第229話 初日

「疲れました。」

「リース伯爵令嬢は、こういったご経験は。」

「残念ながら。」


最初の宿泊予定地は、領都を出てから7時間ほど。

馬車の移動速度が、これまでよりも早いようだったので、どの程度の距離を進んだかは分からないが、地平線もないというのに、あの大きな領都は白い靄の中に消えてしまっている。

思えば、このもやは一体何なのだろうかとか、そういった事を考えないではないのだが、それよりも今は、呼ばれて何事かと思えば、だらしなく机に突っ伏している令嬢の相手が先だろうと、オユキは意識を戻す。


「たった半日座っているだけでしょう、そんなことを言い放った自分を叱りつけたい気分です。」

「揺れますし、窮屈ですからね。」

「ええ。思えば本当に文字通り座っているだけ等、そうそうなかったと、今更に気が付きました。」


少年たちは、前回の旅では合間合間に休憩をはさんでいたため、ここまでにはならなかったし、今回は前回の経験があるため、だるそうにはしているが、ここまででもない。

ただ、新たに加わった子供たちは、こちらの令嬢よりも露骨にぐったりとしていたが。


「道中、一度馬車から降りて、十分ほど外の空気に触れるだけで、だいぶ変わるかと思いますが。」

「かといって、そのために護衛の手を煩わせるのは。」

「その程度、何程の事もありませんよ。」


席についているのは、オユキとメイ、それから護衛の女性騎士とアイリス、見た目は女性の4人が集められている。


「アイリスさんは、傭兵としての意見はありますか。」

「あなたも。ここは私的な場ですから、口調は気にしなくて構いませんよ。」

「雇い主の前ですから。」


お茶会の席で、周囲には数人警備に立っているが、私的な場である事には間違いないのだろう。

そうでもなければ、彼女が机に上体を預けることはないのだから。


「そうですね、十分程度でしたら、それこそ日程の調整も必要ありませんから、問題ありませんよ。

 長時間の移動がお辛いようでしたら、目的地への到着を遅らせて、途中でまとまった時間の休憩を取っても構いません。」

「私たちは、以前領都に来る時は、間に馬の休憩も含めて2時間ほど、休みを入れましたね。」

「経由する村が少ない場合はそうですね。今回はリース伯爵から経路の指定もあり、休憩を入れずとも移動できる距離ですから。休める場所でゆっくりと、そういった予定を組んでいます。」

「ええ、道中の村や町の様子を見るのも、大事な勤めですから。

 それにしても、そうですね、明日は一度間に小休止を入れてください。それで変わらなければ。」

「畏まりました。」


そういってアイリスが頭を下げるが、実際には護衛としてついている傭兵の誰かが全体へ共有することになるのだろう。

彼女はまだしばらく席を立つことができないのだから。


「これまで、町の外に出られたご経験は。」

「馬に乗って、結界の中を少し、といったところですね。」

「だとすれば、魔物の領域、その緊張もあるかもしれませんね。」

「いえ、護衛を信頼しています。」

「それと、緊張は別物ですよ。」


そう、オユキが護衛の女性騎士に水を向ければ、彼女もそれに頷く。


「お嬢様の信頼は有難いのですが、それとこれとは話が違いますから。

 ご自身が、魔物の領域にいる、その事実が蝕むものもあるのです。我らがお守りしようとも。」

「そういう物ですか。」

「ええ。馬車の中のご自身を思い出してください。ああも体を固めて座っていると、それはさぞお疲れになるでしょう。」

「そうですか。少しは、戦いも学んでおくべきだったかしら。」

「こちらの高貴な方々は、そういった心得は、あまり身に着けないのですか。」


オユキはこれまでにあった貴族を思い返し、その誰もが所謂文官とそう分かる相手だったなと考える。

もしかしたら、あの時教会にはそれ以外の相手もいたかもしれないし、女性騎士に関しては、間違いなくそういった出ではあるのだろうが。


「よりけり、ですね。私と言いますか、リース伯爵家は法衣ですから。」

「伯爵家でも、領を持たないのですね。」

「それこそ、家によりけりですね。当家は先代マリーア公爵家から別れたばかりの新設ですから。」

「そうなのですか。」

「ええ、それもあって、当家は文官よりですね。元々公爵領を割る形で納める、そのための家ですから。」

「成程。」

「子供のころは、騎士に憧れたりもしましたが、生憎時間が。」

「武官の家でもなければ、訓練に十分な時間は取れませんよ。それよりも統治に必要な学を身に付けよと、そう言われるでしょうね。ご兄弟がいれば、話も変わりますが。」


どうやら、彼女は一つ種らしい。

また、護衛の女性騎士の気安さを見るに、恐らく彼女が憧れの対象であったか、それとも付き合いがないかなのだろう。


「なんにせよ、少しは鍛えておくべきでした。」

「お嬢様は、まだ運動をされている方でしたよ。ご自分で馬にも乗れますから。」

「学友の中には、確かに本の虫というのもいましたが。」

「ええ、研究に熱を上げる方の中には、歩くだけで息が上がるほどの方もいますからね。」


そうして、話しているうちに、多少は具合も良くなってきたのかメイがどうにか上体を起こして、椅子にきちんと座る。


「一先ず、明日は先ほど話したように。」

「ええ、良い方法を探しましょう。」

「途中で休んで、危険はないのですか。」

「そのための護衛ですから。」

「他の使用人たちは。」

「彼らはお嬢様よりも体力はありますから。」

「これでも、侍女として務めは行っていたのですけど。」


そうして、メイが深々とため息をつく。

公爵付きの侍女と、その使用人、どちらがより肉体労働を行うかと言えば、まぁ後者だろう。

彼女には、伯爵家令嬢としての肩書を使わなければいけない、そんな相手の対応が求められたのだから。


「それにしても、ここは、まだまだこれからですか。」

「新設の村ですからね。確か、半年ほど前でしたか、壁が完成したのが。」


今いる村は、領都からあまり離れておらず、村とどうにか呼べる程度の物でしかない。

壁は整備されているが、人口は2000人いるかも怪しいと、そんな村だ。

あちこちには資材が積み上げられ、それを運ぶ人や、それを使って建造物を作る、そんな音が響いている。


「領都にしても、土地に余裕はあるように見えましたが。」

「ええ。壁そのものを拡張すれば、さらに広げられますし、土地は確かに余っています。」

「とすると、こうして、わざわざ離れた場所に村を作るのは、少々理に合わないように思えますが。」

「ああ、オユキさんは異邦の方ですものね。

 領主には、神に与えられる勤めがあるのです。」


そう言われれば、オユキも気が付く。

どうやら、これが、その勤めなのだろうと。

村や町を新たに作れと、それが神から与えられる仕事というのも、不思議な気はするのだが。


「村、いえ、新しく拠点を作る事が、神々から指示されるのですね。」

「拠点、ええ、そうですね、拠点です。新年祭の折に、領主へと新たに作る数、それが伝えられます。」

「こちらの、領主様は、なかなか、大変そうですね。」

「ええ、作ったは良い物の、維持が出来なければ、やはり神々から功績を頂けませんから。」


それはつまり、公爵も今回の件で、少し問題があったという事だろう。

引責となるのだろうが、と、そう考えて、そこで短剣かとオユキも思い至る。


「ああ、それでリース伯爵令嬢が、私達と一緒に移動を、そうなったのですか。」

「オユキさんは、私達とも十分に話が出来そうですね。」

「礼儀作法に疎いですから。となると、今代官をされている方は。」

「しばらくは私の教育役、父が到着すれば、正式に伯爵領となりますので、当家に仕えるか、公爵家に仕えるか、それ次第ですね。」

「引継ぎは、まだ先ですか。」

「流石に、領民もいますもの。早くても数年はかかるでしょうね。」


そういって、メイはため息をつく。

伯爵本人が来る迄、彼女はそれこそ引継ぎと、今後の方針に合わせた施策と、行わなければならない業務が実に多くあるのだろうから。


「あのあたりだと、名産は、やはり河に依るものかしら。」

「馬車のお礼にと、あの子たちが今度取りに行こうと、そう話していましたよ。」

「あら、有難い事ですね。他には、森から、何か取れればいいのですが。」

「果物の類があるとか。採取者ギルドもあると聞いていますから、そちらで聞いてみるのもよいかと。」

「そうですね。」


そうして、そのまましばらく、オユキはメイとの茶会で雑談を続けた。

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