第27話 3-15 渡航準備とユース
変なブログを見つけた日から少しさかのぼって、7月17日の夜、優奈は、父と母にロンドン世界陸上に出場しないかという話が来ている旨を淡々と話したのです。
母聖子が言った。
「で、優奈はどうしたいの?」
「正直なところ、行ってみたいなという気はあるんやけど・・・。
父が口を挟む。
「まぁ、ただの観光やないからなぁ。
でも全く日本語の通じない社会に放り込まれるのも一つの勉強にはなるやろ。
優奈は、それなりに英会話はできるはずやったな。
日本にいる外人や日本に来る外人は、相応に日本を理解してやってくるんや。
でも、例えば英国から離れたことのない英国人は、日本に関する情報はそれなりに持っていても間違った情報を得ている場合もあるんや。
欧州のとある先進国の小学校の教科書に日本人の挿絵として、ちょんまげ、侍の姿が描かれていたのはかれこれ60年ほど前のことやけど、随分と有名な逸話なんよ。
それぐらい欧州の人というのは、日本人に馴染みがなかったんや。
仮に優奈がロンドンに行ったならば、おそらくは何がしかのカルチャー・ショックを感じることになるやろうね。
それが人種差別なのか、文化差別なのかはわからへんけど、欧州人に根強く残っているイエロー・ペリルの考え方は、今でも滅してはいないはずやからね。
いわゆる文化人たちの意識はそうではないはずなんやが、本当に英国土着の文化に慣れ親しんでいる老人には中国も韓国も日本も皆同じ東洋の国という認識だろう。
特に区別する必要が無ければ違いなんて意識しないものなんや。
見た目では、ほとんど変わりがないからねぇ。
だから、ロンドンに行くとしたなら、外国人たちがどのように日本をあるいは日本人を見ているのかをよく見て来ると良い。
好奇心は最良の教師になる。」^
「それは・・・。
お父様は、私の気持ち次第でロンドンに行っても良いということなのですね?」
父は笑顔で頷いた。
母は言った。
「私達は、優奈の判断をいつも大事に考えています。
優奈は私たちの自慢の娘です。
その娘が良かれと思って成すことは何にでも承認を与えますし、必要ならば尻拭いも
貴方が行きたいと本心から願うのであれば素直にお行きなさい。
それも貴方に与えられた運命なのでしょうから。」
優奈はにっこりと笑い、二人に向かって宣言した。
「お父様、お母様、それではIAAFの招請に従って、ロンドン世界陸上に行くことにいたします。」
その日の内に優奈は真田女子と吉川女史にメールしたのです。
《両親と相談した結果、承諾を戴けましたので、神城高陸上部の人たちから了承をもらえたなら、ロンドン世界陸上に参加したいと存じます。
出場種目は別途ご相談したいと思います。》
真田女子からすぐに返信が来ました。
《早速のご返事ありがとう。第二報を待っています。》
吉川女史からは、
《そうかぁ、やはり行くことになったんやねぇ・・・。
で、優奈ちゃん、最新の妊娠検査キットで確認したにんやけど、【陽性反応】やった。
未だに信じられないのやけど、本当に、本当なのかなぁ。
明日には産婦人科に顔出す予定。
今のところ旦那には内緒だから、くれぐれも
《今の内に言っておきます。
プチ、おめでとうございます。
大事にしてください。》
翌日18日夕刻に吉川女史から秘密のメールが届きました。
《絶対に内緒だよ。
やっぱり赤ちゃんできてた。
今晩、旦那に言うつもり。
そのためにお祝いの食材を買ってきて、頑張って料理するヨーン。
実のところ、妊娠には全く気付いてへんかったから、優奈に言われなければ流産していたかもしれない。
実は、明後日、久しぶりに合気道の試合予定が入っていたんだ。
早速取り消した。
優奈には本当に感謝しているよ。》
《今度こそ、おめでとうございます。
私なんかよりもおなかのベビーを大事にしてください。》
《ありがとう。
優奈も大事なんだけど、来月上旬の渡航はやめておいた方がいいと医者から言われちゃった。
長時間の飛行機搭乗はこの時期やはり好ましくないみたい。
だから明日には祥子に訳を話して、ロンドンには祥子に行ってもらうつもり。》
《了解でーす。
陸上部の面々からも今日了解をもらいましたので、今からロンドン世界陸上参加の表明を真田さんに連絡入れます。
出場種目は、日程を考えて、なおかつ重複は避けると、100m、1500m、七種競技、4×100mリレーに4×400mリレーにします。
陸連やIAAFから別途の要請があれば再度検討します。
吉川さんのことは、真田さんにも伝えておきます。
佐伯先輩の了承が得られたなら吉川さんから真田理事に別途連絡をしてください。
渡航手続きを進める都合があるでしょうから。》
《全て了解。じゃぁ、またねぇ。》
優奈は、その後すぐに真田女史に電話を掛け、世界陸上参加と出場予定種目を告げました。
更に吉川女史のおめでた確認を告げ、明日ぐらいには吉川女史が佐伯祥子女史の確認を取ってから真田女史に連絡するだろうことを伝えたのです。
真田さんからは第二報への感謝の言葉とともに吉川女史の妊娠について感想が返ってきました。
「そう、やっぱりおめでただったのね。
私の姑さんが、私よりも先に私の妊娠に気づいたことがあったけれど、差し詰め優奈ちゃんは小姑というところかなぁ。
本当に身近な人なら些細な変化に気づくものなのね。
でも、早めに気づいて上げて本当によかったわ。」
その日から優奈の英国渡航に向けて様々な人物が一斉に動き出していたのです。
7月21日ユニバー競技場でユース地区予選が開始されました。
優奈は、3000mと、4×100mリレー,4×400mリレーの三種目に出ることにしています。
優奈は、3000mの順位ではなくタイムにこだわるつもりでいるのです。
第一日目、0950から高校一年生の3000mが始まります。
その後1005からは二年生の3000mがあります。
集合時間は競技開始25分分前の0925になっているのです。
出場選手は全部で21名なのですが、優奈の顔を見て驚いている者もいました。
優奈は、既に県下では有名人ですから、ほとんどの者が顔を知っています。
でも、まさか優奈が3000mにエントリーするとは思っていなかったのでしょうね。
スタート時、優奈は例によってコースの一番外側に位置しました。
号砲が鳴って一拍おいてから優奈が走り始めました。
その様子はしっかりとカメラに捉えられていました。
テレビカメラの撮影者は、誰を狙うべきかしっかりと指示を受けていたに違いありません。
何故なら、他の選手を無視して優奈を中央に入れるアングルだったからです。
そのカメラマン若しくは指示を出したディレクターの狙いは間違っていませんでした。
優奈は一番外側のコースを50m近くも独走し、それからインに入って、先頭を走り始めたのです。
優奈がインに入り込んだ時点で、後方の先頭集団との差は20m近くもあったのですが、その差が徐々に開いて行きました。
他のランナーは400mを80秒近くかけて走っているのに、優奈は一周400mを58秒で走り抜けているのです。
そんなわけで、一周目で二位グループとは100m以上の差が開きました。
800mのラップタイムは1分56秒22とやや落ちたのですが、依然として驚異的な速度なのです。
一番遅いランナーは400mに1分25秒程かかっており、優奈は二周目でこの最後部のランナーを外側から追い越しました。
優奈としては安全策を取るために丸々一コース空けて外側を抜いて行きます。
三周目が終わるまでに半数以上を追い抜き、四週目の最後の頃には二位グループすら外側から追い越していました。
優奈のラップタイムはほとんど変化せずに推移し、最後部を走っていたランナーを含めて数人が二度追い抜かれていました。
優奈がゴールに入った時には、7分25秒43という世界記録を打ち立てていたのです。
これまでの記録は8分6秒01でした。
男子の世界記録は7分20秒台でしたが、僅かに5秒内外の差なのでした。
仮に他の選手が優奈の邪魔にならなければ、もっと良い記録が生まれていたかもしれません。
第一日目のこの他の優奈の出場予定は1525から4×100mリレーがあるだけです。
ユース地区予選の場合、予選は無くタイムレースなのでいきなりの決勝なんです。
4×100mリレーについては、短い間ながら、出場選手の強化を若干行っていました。
二年生の音羽恵子先輩のダッシュ時の走りを少し変えたことと、80m以降の踏ん張りを手の振りでカバーするようにちょろっとアドバイスしたら、音羽先輩のタイムが0.3秒程上がるという良い結果につながったのです。
同様のアドバイスを個別に行って一年生の野塚由美と辺見理子の二人合わせて0.5秒の短縮に成功していたのです。
その結果46秒87というこれまでにない好成績で一位に入賞したのです。
因みにユースには三年生は出られないので、矢島佳那先輩に代わって音羽恵子先輩、四井美弥先輩に代わって野塚由美が出場するようになったのです。
同じく三年生主体であった4×400mリレーも、編成替えされ二年生の小柳美佐子先輩、同じく二年生の十河由香先輩、一年生の山東美智子にメンバーが入れ代わったのです。
22日の4×400mリレーでも兵庫選手権よりは成績が少し上がったのですが、二位に終わっています。
優奈以外の三人ともにスタミナが足りず後半に伸びないのです。
いずれ選手を変えるか、練習方法を変えるかの選択をしなければならないだろうと優奈は考えています。
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