第79話 10-2 ソニンのコンサート

 優奈は、その後、国際会館直近の神戸そ*う新館5階の*伊国屋書店でかなり長い時間を潰して、夕刻5時に喫茶店で葉山女史と待ち合わせ、神戸国際会館の大ホールに入ったのです。

 普段見かけることの少ない民族衣装のチマチョゴリ姿もちらほら見かけられますが、そういう方は年配の方が多い様です。


 それ以外の観客も若い年代の割合は少なく、10代、20代を含めて精々2割ぐらいかもしれません。

 こうしたホールでの公演はチケットが高いので若い人が入れないという不便さがあるのです。


 チケットは1階中央席群7列目の20番、21番という中央左側通路に沿った席でした。

 葉山女史を奥の21番へ、優奈は通路側20番へ腰を下ろしました。


 呼び出しがあった際に、すぐにステージへ出られるように配慮したのです。

 開宴の15分前には二人は席についていました。


 席に着いてから、葉山女史にはソニンのステージに途中呼び出されることを耳打ちしています。

 葉山女史はそれこそ驚いていたようですね。


 業界の常識として、ファンとの交流は多少ありますけれど、普通はステージに上げたりはしないものなのです。

 仮にステージに立たせるような場合は、ステージの袖から出てもらうようになるのです。


 午後6時になっていよいよ開宴す。

 韓国の最近のステージというのは背景に映像を浮かび上がらせ、小型のスポットライトを多数配置して動かすことが多いのですが、今回の国際会館でも同様な設備を施したようです。


 開幕と同時に、映像が流れ始め、バックの演奏が始まると同時にスポットライトが20ほども動き回るのです。

 初お目見えのソニンは、全体として薄紫のかぐや姫の衣装にも似たチマチョゴリを身に着けていました。


 背景の竹林の映像によく映える色合いです。

 ソニンは、最初の曲に「太平歌」を持ってきていました。


 ソニンは、歌を変え、衣装を替え、ステージで歌い続けていた。

 概ね20分に一度は衣装替えをしている。


 1時間を過ぎたころ、ソニンは海雲台エレジーを披露した。

 1980年代ごろではないかと思うけれど、ずいぶん昔に韓国で流行った歌なのです。


 海雲台ヘウンデとは、釜山の前浜にある有名なリゾートビーチのことです。

 日本であればさしずめ湘南海岸と言ったところでしょうか。


 曲想は、元々は軽いタッチの失恋の歌だったのですが、ソニンが歌うととても哀愁の籠った重々しいエレジーになります。

 その後に続く三曲はいずれも若い人には難解な古典的なパンソリなのですが、海雲台エレジーを聞いた後では以外にすんなりと受け入れることができます。


 ソニンがステージの組み合わせに種々工夫をしていることがわかります。

 そうして、ソニンが舞台衣装を替えている間は、司会が映像でソニンを紹介し、或いは韓国の民謡を紹介しています。


 そうして韓国語の後に日本語の通訳が続くので、それだけで結構な時間を取るのです。

 多分、舞台の袖に簡易の更衣室を設けているのだろうと思われます。


 ソニンは5分とかからずに衣装を替えて来るので、ステージに穴が開くことはありません。

 伴奏の人たちは韓国から連れて来た人達のようです。


 主にエレクトーンの音で主旋律を奏で、要所を韓国の楽器である笙や大笒、伽耶琴、ケンガリ、太鼓などが補い、 他にドラムやエレキギターなどもあるけれど全部で17人であり、オーケストラなどに比べると少ない人数であるものの、ソニンの専属バンドなのです。


 パンソリの比較的重い曲の演奏が終わった後、ソニンがマイクで客席に話しかけました。

 ソニンが韓国語で言い、日本語の通訳が後を続ける。


「今日は、会場の多くのお客様に交じって私の大事な日本のお友達が来てくれています。」


「お友達と言っても、残念ながら男性ではなく女性ですよ。

 でも、とっても素敵な女性です。」


「美人で、スタイルがよくって、悔しいことに私よりも年下なのに背が高くて、足が長く、しかもデカパイなんですよ。」


 明らかにここでどっと笑いが起きた。


「歌もとっても上手なんです。

 そうして生粋の日本人でありながら韓国語もペラペラです。」


「お昼に一緒に食事をしてお願いしたら、あっさりと私の夢の一つを叶えてくれることになりました。

 このステージで一緒に歌ってくれるんです。」


「そうして、間違いのないように申し上げておきます。

 彼女が私のファンではなくって、この私が彼女の大ファンなんです。

 ご紹介しますね。

 陸上の女王ミラクル・ユーナことカヤマ・ユーナさんです。

 ユーナ、ステージに来てください。」


 スポットライトが優奈の席を照らした。

 ソニンの韓国語で立ち上がり、周囲にお辞儀をしてから、コートとバッグを葉山女史に託して、日本語の通訳が終わる前に通路を歩き始めた。


 黄色のスポットライト3つが優奈を追いかける。

 スタッフの一人が、ステージの前で待っており、左手の上がり口まで案内してくれる。

 優奈がステージに上がり、ソニンの傍に近づくと、スタッフの人がマイクを手渡してくれた。


「ユーナ、舞台に上がった気分はどう?」


「アイドルとご一緒したことはないのでとても緊張してますね。」


「貴方はもう世界の頂点に立っている人じゃない。

 私の方が、そんな貴女を間近にして、まともに一緒に歌えるかどうか心配しているのに。」


「あ、それなら私が音程を外した時に心配してね、ど素人なんだから。」


「ど素人というのは、間違っているわね。

 少なくともあなたがCDを出せば間違いなく売れっ子になるわ。

 それをこれから証明してみましょう。

 歌は、방황、本当は私たちが生まれる前にできたソロの歌ですけれど、私とユーナがデュエットで歌います。」


 二人の軽妙な会話の応酬に日本語通訳が追い付いていない間に、ソニンの合図で前奏が始まった。

 前奏の合間に通訳が早口で二人の会話を端折って紹介した。


 優奈もステージでの振る舞いをどうすべきかは知っている。

 客席に対して余り横向きになってはいけないのだ。


 二人であれば45度ぐらいの斜めで向き合うか、若しくは完全に客席に向いて客に表情を見せることが大事なのである。

 優奈は斜に構えてソニンの歌いだしを図っていた。


 ソニンがいつも通りに歌い始める。

 即座にその唄い出しに被せて、優奈がハーモニーを歌う。


 静かな歌いだしを妨げるような音量ではないし、言葉も発音もソニンにきっちりと合わせている。

 明らかにソニンが驚いていたが、歌いながらソニンも斜に構えてにっこりとほほ笑んでいた。


 多分、優奈のハーモニーが気に入ってくれたのだろう。

 ソニンのこれまでの歌の感じと違ったのか伴奏の方がむしろ戸惑っているようにも感じられた。


 だが、演奏は続いていた。

 優奈は完全にソニンの歌い方に合わせていた。


 その証拠にハーモニーを形作らないときは、ハミングと合いの手で音を被せているか、もしくはソニンの歌声にタイミングも音程も完全に合わせて歌っており、まるでソロの歌声と勘違いするほどなのである。

 ソニンと優奈の声質は違うのだが、息遣い、発音、音程の正確さが二人の声を一人が歌っていると誤らせるほどの効果を持っていた。


 サビの部分では、いつもソニンが高音部でシャウトするのだが、今回はそのシャウトが二人分の声量でホール中を満たしていた。

 普段のソニンの舞台でもかなりの迫力がある場面なのだが、その日は特別だった。


 そうして5分半ほどの時間をかけて방황の熱唱が終わった。

 終わった途端、大きな喝采と拍手の中、ソニンが優奈に近づき抱き着いてきた。

 瞳が涙でウルウルしている。


「ありがとう。ユーナ。」


 小さい声でソニンはそう言った。


「ステージで泣いちゃいけないですよ。

 お客様が見ています。」


 ソニンが少し離れて頷いた。

 そうして客席に向かって言った


「私の親友、ミラクル・ユーナでした。

 皆さん、もう一度拍手をお願いします。」


 優奈は、観客の拍手に応じてお辞儀をし、ソニンに向けて笑顔で手を振ってステージを降りた。

 席に戻ると葉山女史が小声で言った。


「凄いわねぇ。

 ソニンさんもとても上手な歌手だけれど、優奈ちゃんがまさかあれほど見事にステージで歌うなんて。

 それに別にリハサーサルなんてしてないのでしょう?

 にもかかわらず、ぴったりと息が合っていたわよ。

 双子の姉妹でもあれほど上手く合わせられるかしら?」


 優奈は苦笑しながら言った。


「葉山さん、今はステージの邪魔にならないようにしましょう。」


 葉山女史はそう言われて首をすくめた。

 その後概ね30分、ステージはなおも熱のこもった演奏が続いていた。


 ソニンの日本初公演は成功裏に終わったようだ。

 収支がどうなっているのかはわからないが、今日彼女の歌を初めて聴いた人はきっとファンになったに違いない。


 彼女の歌はそれほどに魅力的なのだ。

 彼女は編曲もして、既存の曲を自分なりの歌に仕上げている。


 おそらく作曲家や作詞家には了解を得てやっているのだろう。

 その編曲が若い感性でありながら実にうまい。


 古い歌をしっかりと現代風に作り変えているのであり、また自分の歌にしている。

 彼女が日本の歌を歌えばきっと売れっ子になるのだろうと思うが、多分韓国の音楽界が手放さないだろう。


 所謂、洋楽には向かないかもしれないが、K-POPSは勿論のこと、日本の音楽や中国の音楽にも合わせられる声である。

 ステージの最後でソニンが挨拶をした。


 そうして丁寧なお辞儀の後で確かに優奈の方へ視線を向けて手を振った。

 優奈も手を振って応えたのだった。

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