第65話 兄妹の語らい(3)

 屋敷で生活しているうちに、ヴィンセントはブランジェ家が養子を求めた理由を知った。

 ブランジェ夫妻は第一子誕生後、第二子ができなかったこと。第一子のフルールは王太子との婚約が決まっていて、将来的にブランジェ家には跡取りがいなくなること。

 そして……。たまたまエール家に立ち寄ったブランジェ公爵が、不遇な三男を目撃したことだ。

 ヴィンセントは恩に報いるため、ブランジェ家の長男として立派な人間になろうと努力した。

 頼もしい父と優しい母と可愛い妹。ヴィンセントはこの家族の一員になれて、本当に幸せだった。

 ただ、日に日に美しく成長していく妹には、れるような胸の痛みを感じていた。しかし、彼女は王太子の婚約者。想いが大きくなる前に、彼は逃げるように寄宿舎のある騎士学校へ入学した。

 フルールへの仄かな恋心を押し殺し、ヴィンセントは品行方正な兄を演じ続けてきたのだ。


「フルールと王太子殿下が破局したと聞いた時、私は狂喜した。ようやくお前と結ばれるチャンスができたと。私とフルール、父と母で完璧な家族になれると思ったんだ」


「お兄様……」


 苦しげに言葉を吐き出すヴィンセントに、フルールも胸が締めつけられる。

 兄はずっと、養子である自分に引け目を感じていたのだ。


「お兄様、わたくし達は本当の家族ですよ。それはお父様もお母様も同じ気持ちです」


「ああ、解っている」


 ブランジェ夫妻はヴィンセントとフルールの待遇を変えたことはない。十歳で屋敷に来た彼を、生まれた時から側にいる実子と同じように愛してくれた。

 だからこそ彼は、自ら『ブランジェ家長男』の理想像を作り上げ、それに外れる行動ができなくなっていたのだ。

 ヴィンセントを縛っているのは、ヴィンセント自身だった。


「フルール」


 いつの間にか空になったパフェのグラスを横に退け、彼は彼女の目を見つめる。


「私はお前を愛している。妹としても、女性としても。そして、お前と私の結婚が、ブランジェ家のためだと信じている。だから行かないでくれ、フルール。家族を捨てないでくれ」


「お兄様……」


 切実な眼差しに息が苦しくなる。フルールはゆっくりと唇を開いた。


「わたくしは、家族というものは離れていても繋がっていると信じています」


 一言一言噛みしめるように口にする。


「わたくしはお兄様を愛しています。父と母と同じように。それはどこに行っても変わりません。道を違えても、たとえ将来わたくし達に別の家族ができたとしても、それは一方を捨てたからではなく、家族が増えたということで」


 深呼吸して、気を落ち着かせる。


「門出を祝ってくれなんて贅沢は言いません。でも、わたくしを失ったとは思わないで。わたくしは何一つ捨てては行きませんから」


「フルール……」


 ヴィンセントは不意に眉根を寄せて、


「お前、今、ストレートに俺を振らなかったか?」


「え!?」


 ……確かに『別の家族が〜』の下りは、ヴィンセントと同一の家庭を作る意思はないと明言していた。


「い、いえ、そんな! わたくし、そんなつもりでは……」


 慌てる妹に、兄は「いいよ」と苦笑する。


「遠回しに有耶無耶にされるのは、もう疲れた。フルールの気持ちが知れてよかった」


「お兄様……」


 フルールは少し気まずそうに上目遣いに兄を窺う。


「……わたくし、お兄様に妹以上に想ってるって言われて、とてもドキドキしたの。わたくしの知っているお兄様じゃない別の男の人みたいで、緊張して……いっぱいときめいたの。でも……」


 意を決して、言葉にする。


「わたくしはやっぱり、ヴィンセント・ブランジェはフルール・ブランジェのお兄様のままでいて欲しいと思っています」


 ヴィンセントは青い目を零れるほど見開いて……、


「フルールは、本当にズルいな」


 もう、笑うしかなかった。


「もう少し早く本音で話せていたら、結果は違ったかもな」


 天を仰ぎ、ため息をつく。

 

「解った。もう止めない。好きな道を進めばいい」


 過ぎた時間は戻らない。

 籠から出た鳥は、遠く飛び立つ。


「ありがとう、お兄様」


 それからフルールは眉尻を下げて、


「家のこと、すべてお任せてしまって申し訳ありません」


「そこは気にしなくていい」


 ブランジェ次期当主は、現当主に似た仕草で鷹揚に返す。


「私はアルフォンスとミランダの息子になれたことを誇りに思っている。生家のことなど忘れるくらいに。使節団入りがフルールの希望なら、ブランジェ公爵家を継ぐことこそが私の譲れない夢だ。家と領地は私が護る。父と母のことは心配するな」


「はい」


「それと……」


 ヴィンセントはさっぱりと微笑んで、


「私の居る場所が、フルールの実家だ。いつでも帰ってこい」


「……はい、お兄様」


 彼女の兄は、とても頼り甲斐のある公爵家の長男だ。

 やはりヴィンセントは、フルールにとってかけがえのない『家族』なのだ。


「よし、話が纏まったら、腹が減ってきたな。今度はレインボーソルベタワーパフェにしよう」


 給仕を呼んで追加注文をし出す兄に、妹はビクッと肩を跳ねさせる。


「ま、まだ食べるんですの!?」


 驚愕のフルールに、ヴィンセントはメニュー片手にニヤリと嗤う。


「さっき、いくらでも付き合うって言ってなかったか?」


「ぎゅ……っ」


 ……確かに言いました。


「で、ではわたくしも、チーズスフレを追加で……」


 使節団の荷物を纏めなければならないのに、服のサイズが変わったらどうしよう?

 そんなことを考えながら、フルールはふわふわのスフレにスプーンを入れた。

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