には筒井・箸尾・十市を追放して大和半国の守護格となったこともある大家ですが、筒井に敗れて没落しておりました。この度の松永どのの筒井追放にて復活したようですな。今はまだ少数ですが地力がありますので、時を重ねると兵も増えましょうな・・」


「松永どののお蔭と言う事か。そこのところは儂と同じだな、ならば引き込めないか?」

「それなりの者が行けば、同盟は出来ましょう」


「同盟か・・」

「臣従をお望みで?」


「・・いや、そんな格式がある家臣など扱いが面倒だ。松永どのの元に下ればそれで良い」

「ならば、手配致しましょう」


「うん、それで当面の敵はいなくなるな」

「はい、南都の掌握に専念できます」


 そうだ。南都の掌握と拡大した領地と家臣団をまとめなければならない。城を作るのだってどんなに急いでも三・四年は必要だ。当面の間・戦をしている暇は無いぞと・・・



「おう、巴御前が来られましたぞ」

 新介の声に振り返って見れば、北の街道に騎乗の女武者が率いる荷駄の列が向かってくる。白鉢巻きに襷掛け、薙刀を小脇に皮の防具を着けた女武者は、いうまでも無く木津の巴御前・百合葉姫だ。


「大将はまだ帰られぬかと巴御前に何度も聞かれほだされた甚五郎どのが荷駄の護衛として寄越したのであろうさ」


 そういう報告はあった。あったがどうとも言えず放置していたのだ。まあ見に来たければ来れば良いのだ。


「大将、夜は木津城に戻られるのが良かろうと某は思いますが」

「儂もそう思いますぜ。木津は目と鼻の先だ。夜は戻った方がこちらの支度は楽で、新領の木津の慰撫にも良かろうかと」


「・・そうだな。そうするか」


 確かにその方が俺も皆も楽だ。ここで働く兵の多数がそうしている。俺がここに留まると飯の支度から警備まで周囲は大変だろう。録に建物も無い野戦陣地状態なのだからな。

だが木津城に帰るとなれば姫との関係はどうなるのだ・・・

それがちょっと・・・・

まあ、なるようになるか。


「須川どのの命により荷駄を護衛して参りました」


 百合葉姫のしゃちほこ張った物言いだ。皆の手前、遠慮しているのだろう。


「百合葉様、ご苦労で御座いました。あとは手の者に任せてこちらにおいでなされ」

「はぃ・・」


 少し上気した姫が十蔵らに促されてそばに来た。ちょっと可愛いな・・


 いや、かなりだ・・・


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る