飛び降り一歩手前

高3の夏、僕は今、


自らの命を断とうとしている。




学校の屋上からは地面がぼんやりとしか見えない。


一歩進めばもう2度とこの世に帰ってくることはないだろう。


お父さん、お母さん、今までありがとう。


最後まで世話をかけてごめん。


僕は死に向かって歩み出そうとする。




「ちょっと待った!」


大きな声で誰かに呼び止められた。



僕以外にはこの屋上に人の気配は無かったのに、一体誰が。


振り返って声の主を確かめる。


そこには僕が通っている学校の制服を着た、血が通っていないのかと思えるほど色白い肌をした女性が立っていた。


年は僕より少し上であるように思われる。



「ねえ君、今自殺しようとしてたでしょ?」


どうせ今から死ぬんだから隠しても仕方がないと思い、正直に話すことにした。


「ええ。でもあなたとは関係ないですよね?」


「まあね。君が自殺しようがしまいが私には関係ないし、君が死んでも私の心はこれっぽっちも痛まない。」


「じゃあ何で止めたんですか。」


「ん〜。何もそんなに急いで自殺しなくてもいいかなって思って。」



一体何なんだこの人。


関係ないなら邪魔をするなよ。


そんな僕の苛立ちなど気にする様子もなく女性は話を続ける。


「もう絶対に自殺するって決めてるの?」


「当たり前じゃないですか。そうでなければ屋上なんて来ませんよ。」


「じゃあさ、君が自殺したい理由を教えてよ。」


「どうしてですか。」


「いいじゃん。君が持っているのが自殺するのにふさわしい理由かどうか確かめてあげるから。」


「自殺するのにふさわしい理由、ですか…まあいいですけど。」



そうして僕が自殺する理由を話す。


「僕はこの学校でいじめを受けていました。

クラスのリーダーの立ち位置である人に標的にされて、殴られる蹴られるといった身体的なものから、いたる所で自分の悪口を言われるといった精神的なものまで全部されました。

どうして僕だけがこんな目に合わなくてはならないんだ。僕が何か悪いことをしただろうか。

そんなことを思う日々が続いていくうちに僕は疲れてしまいました。

親はそんな僕の様子に気づいてか、先生にいじめのことを話すよう僕に言いました。

僕は親の言葉に従って先生にいじめを訴えましたが、ロクに相手にされず、軽くあしらわれて終わりでした。

だから僕は思ったんです。こんな辛い日々が続くなら自ら命を断とうって。

それに僕が死ねばもうこれ以上親に心配をかけなくてすむ。

だから親のためにも死んだ方がいいって思ったから、僕は今ここにいます。」




女性は僕の話が終わるまで黙って静かに聞いていた。



そして僕の話が終わって彼女は口を開いた。



?」



聞き間違いだろうか。彼女は今僕が自殺したいと思う理由を『それだけ』と言ったのか?



「君はたったそれだけの理由で自殺しようとしているの?」


僕はカッとなって言う。


「それだけって、それ以上何があるんですか!

 僕はもう疲れたんですよ、お父さんにもお母さんにも心配かけて。だから今から死ぬんですよ!」


「そんな理由じゃ君の自殺は認められないよ。」


「どうして…」



彼女は話を続ける。


「まずいじめのことだけど、逃げちゃえばいいじゃん。いじめが辛くて疲れるなら逃げちゃえばいいんだよ。学校なんて行かなくていい。」


「でも、それじゃ親が心配するじゃないですか!」


「そもそも君はその考えが間違っていると思うよ。」


「その考えって?」



「君は自分が自殺すれば親の気持ちが楽になると思っているの?」


聞かれたくないことを、彼女は聞いてきた。


「それは…」




「君は親に心配をかけたくないし、迷惑もかけたくないんだよね?」


「…はい。」



「でも、君が自殺した方が親には迷惑がかかると思うよ。」


「…」


彼女の言葉に答えることができない。



「君が自殺したら君のお父さんとお母さんはどう思う?君が自殺したのは自分たちのせいだと思うよね?」


「違う!お父さんとお母さんのせいじゃ…」


「たとえ君がそう思っていたとしてもんだよ。」



何も言い返すことが出来なかった。


僕だって、自分が自殺しても親の気持ちが楽になることなんかないことは分かっていた。


でも、辛くて、疲れて、僕にはもう逃げる気力も残っていなかった。




「分かった?それでも君が親のために自殺するっていうなら…じゃあこうしよう。

君が自殺するのは親にとって迷惑なんだよ。迷惑だから死ぬなんて道を選んじゃダメ。」



迷惑だから死ぬな。


めちゃくちゃな話だとは思ったが、それと同時に間違っていないとも感じた。




「それにね、。」



僕には彼女の言葉の意味が分からなかった。


「どうして、どうしてですか。親に心配をかけるのはよくないことでしょ。」



「だって、君の親は心配をかけられることも含めて君のことが可愛いんだから。」



彼女は話し続ける。


「でも、子どもはそんなこと自分じゃ分からないよね。だから君には私から伝えておく。死んでからじゃ遅いからね。」




ずっと辛かった。逃げたかった。


けど、逃げたら親に心配をかけてしまう。


だから逃げられなかった、命を断つという行為で人生そのものから目を背けようとしていた。




でも、今僕の目の前にいる女性は親に心配をかけてもいいと言っている、逃げていいと言っている。




僕は逃げていいんだ。心配をかけていいんだ。



そう気づいた時、僕の目からは涙が溢れていた。





「もう自殺する気はなくなった?」


しばらくして、彼女が僕に聞く。


僕はうなずく。



「…あの、ありがとうございました。」


その言葉を聞いて彼女は笑った。


「そう、それでいいんだよ。」


彼女の言いたいことが分からずに首を傾げていると、彼女は笑顔で僕に言った。


「『』でいいんだよ。『ごめん』なんて一緒に言わなくていい。君がお父さんとお母さんに伝える言葉はありがとうだけでいいんだよ。」






その後僕は学校に行かなくなったが、今もこうして生きている。





僕は、飛び降り一歩手前で踏みとどまった。

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