第124話 シグルド

弾かれ、転がったトモエが、起き上がり、長く息を吐いて、手首をさすりながら、荒い呼吸を繰り返すイマノルに声をかける。


「お見事でした。やはり、敵いませんね。」


そう笑いながらトモエが声をかけると、イマノルは傍目にも分かるほどに複雑な感情を表に出しながら、どうにかといった風情でその言葉を受け取る。


「ありがとうございました。そちらも、思っていた以上でした。

 その、怪我はありませんか。」

「早めに離したつもりですが、掛かってしまったようで。

 それと、最後無理に受けましたから。」

「申し訳ありません。」

「いえ、勝負の中でのことです。こちらの非ですよ。アベルさん。」

「ああ、ここまでだな。イマノルの勝ちだ。」


見極めとして立っていたアベルがそう告げると、そこで初めてイマノルが肩から力を抜く。

トモエにしても、平然と受け答えはしているが、汗が流れるほどで、短い時間とはいえ、全力を、それ以上を求め続けた結果として、体も、心も相応に疲労している。

そんなトモエに、オユキはそっと近寄り、常に持ち歩いているハンカチ代わりの布を差し出して、労いの言葉をかける。


「イマノルさん、お見事でした。最後の一刀の気迫は、傍目にも震える物でしたよ。

 トモエさんも、残念でしたね。さらに技に磨きがかかっているようで、何よりです。」

「せっかくの機会ですからね。道の先を求める物でしょう。」

「手首は。」

「無理な力で、少し曲げたとその程度です。違和感は残るでしょうが、明日には。」

「私の足の時もそうでしたが、後でちゃんと見ていただきましょうね。」


二人そんなことを話していると、イマノルが申し訳なさそうに口をはさんでくる。


「申し訳ありませんでした。その、こちらが望んだことですから、費用が掛かれば、仰ってくださいね。」

「こちらも得るものがありましたから。イマノルさんも、最後無理な体勢からの物でしたが、問題はありませんか。」

「ええ、それこそ身体能力の違いですから。それよりも、見事な技でした。

 思わず口から出ましたが、あそこまで子ども扱い、それがふさわしいあしらいをされたのは、随分と久しぶりでした。」

「その、そういった意図ではなく。上からと、そう感じたのであれば。」

「あそこまでやられて、それに文句を言うほどではありませんよ。」


そして、感想戦に移る二人を置いて、オユキは少年たちの元へと戻る。

何人かは、その場に腰を落としたまま、茫然とした表情で見ているが、さて、目標と、一つの到達するべき地点として、彼らにも何か得るものがあったのならば、そんなことを考えながら、オユキは声をかける。


「見ていて、如何でしたか。アレが、あなた方の学ぶもの、その先にあるものですよ。」


そう声をかけながらも、少年たちに手を貸して立ち上がらせる。

シグルドとパウは、言葉もなかったのだが、アナは、目を輝かせてオユキに起き上がる勢いで飛びついてきた。


「わっと。どうしました。」

「すごかった。本当にすごかった。」

「そうでしょうとも。」


トモエが褒められれば、オユキも嬉しい。


「本当に、私達もあんなことが。」

「トモエさんが、出来るようになると、そういうのですから、そうなのでしょうね。

 あと、その、苦しいので、そろそろ。」


この世界の人は、改めて力が見た目と比例しない。

抱きしめるというよりは、鯖折に近い締め付けを感じるオユキは、アナにそう声をかける。

抜けようにも、脚が地面から浮いており、どうにもならない。

どうにかしようと思えば、過剰なことをする羽目になる、そんな状態になっていた。


「あ、ごめんね。そっか、できるんだ。」

「まぁ、鍛錬は相応に厳しいものになりますが。」


アナがようやくオユキを開放し、それに対してそんな言葉をかければ、アナもただ苦笑いを浮かべる。

ああなるために、どれだけの研鑽を積まなければいけないのか、うっすらと、想像できたのだろう。


「なんで、だよ。」


シグルドが、そうぽつりとこぼす。


「あれは、おっちゃんがずるいだろ。

 最後、負けそうになったからって、あんな。」


そんな事を、ただ涙ながらに訴える彼は、さて、思いのほかトモエに懐いていた、それだけではないのだろう。

彼の言葉は良く響き、イマノルの胸にも刺さり、彼も表情を変える。


「力任せに、違うだろ、あれは。だったら、最初からそうすればよかったのに。」

「違いませんよ。だって、最初に決めていませんでしたから。」


アナが心配そうな顔を浮かべるのに、オユキは任せておけとばかりに、一度肩を叩いて、シグルドの前に立つ。

当事者が弁解するよりも、そう思い彼に言葉をかける。


「勝負の事ですから、相手をするに十分、それを見極めるのも重要な事ですよ。

 常に全力、それは良くない事だと、これまでも何度か伝えましたね。」

「魔物じゃないんだ、お互いに、戦う、それなのに。

 技で敵わないから、力づく、それじゃ。」


シグルドが、そのあとに何と続けそうになったのか気が付いた、気が付けたオユキは、彼の口を自分の手で塞いで、声をかける。


「それ以上は、いけませんよ。」


少し目に力を込めて、そういえば、シグルドも自分が感情に任せて何を言おうとしたのか、気が付いたように口を動かすのを止めて頷く。


「試合の事です。まずは勝者を称えましょう。そこに明らかな不正があったのならともかく、それこそ今回で言えばイマノルさんが、クララさんに加勢を頼むだとか、そうではないのなら、イマノルさんは正しく、己の持つ力で、他の何を頼るでもなく、確かにトモエさんを上回ったのですから。」

「でも、悔しくないのか。技では、勝ってただろ。」


そういって、未だ涙を流す少年の肩を軽くたたいて、オユキは語る。

この少年は、本当にまっすぐで、よい素性を持っている。

どうにかここで折れることなく、そのままに成長してほしいものだ、そんな願いを覚えながら。


「以前にも、お話ししましたね。力だけでもいけません、技だけでも足りません、それを扱う心だけでも意味がないのです。心技体、その全てが揃って、初めて意味を持つのですよ。

 今回、確かにトモエさんの技は優れていたのでしょう、ただそれはイマノルさんの力で覆る、その程度しかなかった、それだけなのです。そして、それが仕合なのです。技比べではありませんからね。」

「負けてなかったんだ、勝ってたんだ。」

「そうですね、技では間違いなくトモエさんが上でした。負け惜しみでも、何でもなく。

 ただ、総合でイマノルさんが上でした。」

「納得できるかよ。」


そう、握ったこぶしに、分かり易い力を入れて、シグルドがそう呟く。


「ですから、私も、トモエさんも、道半ばなのです。

 まだ先がある、まだ磨けると、研鑽を積むのですよ。

 今は負けても、次は負けぬと。」

「そうか。あんたらでも、そうか。」

「そうですとも。極めたなどと、一度でも口にしましたか。

 道に足を踏み入れた、トモエさんはそう言っていたでしょう。」


腰につるした小袋から、新しく清潔な布を取り出して、少年の顔を拭きながらそう声をかければ、先ほどから近づいてきていた、当事者たちから声がかかる。


「シグルド君。君の言う通りですよ。私は卑怯者と、卑劣漢とそう呼ばれても否定はしません。

 ですが、勝者である、それだけは言い返すでしょう。」


イマノルが、喜びなど一切見えない顔でそう告げる。


「持っているものを使っただけですから、兵法とはそういうものですよ。

 皆さんは、まだ早いとは思いますが、何か得るものがあったのならよかったですよ。」

「あんたは、それでいいのか。」

「良いも悪いもありませんよ。出た結果、それはそれと受け止める。それがまず大事ですから。

 それから目をそらせば、望む先がずれますよ。」

「分かった。あんたが良いなら、それで良いんだ。多分。」


そういうシグルドの頭に、アベルが手を乗せて言葉をかける。


「その悔しさだって大事だからな。忘れるなよ。

 あれを卑怯だと、そう思うなら、お前が、お前は、そうじゃないと証明しなきゃいけないからな。」

「ああ。」

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