第29話 救いの声

 ワシ模型店は5階建てのビルに、玩具と模型と血と汗と涙をつめこんだ聖地であり修羅場でもある。


 最上階にはラジコンからミニ四駆などの各種専用サーキットが充実しており、スピードの向こう側を越えようと意気込む野郎どもの阿鼻叫喚がこだまするカオスルームと化していた。

 

 ここに来たのは何年ぶりだろうか。

 施設は刷新されて充実の一途を辿っても、賑やかな雰囲気は変わらない。

 

 飛鳥も父に連れられて何度も足を運んだものだが、夢中になっていたのは父の方で、実をいうとあまり得意な場所ではなかった。

 行きたくなかったわけではない。

 本当は一日中ここにいたかった。目的もなくうろちょろするだけでも飽きないし、子供らと一緒になって騒ぐ父を見るのが楽しかった。


 ただあまりにも騒々しく、長居することは不可能だった。真聴覚という呪いのスキルが言葉と音をすべて拾ってしまって耐えられない。


 父も息子の様子がおかしいことに気づいて、いつの間にか来なくなり、趣味のラジコンも作らなくなった。

 自分の存在が父の楽しみを奪ってしまったことが心苦しかったが、その事について謝ることもできぬまま、家を追い出された。


 もしかしたら父が待っているかもしれないという期待に胸を躍らせながら、店に入ってすぐこの階にやって来たが、


「どう、いた?」


 目を輝かせるハルに対し飛鳥は曇った顔で首を振る。


「そう……」


 ワシ模型店はバリアフリーもしっかりしているので、ハルが使う重量級の車椅子も難なく店内で動かすことができる。


 ハルはついてきてくれたが、星野桃子は店に入ろうとしなかった。

 理由は言わなかったが、その外見を気にしていることとはすぐわかった。


 子供の悪意のないからかいや指摘はしんどい。

 店に入りたくないという彼女の気持ちがよくわかる。

 今だって大きなヘッドホンをつけた自分を見る子供たちの視線はきつい。


 しかしハルは他人の眼差しなどまるで気にしない。

「何ジロジロ見てるの? ひいちゃうわよー」

 と子供たちと戯れることまでしていた。


 父の姿が見えないことで落胆する飛鳥をハルは励ます。


「ここの階じゃないかもよ。人が多すぎるもの」

「そうなのかな……」


 だんだん確信が持てなくなってきた。

 父がいるとすればここしかないと思うのだ……。

 

 さらに、星野桃子のメッセージがハルのスマホに飛び込んできた。

 中身を見て舌打ちするハル。


「あの勘違い女が来るってよ」

「かんちがい?」

「歌川美咲よ。あいつほんとにお花畑よね。自分の枠にみんな押しこめれば、それが平和なんだって勘違いしてる」


 悪態をつくハルだが、飛鳥は美咲の行動力に驚かされていた。

 善意の暴走という言葉は歌川美咲にこそ当てはまるが、暴走が悪いことだと思えなかったりもする。

 動かなきゃ始まらんというのが父の座右の銘だった。


「あいつは私がなんとかするから、あなたは気が済むまで探しまわって。なにか絶対起きるはずだから!」


 ハルには確信があるらしい。


「前にも言ったでしょ? レガリアクリエイターは基本かっこつけなの。ドローンのメッセージなんて派手なやり方を本能でしちゃうのよ。どうせあなたのお父さんなんか、奥さんにサプライズで部屋一杯になるくらい花を買っちゃう人でしょ」


「なんでわかるの……?」


 ハルはエレベータに向かって車椅子を走らせながら不敵に微笑む。


「あなたを見てりゃわかるって」


 下の階に降りていくハルを見送った後、飛鳥はもう一度サーキットに近づく。


「飛鳥くん! 飛鳥くんだね!」


 背後から声をかけられて振り返ってみるが、そこには窓ガラスしかない。

 周囲を見回しても、声をかけてきた人はいないように見える。 


 澄んだ水のような綺麗な声がはっきり聞こえたんだけど……。


「俺は君の近くにいない。わかるだろ。君にしか聞こえないんだ。昇さんの言うとおりだった。俺の声なら君に届くって。神武学園に近づけば桐元に気づかれる。こういう手段をとるしかなかった。ああ、気づいてくれて良かった……」


「そうだったんですか……」


 声の主はこのビルの中にはいないのだ。

 飛鳥の真聴覚を利用して、どこか遠くの場所から飛鳥に呼びかけている。

 ということは声の主はある程度の事情を知る関係者だ。


 父は飛鳥の真聴覚スキルを徹底的に調査して、障がいを無くす、あるいはヘッドホンをつけなくても暮らせるよう、日々模索していた。

 その過程で、飛鳥にとって特に聞き取りやすい声や音があることを発見したが、そんなことがわかったってどうだっていうんだと頭を抱えていたのを思い出す。

 まさか父の発見がこんな所で役に立つとは……。


 とにかく声の主は、飛鳥が来るか来ないかわからない状態でここ数日待っていてくれたのだ。

 声の主が何処にいるのか窓の外をうかがうが、


「動いちゃ駄目だ! 誰が見ているかわからない。適当にスマホをいじってる振りをして俺の言葉には一切反応しないでくれ」


 言われたとおりスマホを取り出し、ミニ四駆の改造動画などを再生する。


「それでいい。俺は社長、じゃなかった昇さんの部下で金村かねむらという。これから昇さんの伝言を伝える。いいね」


「は、はい」


 つばを飲み込む。


 いきなりの急展開に体がガチガチになるが、金村も緊張しているのか、ぶはああと大きな深呼吸をする。


 彼が話すたびに声が反響していたから、おそらくビルとビルの間の狭い道から飛鳥を見ているのかもしれない。


「昇さんが俺たちと進めていたプロジェクトが葛原十条に悪用される危険性が出てきた。逆らった昇さんは軟禁状態だ。しかもあのじじい、君を勝手に外に放り出して、言うことを聞かなければ君を殺すと昇さんを脅迫してる」


「……!」

 スマホを落としそうになるのを慌ててこらえる。

 

 飛鳥にとって両親は人質。

 両親にとって飛鳥は人質。


 桐元が言い放った言葉の重みが肩にのしかかってきた。


「このままじゃいられない。葛原十条が2日後に永田町で大物政治家と会食するって情報をつかんだ。この隙を狙って昇さんはイギリスに逃げ込むつもりだ」


「イギリス……」

 父が留学していた国だが、つまり亡命しようとしているのか? 

 自分が知らないところで父がそこまで追い詰められていたなんて。


「あらかた準備はできてるが、一番大事なのは君だ。2日後の早朝4時。製作所の第2空輸港で昇さんが君を待ってる。15番ゲートから入ってくれ。すぐ近くにジェット機がある。それに乗り込むんだ。わかったらその場から離れてくれ」


 歩き出す飛鳥の耳に金村の声が響く。


「頑張れよ。あと少しの辛抱だ」


 その言葉は飛鳥の胸を熱くさせたが、その直後に聞こえてきた音が彼の背中をざわつかせた。


 たくさんの足音。

 金村のものではない。

 皆が駆け足で同じ方向に移動していく。

 そして決定的な声。


「追え、逃すな!」

「一人だ。楽勝だな」

「ばか、油断するな。葛原の元社員だぞ」


 もう金村はいなくなったはずだし、誰かが飛鳥に話しかけているわけでもないのに、金村がいた場所で飛び交う他人の声を飛鳥は聞き取ることができた。


 日増しに研ぎ澄まされていく飛鳥の真聴覚スキルではあるが、今はそんなことに喜ぶどころか気づきもしない。

 自分のために危険を顧みずやって来た金村が大変な事態に追い込まれたことに飛鳥はショックを受けていた。


「大変だ……」


 さて、迫る歌川美咲を何とかすると言っていた衛藤遥香は何をしていたのか。


「ほーら、追いついてみなさい!」


 広い店内を颯爽と走り抜ける車椅子。

 人と人の狭い空間を見事なコーナリングでくぐり抜けていく。


 そして真っ赤な顔でハルを追いかける美咲。


「待ちなさい! 行儀悪いわよ!」

  

 何とかするとは、つまり車椅子を使った鬼ごっこを仕掛けるという実に子供だましのワザだったのだが、美咲はまんまとハマっていた。


 ワシ模型店の店長は車椅子で走り回るハルを苦笑いで見つめる。


「困るなあ。レースするなら上の階でやりなよ」

「その反応はどうかと思いますが、とりあえず申し訳ないっす」


 ハルの尻拭いをさせられて何度も頭を下げる星野桃子。彼らの目の前をハルが通り過ぎていく。


「翔べ、ガンダム!」


 棚に陳列してあったガンプラの完成品がハルの魔法で浮き上がり、一斉に美咲に襲いかかる。


「いやっ、なにこれ!」


 ガンプラの大群につつかれる美咲。 

 店内を飛び交うガンプラや戦艦ヤマトの姿を見て客達が一斉に歓声を上げる。

 そういうたぐいのショーだと思っているらしい。 


 それを見た店主やスタッフも大喜びでスマホ片手に雄叫びを上げる。


「こりゃあいい、バズるぞ!」


 ハルのせいでお祭り状態になった空間でも星野桃子は冷静だった。


「この店には馬鹿しかいないのですか……」


 そしてもう一人、冷静を通り越し、冷酷な顔をした女がいる。


 歌川美咲に同行した生徒会の一人であり、ドリトルのスパイでもある、新藤青だ。


 誰にも見られないよう店の隅でスマホの画面を凝視しているが、とても物騒なメッセージが流れていた。


『金村、まだ逃走中』

『距離は縮まっている、逃げ場はない』

『射殺の許可を求む』

 

 そのメッセージに南翔馬が即座に答える。


『殺しはノーだ。聞きたいことが山ほどある。毒で動きを止めて絶対に拘束しろ。気取られるな』


「あんた、裁判にいたわね」


 気配を消して近づいていたハルに話しかけられ新藤は思わずビクッとしたが、動揺したのは一瞬。すぐに機械のような顔に戻る。


「私は書記です。当然います」

「ふーん」


 ベルエヴァーとハルの関係性になぜか気づいている新藤を、ハルはすでに疑いの眼差しで見ているが、まさかドリトルのスパイとまでは思っていない。


「あんなのに付き合わされて苦労するわね」

 

 ただそれだけ言った。

 泳がせておけば面白そうだと思っただけなのだが、妙に余裕ぶったハルの顔が新藤には不気味に思えた。

 まさかばれている、いや、そんなことはない。

 この私がそんなへまをするはずない。


「私は……」

「ハルちゃん!」


 飛鳥が血相変えてハルの車椅子にしがみついた。


「お、会えた?」

 

 飛鳥は首を縦に振ったが、すぐ横に振り、今度は頭をかきむしった。

 要するに焦っている。


「ぼくのために大変な金村さんが伝言で襲われて父さんが永田町!」


 はあ? と首をかしげるハルに対し、金村、襲われてという2つの言葉を聞いた新藤は気づかれたと驚くが、何とか表情には出さなかった。


「ねえ飛鳥ちゃん、ちょっと落ち着きなさいよ……」

「助けなきゃ!」

  

 車椅子の手押しハンドルを握って走り出す飛鳥。

 店を出て行く2人を見て桃子は、


「今度は何ですか?」

 とあくびをしながら後を追う。

 そして美咲も追いかける。


「あ、あなたたちっ! 待ちなさーい!」

 

 そして新藤は4人が店を出たのを確認するや、上司にメッセージを送った。


『衛藤と葛原が気づきました。金村を助けると言っています』


 返事はすぐに来た。


『面白い。葛原の聴覚スキルか。予想はしていたが、身体の成長と共により研ぎ澄まされているようだ』

 

 そして南はすべての部下にメッセージを送った。


『戦いの準備はできているね?』

 

 ロケットパンチの絵文字付き。

 時々見せる南の気色悪い愛嬌に部下はついていけないときがある。

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