第64話 兄妹の語らい(2)

 ヴィンセントはあまり裕福ではない地方貴族エール伯爵家の三男として生まれた。

 母はアルフォンス・ブランジェの姉だ。

 両親は貴族にしては珍しく恋愛結婚だった。当時ブランジェ公爵令嬢だった母が、夜会で父を見初めて猛アタックしたのだという。斜陽の伯爵家にとっても、王家の傍流である公爵家との縁談は大変有益なものだった。

 母と父の格差婚が許されたのは、ブランジェ家にアルフォンスという跡継ぎがいたからに他ならない。

 エール伯爵家に嫁いだ母は、三人の息子に恵まれた。

 両親は、跡取りである長男をとても大切にし、病弱で一番父に顔が似ている次男を溶けるほど甘やかした。そして……最後に生まれた三男を放置した。

 ヴィンセントは乳母ナニーとメイドに育てられ、両親に抱かれた記憶すらない。癇癪を起こして親の気を引こうとしたこともあったが、疎ましがられるだけで愛情は向けられず、すぐに諦めた。

 彼らの住まいは貧乏貴族にありがちな狭い屋敷だったが、それでも上の兄弟は日当たりのよい個室を与えられ、三男だけは屋根裏の物置小屋にベッドを置かれていた。

 幸せそうな自分以外の家族を遠く眺めながら、淡々と過ごす日々。

 幼い彼に希望の光が差したのは十歳の時だ。

 母の実家であるブランジェ公爵家から、養子の話が舞い込んできたのだ。

 両親は一も二もなく飛びついた。元々エール家はブランジェ家の援助で食い繋いでいるような状態だった。

 エール伯爵家は多額の追加援助と引き換えに、喜んで三男を手放した。


 ――その日、ヴィンセントはわけも分からず一番上等な服を着せられ、迎えの馬車に押し込まれた。


 お城のような広々とした玄関ポーチで出迎えてくれたのは、上品で優しそうな夫妻だった。


「いらっしゃい、ヴィンセント。今日からここが君の家だよ」


「ようこそ、ヴィンセント。ヴィンスって呼んでいいかしら?」


 差し伸べられた温かい手に戸惑っていると、ふと、高い場所から視線を感じた。

 見上げてみると、階段の隅から、自分の身長ほどもある大きなウサギのぬいぐるみを抱えてこちらをじっと見つめる青い目と視線が合った。人形のように整った顔立ち、夫妻の五歳の実子フルールだ。ブランジェの血統である金髪碧眼の彼女は、ヴィンセントによく似ていた。

 ……父親の伯爵似でないことで、彼は放置されてきたのだが。


「フルール、いらっしゃい。お兄様よ」


 夫人の呼びかけに、小さな女の子はウサギの背に隠れるようにして恐る恐る近づいてきた。


「はじめまして、おにいちゃま。フルールです」


 警戒しながらもきちんと挨拶できるところに、育ちの良さが窺える。


「あ……よろ、しく……」


 逆に五歳も年上のヴィンセントの方が上手く舌が回らない。


「きて」


 緊張に挙動不審になる少年の袖を握って、童女は階段を上っていく。ヴィンセントはよろけながらもフルールについていく。

 辿り着いた先は、二階の南側の一室。


「わ……」


 ドアを引いたフルールに、中を覗き込んだヴィンセントは感嘆の声を上げた。

 大きな窓からたっぷり日差しの入る明るい室内には、真新しい家具やカーテンが設置されていた。そして、天井には色とりどりのガーランドが。


「あのね、おかあさまとかざりつけしたの。ベッドカバーはフルールがえらんだのよ。みどりいろだと、もりのなかにいるみたいにいいきもちでねれるでしょ?」


 新緑色のカバーの掛かったベッドは、ヴィンセントが三人寝てもまだゆとりのある大きさだ。


「どう? おにいちゃま」


 ウサギの頭越しに尋ねられて、彼はようやく気づいた。


「ここ……ぼくの部屋なの?」


 こくんと頷く童女に、少年は胸に熱いものがこみ上げて……。


「ど、どうしたの? おにいちゃま。おなかいたい? ベッドカバー、ちがういろがよかった!?」


 突然泣き出したヴィンセントに、フルールは大慌てだ。

 心配そうに顔を覗き込んでくる新しい妹に、兄は手の甲で涙を拭いながら、


「大丈夫。ぼく、緑色大好きだよ」


 微笑むヴィンセントに、フルールも花のような満開の笑顔を見せる。

 そんな兄妹を、部屋の外からブランジェ夫妻が穏やかな目で見守っている。


 ――ここには、自分を必要としてくれる人達がいる。


 ヴィンセントは、ずっと欲しかった『家族』を手に入れた。

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