Episode3-36 双鬼の祭り

 手癖で髪を整え、水で顔を洗う。


 五指をほぐし、キュッと手袋をはめる。


 隊服を羽織って、ズボンのベルトを締めれば準備は完了だ。


「……こんな時でもお前は元気そうで安心したよ、愛棒」


 ある意味、普段通りで安心する。


 昨晩はなかなか寝付けず、【剣聖】様の言葉の意味を考えていた。


 先代【聖女】様の胸に詰まっている愛と希望。


 それはお二人が愛し合っているからこそ感じられるものなんだと俺は思う。


 少なくとも昨日の俺は聖女様のおっぱいは柔らかいことしかわからなかった。


「……本当に揉んだんだよな……」


 ここ数日間で非現実的な経験を積みすぎている。


 少し前まで聖女様など手が届かぬ遠い存在だったのに、今や五指がはっきりと肌の柔らかさを覚えていた。


 ……変なところで感覚が研ぎ澄まされているな、おい。


「ルーガ先輩、中に入っていただいて大丈夫です」


「ああ、ありがとう」


 マドカに呼ばれて、部屋の中へ。


 椅子に座った聖女様がシスターに髪を梳いてもらっている。


 毎朝見ていたこの光景も今日で見納めだ。


「どうでしょうか、聖女様」


「ええ、問題ないわ。ありがとう、ライラさん」


 窓から差す太陽の光が後光のごとく、聖女様をきらめかせる。


 ベール越しでも、その瞳の力強さは伝わってきた。


「おはようございます、みなさん。こうしてみなさんと食卓を囲うのも、今日で最後だと思うと寂しいですね」


「そんな悲しいこと言わないでください。聖女様に呼ばれたなら自分たちはいつでも行きますよ」


「ルーガ先輩と同じです。私たちは【聖女近衛騎士】ですから」


「私も……! よかったら、またこのメンバーで集まりたいです」


 この数日間、一日のほとんどを共に過ごした俺たちの間には深い結びつきが出来ていた。


 その縁を仕事が終わったからと切り捨てるのは、心が寂しさに駆られる。


 全員が穏やかな笑みを浮かべており、その様子を見て聖女様も微笑んだ。


「あなたたちを選んだ私の目は間違っていなかったみたいです。では、そうですね。この【剣舞祭】が終わった後、また集まってお茶会でもしましょう」


 その言葉は暗にこう告げている。


『生きて帰りましょう』と。


 目の前の聖女様の微笑みも、マドカの決意を秘めた凛々しさも、シスターの未来へ思いを馳せる笑顔も。


 命がけで全てを守り切ろう。


「そのためにも」


 聖女様は手を組むと、祈りをささげるポーズをとる。


「今日をしっかりと終えましょう。私の命をあなたたちに預けます」




「そして、見届けましょう。若き情熱のぶつかり合いを」




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 全ての生徒が4年間の努力の結集をぶつけ合う大会はゆっくりと確実に終わりに向かっていく。


 ただその間も俺たちはこれまで通りを意識して過ごした。


 会場で己の持てるすべてを賭して戦う生徒たちを眺め、時にシスターの淹れてくれた紅茶を飲む。


 聖女様に来年の有望な聖騎士候補生について意見を求められれば、マドカと共に意見を述べた。


 だけども、カチリと時計の秒針が進む音が次第に大きく聞こえる。


 それをかき消したのは観客席の大歓声と万雷の拍手。


『決まったー!! 最後も圧勝!! 昨年のルーガ第六番団副団長に続いてミツリ選手、【加護】を使わずに頂へと上りつめたー!!』


 最後まで膝をつかなかった少女が笑顔を振りまいている。


 ミツリは俺たちの方へ向くと、ピースサインを掲げた。


「……決まりましたね」


 そんな彼女たちの笑顔を奪わせてしまうことは絶対にさせない。


「ええ。それでは向かいましょう――戦場へ」


 そして、【剣舞祭】は最後のプログラムへと進む。


 観覧席を離れ、会場へと続く道を歩いていく。


 異様だったのは、その道中だ。聖騎士たちがズラリと並び、会場までの進路を作り上げていた。


 彼らは聖女様に万が一の危険がないように守っているだけなのだろう。


 ジャラクはその気持ちを利用して、聖女様が途中で逃げないように仕向けたのだ。


「私の騎士」


「必ず仕留めます」


「わかっているなら問題ありません」


 怒っているのは聖女様も同じなのだ。


 誉ある聖騎士たちの尊厳を踏みにじる行為。


 誰よりも聖騎士隊を想う聖女様にとっては最大の侮辱だろう。


「な、なんだか落ち着きませんね」


 聖騎士たちの圧は確かにすごい。


 ただ俺からすればシスターの乳圧の方が凄いと思う。


 彼女は姿勢正しく胸を張って歩いているので、今日も豊満なおっぱいが元気満々だ。


 その上に載っているロザリオを見て、念押しをしておくことにした。


「シスター。ロザリオに付与した俺の【加護】の使い方、覚えていますか?」


 万が一の可能性を考慮して、彼女の隣で小声でささやく。


「ロザリオを握って【お金玉公】のお名前を口にすればいいんでしたよね」


「その通りです。誤作動しないようにだけ気を付けておいてください」


「わかりました。表彰式を台無しにするわけにはいきませんもんね」


 頷いた俺はまた聖女様の後ろへと戻る。


 これでシスターへの対応も終わった。あくまで注意喚起として彼女は受け取っただろう。


 それでいい。こんな足が地面にベッタリとくっついているかような緊張感を味わうのは酷な話だ。


 自分の命のやり取りは慣れた俺でも未だに体が自分のものじゃないと錯覚する。


 これが実質的に対外任務が初めてのマドカはもっと苦しんでいるに違いない。


 しかし、この経験も間違いなくマドカの糧になる。


 だから、俺が彼女にできることは一つ。


「マドカ」


「……はい」


「頼りにしているぞ」


「っ……! はいっ!」


 準備は万端だ。


 いよいよ建物から青い空のもとへと俺たちの姿が晒しだされる。


 カルキア学園長が立っている大きな台が処刑台のように映った。


『それではただいまより聖騎士隊の長を務められる聖女様から優勝者へのトロフィー授与式を行います!』


 階段を上り、聖女様が壇上に立つ。


 聖女様がミツリの功績を褒めたたえる言葉を述べる。


 戦う覚悟はできている。


 だが、何も起きなければ良い。


 きっと警備にあたっている聖騎士全員がそう願っているだろう。


「ミツリ候補生、優勝おめでとうございます。来年あなたが聖騎士として活躍するのを楽しみに待っていますよ」


「ありがとうございます。必ずボクは聖女様のお力になると誓います」


 トロフィーが聖女様の手からミツリに渡り、何事もなく無事に終わる。


 誰もがホッとした瞬間、背筋が冷えつくような声が鳴った。


「おいおい、なに締めてんだよ」


 空に、二匹の鬼がいた。


 その奴らの頭上には黒い穴が開いている。


 嫌な予感がした。即座に聖女様の前に立つ。


 動き出していたのは俺を含め三人。


 マドカはシスターへと駆け寄り、カルキア学園長が剣を抜いていた。


「祭りは、これからだぜ」


 そして、穴から魔物の雨が降ってきた。

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