Episode3-16 地獄への第一歩

 時はさかのぼって二時間ほど。


 いつから俺は運命の罠にはまっていたのか。


 学園から帰ってきて、聖騎士御用達の高級宿に帰ってきた俺たち。


 完全に貸し切っており、この宿を使用するのは俺たち四人の他には宿屋の主人だけ。


 料理人ですら事情を説明して休んで頂き、俺たちが食する料理は全てお世話係のシスターが作っていた。


 一流のレストランの品々には及ばないものの、彼女の愛情こもったどこか懐かしい味のする料理に舌鼓を打ち、楽しい食事の時間を終えればお風呂。


 ……と言いたいところだが、その前に聖女様が着替えを取りに部屋に戻りましょうかと申し出た。


 聖女様のお部屋は一人で過ごすには十分すぎる大部屋で、ベッドも複数個置かれている。


 ちょうど4つ。……おかしいな。


 聖女様、シスター、マドカ。三つで足りるはずなんだけど……予備かな。ああ、きっとそうに違いない。


 だから、俺が持ってきていた荷物がここに置かれているのも気のせいだ。


「聖女様。主人が間違えて自分の荷物をここに置いているので、私の部屋に運んできますね」


「ふふっ、面白いことを言いますね。あなたの部屋はここですよ」


 まるで俺がおかしなことを言っているかのようにクスクス笑う聖女様。


 俺の部屋はここ。なるほど、女性陣と同室。


「……すみません、聖女様。もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか」


「わかりました。あなたが納得するまで何度でも言いましょう、私の騎士」


 ワガママを言う子供をあやすような声色で聖女様は告げる。


「あなたの部屋は私と同じこの部屋です。ここで私、ライラさん、マドカさんと一緒に過ごしてもらいます」


「はははっ、聖女様はご冗談がお上手ですね」


「…………」


「……えっ?」


 その無言がいちばん怖いです、聖女様。


 なんで否定してくれないんですか。


 俺の金玉がさっきから警報をガンガン鳴らしている。


 身体が禁欲の危険性を覚えて、教えてくれているのだろう。


 できれば俺もそれに従いたい。


 どうにかして自室を勝ち取らなければ、間違いなく【お金玉公】の名に恥じぬ日々を過ごす羽目になる。


「聖女様、落ち着いてください」


「私はいたって合理的な判断をいたしました」


「いいえ、私はそうは思えません」


 男には人生に三度負けてはならない戦いがあると言う。


 そのうちの一つが今だと自信をもって断言できる。


 たとえ相手が聖女様だとしても。


「私の最も近い場所に最高戦力を置く。なにも間違いなどありません」


「私は男です。聖女様に嫌悪感を与えてしまうかと」


「あなたは私の騎士。家族も同然。家族と寝るのはおかしな話ですか?」


「ですが……」


「それともルーガ副団長は私と同じ部屋で寝るのが嫌なのですか?」


 な、なんてズルい……!


 聖女様のような可憐な少女に上目遣いで尋ねられて断れる男がいるのだろうか。いや、いない。


 決して寝るのは嫌じゃないです。でも、金玉が痛くなるのは嫌なんです。


【剣舞祭】が行われる間ずっと横で悶々とした思いを溜めれば金玉大激痛は避けられない。


「どちらなのでしょう、私の騎士?」


 どっちを選んでも俺の未来は地獄。


 なにか……なにかこの窮地を乗り切れる突破口はないのか……。


 藁にもすがる思いでチラリと聖女様のそばに控えていた二人へと視線を飛ばす。


 それを受けて先に動いたのは暴走機関車マドカだ。


「聖女様。おひとつ提案がございます」


「なんでしょう、マドカさん」


「ベッドを全てくっつけて全員で雑魚寝する形にすればより家族感が増すかと。ルーガ先輩も頷きやすくなると思います」


 裏切りやがった!?


 俺を捨てて自分の願望を取りやがったぞ、あいつ!


 もう悪だくみしてるのが手に取るようにわかる。


 今すっごい悪い顔してるもん!


「なるほど。一理ありますね」


 どこに!?


『一緒の部屋で寝る』から『一緒のベッドで寝る』に悪化してますよ、聖女様!?


「では、ドアから遠い一番端に聖女様を。その隣にルーガ先輩を配置して、さらに私を置けば安全面でも問題ないかとーー」


「ちょ、ちょっと待ってください! ルーガさんの隣はわ、私がいいと思います!」


 待ったをかけたのはシスター。その顔は何故か真っ赤になっている。


 もう彼女が何かやらかすのは目に見えているが、それでも場を引っ掻き回してくれるのはありがたい。


 混乱に陥ればなんとか話を誤魔化せるかもしれない。


 頼む、シスター……! 頼れるのはあなたしかいないんです……!


「ほう……それは何故でしょう?」


「わ、私の体はよく同僚に下品と揶揄われるので! ルーガさんも魅力に思わないから聖女様の集中できると思います!」


「では、私、ルーガ副団長、マドカさん、ライラさんの順で寝ることにしましょう」


「聖女様!?」


 いや、シスター……これは聖女様の判断が正しいです。あなたが隣に来た方が俺の金玉はヤバいです……。


 シスターのおっぱいが顔の横にあるという事実だけで俺は寝不足に陥る。


 首を絞め落として失神するねるという手段も、聖女様を守る立場である以上できない。


 意識を完全に落としては足音や気配感知で起きれないからだ。


「あなたがいちばん危険です。ライラさんは私にない武器がありますからね」


「ぶ、武器……?」


「ええ。その点、マドカさんは比較的安全と判断できるでしょう」


「くっ……」


 彼女からすれば十分な戦果を得られたはずなのに悔しがっているマドカ。


 何の話題かはすぐにわかったが、口は挟まない。自ら火に飛び込むほど馬鹿ではないのだ。


 これで聖女様とシスターに挟まれるという理性をゴリゴリ削る布陣はなくなった。


 俺にとっての最悪は避けられ……いやいやいや、そうじゃないだろ!


 危なかった。思わず一緒に眠ることは受け入れるところだった。


「お待ちください、聖女様。せめて隣室でお許しいただけないでしょうか」


「……どうしてもダメですか?」


「申し訳ありませんが、こればかりは譲れません」


「……わかりました。であるならば仕方ありませんね」


「聖女様……!」


 俺の願いが通じた。


 やった……! 勝ったのだ! 俺は金玉の命を守り切った――


「【私の騎士。【剣舞祭】の間、あなたは私の隣で寝なさい】」


「――はい」


 ……え? いま俺はなんで返事をして……?


「ふふっ、そうですかそうですか。私の騎士もわかってくれて嬉しいです」


 自分の身に何が起きたかわからない。


 ただ気が付けば肯定を返していた。


 シスターだけでなくマドカまで顔を青ざめさせている中、聖女様だけはいつもと変わらぬ柔らかな微笑みを浮かべて、俺の手を取る。


「将来のためにも慣れておかないといけませんからね」


 その言葉の真意は状況を上手く呑み込めなかった俺には理解が及ばなかった。







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