第191話 公爵家の遣い
翌朝、トモエとオユキが目を覚ますと、てっきり夢に呼ばれるか、そんなことも考えていたが、なに毎もなかった。
ただ起きてみれば、酒の礼、そういう事なのだろう。柄頭に変わった模様が入った、そんな短剣が一本置かれていた。
「こちらが、お酒の礼と、そういう事でしょうか。」
「枕元に短剣を置かれると、いつでも殺せると、そう示されているようで。」
その短剣を見ると、どこか不機嫌そうにするトモエに、それを視界から外れるようにオユキが持ち、検分しながら尋ねれば、そんな答えが返ってくる。
どうやら、矜持に振れる物があったようだ。
「神ですからね。それこそ我々の理の範疇外でしょう。
さて、お酒の礼とのことですから、公爵様の遣いにお渡ししようと思いますが。」
「ええ、そうしましょう。私たちは、やはり短剣を使いませんし。」
「イリアさんから頂いた物は、流石に折を見て使おうとは思うのですが。」
そうして、オユキは鞘から刃をわずかに覗かせる。
見た目は武骨なものではあったが、その刀身はわずかに赤色を、角度を変えて、光を当てれば、赤い光を返す、そんな不思議な物であった。
「面白い刃ですよ、トモエさん。」
オユキが再び鞘に戻して、トモエに渡せば、トモエも刃をのぞかせながら、矯めつ眇めつしている。
「これは、確かに面白いですね。人に贈る予定がなければ、試してみたいものではありますが。
それにしても、オユキさん、やはり酒量は難しそうですね。」
「ええ、グラス一杯で、あの有様でしたから。」
昨夜解散の直接の原因となったのは、突発的な出来事に疲れたからというのもあるが、オユキが酔いと眠気に負けたからというのもある。
グラス一杯、あの後に少し傾ければ無くなり、そのあとは、もう駄目だった。
身体を起こしておくのも難しいほどに、眠気が襲ってきたため、その場はお開きとなりオユキはトモエに運ばれ、ベッドに寝かされたと思えば今に至る。
「ただ、あれくらいならと分ったこともありますから、折に触れて試すのもいいかもしれませんね。」
トモエからのお許しが出たことをオユキは非常に喜ぶ。
「ええ、量と頻度は控えますね。」
「お好きでしたしね。こちらでも口に合いましたか。以前は飲んだ直後でしたから。」
「前はワインはあまり口にしませんでしたが、昨日の物は確かに美味しかったですね。
渋みに負けないほのかな甘みと、強い香り。すっきりとした飲み口。いい物でした。」
「特別上等なものと、私もそう思いますよ。さて、今日は服の採寸が終われば、あの子たちを向けに行きましょうか。」
「そうですね。さて、昼頃とは聞いていますが、それまで何をしましょうか。」
オユキはそういって、少し考える。
しかし客が来る、時計のない環境で、時間もはっきりしていない、その上待たせることが失礼に当たる相手と来ている。
「出かけるわけにもいきませんからね、のんびりしていましょうか。
二人でお茶を飲んで。話をする。そんな時間も随分と久しぶりですから。」
「まぁ、いいですね。」
「ルイスさんとアイリスさんは。」
「昨夜のうちに予定を伝えていますから。そうですね、来客があった時には、お二人に声をかけて頂けるよう、お願いしておきましょうか。」
そうして、二人でのんびりと浴室で過ごしたり、今日は来客が来る迄出かけないと、そんな話をしただけで用意されたお茶とお菓子を楽しみながら、のんびり話をして過ごす。
これまでの事をお互いに話しながら、ゆっくりとした時間を過ごしているつもりではあったが、来客が来る迄はとても短く感じられるものだった。
「こちらがお客様の部屋です。」
「ありがとう。オユキ様、トモエ様。マリーア公爵家にて侍女をさせて頂いております、メイ・グレース・リース。お見知りおきを。」
そういってメイがスカートの裾を軽く持ち上げ、礼を取る。
それにオユキとトモエも礼を返して、口を開く。
「本日はわざわざご足労頂き誠に有難うございます。」
「どうかお気になさらず。早速で申し訳ありませんが、こちら、人を入れても構いませんか。」
「勿論です。どうぞこちらへ。お掛けになってください。」
「これも仕事ですから。では、入りなさい。」
メイがそう声をかけると、数人の人物が部屋に入ってくる。
一人は大きな荷物を持っているが、さて何事だろうかとメイを見れば、一つ頷いて簡単に説明を行う。
「こちら公爵家で贔屓にしている、布を取り扱う者、裁縫を行う者、衣装を考える者、その三名です。
衣装を誂えるのですもの。今日は布をお持ちしております、まずはそちらを。」
そうメイが言えば、布を取り扱うと言われた人物が、大きな荷物から、見本だろう、いくつかの布を並べる。
「トモエさまは、明るい赤毛ですから。どのような色でも映えそうですね。オユキ様は、普段から髪は。」
「いえ、流石に地面にあたるのは好みませんから。」
「成程。深い黒ですもの。月と安息の女神さまにあやかって、黒い意匠も良く映えるかと。
髪を美しく見せるなら、やはり白もいいと思いますけれど。」
どうやら、全体的な、貴族的な美的感覚を補うために、メイが選ばれているらしい。
トモエとオユキを品定めするように見ながら、あれこれと助言をしてくれる。
「叶うなら、この度の切欠となった、戦と武技の神、その色が入ったものをと思いますが。」
「まぁ、素敵な提案ですね。失礼しました。」
見た目は少年達よりも少し年かさ、そう言った少女らしさをのぞかせたが、直ぐにそれを納め取り繕う。
「そうですね、トモエさまはお似合いでしょうが、オユキ様は、そうですね、差し色程度なら。どうですか。」
メイが衣装のデザインを担当するものに話を振れば、その女性も頷いて答える。
「髪の美しさに目が行きますが、肌も抜けるような白さです。衣装が黒となると、少し県のある印象になるでしょうが、白や明るい色調であれば、むしろ赤は良く全体を引き締めるかと。」
「成程。他にトモエさまとオユキ様から何かご要望は。」
「後はそうですね、街歩きにと、そのような物ですからあまり動きにくい物でなく、揃いの意匠が欲しいとそう思います。」
「分かりました。」
「後は、その、刺繍をお願いできますか。」
そう、オユキが尋ねればメイが首をかしげて尋ね返す。
「勿論ですが、図案は決まっていますか。」
そう言われて、オユキが花菱、三階菱、松皮菱が組み合わさった、少々複雑な図案を、紙に書く。
デザインの担当をする女性から借りた、あまり慣れていない筆記用具によるものだけでもないが、少々歪となってしまったが。
「見慣れない意匠ですが。」
「トモエの家に伝わる家紋です。せっかくですから。街歩きの服に入れる物かは分かりませんので、似つかわしくないのであれば。」
「いえ、そのようなことはありません。ただ、あまり衣装には入れませんね。このように。」
そういって、メイがハンカチを取り出すと、その隅に華と月があしらわれた紋章が刺繍されている。
「衣装に入れる場合は、それこそ格式ある場に出るための、そのような物になりますから。
そうですね、私から報告させていただきますので、こちらの縫い取りをした小物も作りましょう。
こちらの図案は預かっても。」
「お手数おかけいたします。はい。その、少々歪なものとなっていますが。」
「いえ、意図は読み取れますから。そうですね、いくつか縫い取りをして、衣装の仮縫いの時にお見せしましょう。
その中から近いものをお選びいただければ。」
「ありがとうございます。」
「糸の色は、どうしましょうか。」
そうメイが尋ねれば、オユキとトモエも、悩んでしまう。
「私たちの過ごした場所では、黒での縫い取りが一般的でしたが。」
「少々目立ちそうですが、いえ、それがそちらの家紋というのであれば、やってみましょう。」
トモエとオユキが過ごした時代では、大事にする向きはだいぶ無くなっていたが、此処ではまだ家の名前が重要な文化なのだ。家紋がそうであると、そういえば彼女としてもそう答えるしかないのだろう。
少々、申し訳ないことをしたかと、オユキは考えるが、トモエが喜んでいるようなのでと、そう納得する。
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