第五十三夜 顔のない者

「安城さん、こんなネタが舞い込んできましたよ」

 編集部に届いた一本の電話、それはとあるお寺の住職からだった。

『いわくつきの心霊写真があるので話だけでも聞いてくれませんか?』とのこと。私(安城)が折り返して連絡すると、男性の声で日時と住所を教えてくれた。

「しかし、珍しいですね。お寺の関係者から売り込みが来るなんて」

「私たちが欲しいのはネタですからね。そちら側の事情というものは考えないことにしましょう」

 私は後日、『月刊フォボフィリア』編集のWさんと一緒にそのお寺へと取材に赴くと、出てきたのはひとりの住職、恰幅の良い体格、聞き覚えのあるその豪胆な声で電話してきた者とすぐに一致した。私たちは応接室へと案内され、そこに対面する形で座り、世間話もそこそこに本題に入った。

 その心霊写真というのはこういった経緯でやってきたという。


 写真を持ってきたのは若い女性だった。二十代前半くらいの背が高くて白いブラウスに黒のロングスカート、肩ほどの長さの髪が黒かったことを覚えている。そう、住職が覚えているのはそれくらいで、確実に見えていたはずなのに、どんな顔をしていたかについては全く記憶にないのだという。

 それから彼女を応接室に招き入れ、事情を聴く。差し出した一枚の写真は最近のもので、一見してもこれと言っておかしな点は見つからない。どこかの素朴な雰囲気の旅館の一室を映したものである。綺麗な畳の敷かれた和室に、ピカピカに磨かれた茶机、右の壁には滝の描かれた掛け軸が下がり、壺やちょっとした装飾品が飾られている。ひとの気配のない整然とした部屋である。

「これのどこか心霊写真なんですか?」

 住職は彼女にそう訊ねた。すると、彼女は静かにこう呟いた。

「そうですか。やはり見えませんか……」

 と落胆したように俯くのである。

 これには住職も困ったようで、しかし見えないものは見えないし、嘘を吐いても仕方がない。

「いったい、何が映っているんですか?」

「この部屋の奥に襖があるでしょう? 手です。そこから無数の手がこちらへ絡み合いながら少しずつ近づいているのです」

「無数の手……?」

 しかし、何度写真を見てもそんなものは確認できない。悪戯で言っているだけなんじゃないか? と女性の方へ顔を上げると、その姿はすでになかった。応接室にはいつの間にか住職ひとりが写真を手に座っているだけだったという――


「これが問題の写真なんですがね?」住職は桐の箱から一枚の写真を取り出した。「あなた方には何か見えますかな?」

 私とWさんは一緒になってそれを食い入るように見たが、その女性の言うような手というものはやはりどこにも確認することができなかった。どこをどうみてもただの部屋を映しただけのものである。

「Wさん……見えますか?」

「うーん……何も見えないっすね」

「ですよね……やっぱりこれ―—」私は写真を返そうと住職の方へ顔を上げると、住職は幻のようにぽっと消えていた。応接室には私とWさんのふたりが写真を手にして座っているだけである。

「え……? 住職さんは?」

「……消えましたね」

「安城さん、何でそんな冷静なんですか?」

「冷静に見えるだけで実はめちゃくちゃ心臓バクバクですよ? 触ってみますか?」

「いいんですか?」

「いいわけないじゃないですか。ふざけてるんですか?」

「それは安城さんが……!」

 と、あまりに突然のことで意味不明な会話をしていると、応接室の扉が開いて袈裟を着た若い住職が入ってきた。掃除でもするつもりだったのか、手にはモップやバケツが提げられている。眼鏡を掛けた細い目が見開くほどに驚いている。

「ちょっと、あなたたちこんなところでいったい何をしているんですか!」

 どうやら私たちを侵入してきた者たちだと誤解しているらしい。

「すみません、私たち蓬文社という出版社の者でして、この前電話でこちらに取材の申し込みをして、本日お話を聞かせていただけるということで伺ったのですが、先ほど応対してくださった住職さんが急にいなくなってしまって……」

 そう事情を説明したが、その若い住職は納得してくれなかった。

「今日はそんな予定があることなんて聞いていませんよ。日時をお間違えになられたんじゃないですか?」

「そんなはずは……ほら、ここに恰幅の良い住職さんがいらっしゃるでしょう? その方にこの写真を見せてもらったんです。とある女性の訪問者から受け取ったという……」

「悪いですけど、うちにはそんな住職はいません。皆痩せていますから。いいから出て行ってください。でないと警察呼びますよ?」

 あえなく、私たちは寺を追い出された。


「いったい何だったんですかね」

 帰り道、まるで狐につままれたような気分だった。

 確かにあの寺で起こったことを現実的に説明することは困難だ。写真を見ていた十数秒の間に音もなく気配を消すことなんて不可能だ。それにあの若い住職の言うことが本当であれば、もともと消えた住職は存在していないことになる。では私の取材の電話に対応したのはいったい……? それに、私にはもう一つ不可解な点があった。

「Wさん、この写真を見せてくれた住職の顔、思い出せますか?」

「え、あの……ほら、あれ……? どんなだったっけ?」

「私たち、確実に顔を見ているはずなんです。でも、どんな顔をしていたのか全く思い出せないんです。住職の話にあった女性の顔が思い出せないのと同じように。これは謎ですねえ」

 Wさんは恐怖におののいたような顔をしていた。

「大丈夫ですよ。私はWさんの顔忘れてませんから」

「安城さんに忘れられたら、僕これから誰も信じられませんよ」

 いまもその心霊写真は編集部に保管してある。

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