第23話 涙

 ……こんな状況、前にもあったわね。


 天井の花模様を数えながら、ため息をつく。

 王宮から帰ったフルールは、エリックの手により寝室へと直行させられた。

 王太子との一悶着は内緒にしておきたかったのに、フルールを迎えに来た時にはおおよその事情を知っていたエリックが母に告げてしまい、娘を王宮にお遣いに出した責任を感じてブランジェ夫人まで落ち込んでしまうという、最悪の連鎖まで生じてしまった。


(わたくしが、婚約破棄を拒めばよかったの?)


 でも、あの時は承諾するのが最善だと思ったのは事実だ。

 親同士の決めた結婚。

 与えられるはずだった未来。


『フルールの十八年の人生すべてを踏みにじって……』


 セドリックの声が胸に甦る。

 彼女の人生は今まで彼女のものではなかった。それが突然返されても……どうしていいか解らない。

 グレゴリーと同じように、フルールもまた、事態を軽く考えていたのだ。違うのは、グレゴリーが自分勝手に動いたのに対し、フルールは自分さえ我慢すればことが収まると思った点。

 ……セドリックは、フルールが泣かないから自分が泣くと言っていた。

 何故、フルールは泣けないのだろう。


「失礼します、フルールお嬢様」


 布の包みを抱えてエリックが入ってくる。


「足元に懐炉を入れますね。これから冷えますから」


「ありがとう」


 執事の気遣いが温かい。


「料理長がポトフを作ってますよ。お部屋にお運びしましょうか?」


「ええ、お願い」


 病人ではないけれど、今日は甘えてしまおう。フルールがベッドの中でぬくぬくしていると、


「フルール!」


 バンッ!

 激しい勢いでドアが開き、ヴィンセントが飛び込んできた。


「お、お兄様!?」


 仰天する妹の枕元に、義兄は駆け寄ってくる。


「具合はどうだ? 苦しいところはないか? 医者は呼んだのか!?」


「お兄様、落ち着いて」


 噛みつかんばかりに迫ってくるヴィンセントに、フルールは思わず仰け反る。


「どうされたのですの? 平日に」


 ヴィンセントが実家に戻るのは大抵休日だ。明日も仕事の平日中日に帰ってくるなんて珍しい。

 彼は眉根を寄せて、


「騎士団本部にセドリック殿下の秘書官が来て、フルールの体調が悪いから傍についていて欲しいと言われて」


「まあ……」


 フルールを心配したセドリックが、彼女の信頼する者を寄越してくれたのだ。


(なんてお優しい)


 そう思ったら、喉の奥がぎゅうっと苦しくなって……、涙が溢れた。


「フルール!?」


「お嬢様!?」


 はらはらと涙を零す彼女に、義兄と執事は大慌てだ。


「どうした? どこか痛いのか!?」


「誰か、誰かお医者を!」


 右往左往する男性二人に、フルールは泣きながら笑ってしまう。


「大丈夫よ。ちょっと……嬉しくて」


 こんなに自分を大切にしてくれる人達に囲まれているなんて、いままで気付かなかった。

 与えられた物を諾々と受け取り、何も考えていなかった頃には解らなかった感情。


 フルールは婚約破棄後、初めて泣くことができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る