第143話 二人の夜
たっぷりのお湯が張られた浴槽で、トモエとオユキはそれぞれに体を伸ばす。
久しぶりという事もあるし、我慢できるというだけで、やはりこうしてしっかりと体を洗えるというのは、心が休まる物であった。
トモエによって、それなりに時間をかけて髪を洗われた後は、それを結い上げられ、二人でこうしてのんびりとお湯につかっている。
「トモエさんも、自分の中で割り切れたようで何よりです。」
オユキは、特に何というでもなく、そう話しかける。
オユキが自分の道を模索するのと同様に、トモエも模索しているのはオユキとて感じていた。
「はい。前にばかり拘泥するのでは、新しく得た機会を逃すこととなりますから。」
「そうですね。ただ、私はやはりこれまでも大事にしたいと、そう思ってしまいます。
教会では不敬でしょうか。改めて戦と武技の神に、技を封じる事が可能かお伺いを立てようかと。」
「まぁ、オユキさんもですか。」
「少々虫のいい、そんな願いとは思いますが、やはり身に着けた技、それをただ踏み台にしたくはありませんから。」
オユキがそう言えば、トモエがどこか遠くを見ながら、頷きを返す。
オユキよりも長い期間、それに触れ時間を費やした身としては、思い入れも強いであろう。
「虫が良くとも、少々叱られるくらいであれば、やはりそれを望みたくありますね。」
呟くトモエに、オユキはただ黙って続きを待つ。
暫く浴室にはただ樋を伝って流れるお湯の音だけが響くと、改めて、トモエの中で考えがまとまり、再び口を開く。
「今日の虎などは、頂いた加護が無ければ、無残に切り裂かれたことでしょう。
魔物というあまりに明確な脅威があるのです。私とて、得られる力は望みますが、いえ、より先をとそうは思いますが、それはそれとして、技を、純粋に技だけを磨く、そのような機会は失いたくはありませんから。」
言われた言葉に、オユキも頷く。
少年たちにも語ったが、ただ力が伸びてしまえば、やはり技はいらなくなる。
そしてその技ですら、力で、加護で、補助が効く、効いてしまうのだ。
「あの子たちにまで、そうあってほしいとは願いませんが、やはり私は、開祖に胸を張りたいですから。」
「勿論です。それに、それで怒られるなら、何が武技の神だと、こちらからそう叱ってあげましょう。」
オユキが笑ってそういえば、トモエも肩から力を抜く。
「できることがまさか今になって増えるとは。」
そう呟き、トモエが大きく体を伸ばす。
「驚きに満ちているものです。それにしても、お風呂、こちらにもあったのですね。」
「ええ、嬉しい事です。体をふくだけというのは、慣れてはいましたが、こうして用意されると、無いというのは今後堪えそうですね。」
「私も、地理は頭に入っているわけではありませんが、ここには近くに大きな水源があったはずですから。」
「あら、そうなのですか。」
「水と癒しの神、その神殿はここからまだ離れていますが、確かその逸話が残っている泉が、ほど近い場所にあったかと。いえ、町も拡張されているようですから、ともすれば、町の中にあるかもしれません。」
「先ほども聞きましたが、かなり大きいというのに、それを壁で囲うなど、向こうでもそう見るものではありませんから。」
その言葉を聞くと、オユキはわずかに頭が揺れるのを感じる。
はて、何事だろうかと思えば、トモエに抱えられて浴槽から出される。
「湯あたりしたようですね。やはり体質は変わっているようです。」
「あまり、長湯をした覚えもありませんが。」
そんなオユキに合わせてトモエも浴室から出て、話の続きは寝室で二人並んで横になりながら行うことになった。
「こちらでは、少しゆっくり時間を取れそうですから、町中を見て回りましょうか。」
「そうですね。私としても少々殺伐とした時間を取りすぎていました。
技を存分に振える、それを楽しみすぎてしまいましたね。」
「まぁ、向こうではまずできませんから。」
オユキがそう苦笑いで応えれば、トモエに頬を軽く突かれる。
若いころ、トモエが拗ねたときに、よくこうされていたなと、そんなことをオユキは思い出す。
「随分と上達が早いと思えば、これが絡繰りですか。」
「その、何度もお誘いはしましたよ。私のためを思っての事で、申し訳なくは思いますが。」
「その、話には聞いていたのですが、やったこともありませんでしたから、ここまでとは思っておらず。
私が遊んだゲームはそれこそ、画面を見るものでしたから。」
「正直、ゲームの時との差は、より実感がある、それくらいでしょうか。
ほとんど変わりませんよ。それこそ、そういう夢を見ているといわれれば納得するほどには。」
「では、新しい時間を積み重ねて、夢ではないとしないといけませんね。」
オユキの言葉に、トモエはただ穏やかに笑ってそう返す。
「さて、久しぶりに、まぁ、疲れていましたし、あまりゆっくりできる環境でもありませんでしたから。
今後、何かやりたいことは見つかりましたか。今日も服の話等されていましたが。」
「やはり、少しは着飾りたいですから。
あまり華美であったり、身の丈に合わない者は求めませんが。」
「まぁ、何をするにも今のように、長袖のシャツとズボン、上から革鎧、そういう訳にもいかないでしょうからね。」
二人で、部屋の隅にまとめた荷物、そこに在る着替えへと視線を送って苦笑いする。
染色技術があるだろうことは、これまでの人々の様子からわかっているが、二人の衣装はどれも同じ見た目、同じ色、そのようなものだ。
洗ったところで、返り血などは綺麗に落ちるわけもなく、魔物が消えれば、残った血液などは消えるというのに、服や肌についてしまえば、消えてはくれない。
まさに嫌がらせとしか思えない、そういった部分があるのだから。
「オユキさんは、何かありますか。
私の方は、食事と服と、少しづつ楽しみを見出していますが。」
「今のところは甘味でしょうか。その、前はむしろ苦手だったのですが、今は非常に美味しく感じられますので。」
オユキがそう言えば、トモエが楽しそうにする。
「分かりますとも、幸い私は今も好きですから。」
「以前は苦手でしたが、今は洋菓子の類も美味しく頂けるかもしれませんね。」
「どうなのでしょう、以前頂いた水菓子は、シロップに漬けられていましたから、砂糖はあると思いますが。」
「そうなんですよね、甘味となると、あとは焼き菓子くらいですか、ルーリエラさんから飴を頂きましたが。」
「ゲームとしては、如何でしたか。」
「確か、あったかと。正直そこまで気にしていませんでしたが、パティシエ、パティシエールといった事をされている方もいましたから。」
そうオユキが伝えれば、トモエは嬉しそうに頷く。
「あとは、個人的にも、もう少し観光をできればと、そう思います。
ゲームの時も、その、魔物との戦いに執心して、ろくに見て回りはしませんでしたから。」
「あの、それはあまりに。」
「分かっているのですが、どうしても強敵との戦いに、心惹かれてしまいまして。」
オユキが苦笑いでそう返せば、嗜めるようにトモエがオユキの額に手を置く。
「そういえば、こちらでも槍術を伝える家があったりと、そのような事があるようですが、人同士で技を競う場などはあったのですか。」
「はい。闘技場がありましたよ。
定期的に大会などもあったかと。この国であれば、王都で。」
興味があれば、参加されますか、そうオユキが聞けば、しかしトモエは首を横に振る。
「観戦してみたくはありますが、技を見世物にすれば、開祖も父も悲しむでしょうから。」
「そういう側面もあるでしょうが。」
「いえ、そこで戦う方を貶める意図はありませんが、やはり私たちの流派は試合ではなく死合を想定した技が本来ですので。」
「そうですね、流石に対戦相手が死ぬまで、そのようなものではありませんでしたね。」
「それに、流石に武に重きを置いてはいますが、そのために人を切ろうなどとは思いませんよ。」
「まぁ、魔物で十分ですからね。」
オユキが冗談めかしてそういえば、トモエにまた頬をつつかれる。
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