第44話 父娘の語らい(1)

 フルール・ブランジェは、生まれた瞬間から婚約が成立していた。

 一ヶ月前、クワント王国の王と王妃の間に生まれた第一子、グレゴリー・クワントだ。

 これは、王妃とブランジェ夫人が同時期に懐妊した時からの取り決めだった。曰く、『お互いの子が異性ならば、将来的に結婚させよう』と。

 ブランジェ公爵家は国内屈指の富豪であり、五代前の初代クワント王の血統。二人の婚約は、王家の地位を揺るぎないものにするための政略だった。

 人生の初めから存在した婚約者の存在に、フルールは何の疑問も抱いていなかった。

 空は青く、林檎は赤いくらいに、ごく自然なことだった。

 五歳の時、五歳年上のヴィンセントが兄としてブランジェ屋敷に来た時、聡明なフルールは理解した。自分はいずれ、この家から出るのだと。代わりに兄が招かれたのだと。

 父も母も、フルールをとても大事に育ててくれた。途中から来た兄も、妹をそれはそれは可愛がってくれた。

 でも、彼女は解っていた。自分はブランジェ家の駒なのだと。王妃となってブランジェ家に貢献することが、自分の価値なのだと。

 長く厳しい王太子妃教育の中で、フルールは何が王国の利益になるかを学んだ。そして同時に、何がブランジェ公爵家にとって有益なのかも。

 心のままにと思う度に、いつもそのことが胸に過る。

 それは、雛の刷り込みのようなもの。


 ――なにがブランジェ家にとって、最良なのか……。


◆ ◇ ◆ ◇


「お嬢様、旦那様がお呼びです」


 ドアからの呼び声に、鏡でエリックの姿を確認すると、フルールは鏡台の前から立ち上がった。


「今、行きます」


 ドレスの裾を直すカトリーナに礼を言い、フルールはエリックに先導されて父の書斎へと向かう。要件は解っていた。


「失礼します、フルールお嬢様をお連れしました」


「入れ」


 部屋の中では、応接セットの革張りのソファに座って、アルフォンスが待っていた。


「フルール、座りなさい」


「はい」


 ローテーブルを挟んだ対面に腰を下ろす。

 エリックが紅茶の用意をしに部屋を出ると、父は娘に切り出した。


「シンクレア辺境伯から、お前と面会したいと要請があった」


 ……それは想定内だ。フルール宛でなく、ブランジェ当主宛で来たのなら、無視することはできない。

 あの夜会から数日。

 フルールは色々考えていた。

 自分の将来のこと。……ブランジェ家のこと。


 ――セドリックは言った。

 自分が王太子になったら、フルールに結婚を申し込むと。


 元々、フルールは王太子妃候補として育てられてきた。次代の王の義父になることは、アルフォンスにとって本来進むべき道だったはずだ。だから、セドリックの申し出を受けるのがブランジェ家の最良の選択……のはずだったが。


 ここへ来て、辺境伯というダークホースが現れた。


 ブランジェ家は王家の血統だ。しかも、王太子の有責で婚約不履行という、現行の王家への借りがある。つまり、少しくらい王家の意向に背いても関係性は悪くならない状態だ。

 そしてその一方で、ブランジェ家は王都を拠点とした中央社交界では絶大な権力を誇るが、地方貴族への影響力はさほど強くない。もしシンクレア家と姻戚関係になれば、ブランジェ家は地方進出の足がかりを得ることになる。


 ……天秤は揺れ動く。


 フルールは貴族令嬢として裕福な暮らしをしてきた意味を、ちゃんと理解している。

 学園を卒業してから数ヶ月、自由に過ごさせてもらって感謝している。

 だから……心積もりはできている。


「フルール、ネイサン卿にお会いするか?」


 父の問いに娘は、


「はい」


 躊躇いなく頷いた。

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