愛するって
第35話 兄 VS 相棒(※ベネディクト視点)
腕組みして壁に寄りかかり、こちらを睨みつける男性――ミスティの兄でオルランド伯爵家次期当主、アーサー・オルランド。
赤い瞳に黒髪は兄弟そろって同じだが、つり目な妹に対して、兄はたれ目で全体的に柔和な顔立ちをしていた。
その美貌は、まるで絵本の中の王子様のよう……なんて、ガラにもないことを考えてしまい、俺は心の中だけで苦笑した。
アーサーはしばらく無言だったが、おもむろに低い声で話を切り出した。
「スウェン騎士、君については妹から話を聞いた時に調べさせてもらった。調査上では、実直そうな男だと思っていたが」
彼は壁から体を離すと大股でこちらに歩み寄り、勢いよく俺の胸倉を掴んでグイっと引き寄せた。
至近距離で見る彼の青みがかった灰色の瞳は鋭い光をたたえている。
アーサーが何故怒っているのか俺には分からなかったが、反射的に彼の手を振り払って怪我をさせないよう、自分の腕を後ろで組んだ。
胸倉を掴まれたまま、無抵抗でただひたすら立つ。胸元が詰まって息苦しいが、我慢できないわけじゃない。
それに、万が一ミスティの兄を自分が傷つけるようなことがあったら、俺は自分を許せないだろう。
彼女の大切な家族は、俺にとっても大事な人たちだ。
アーサーは俺を鋭い目で睨みながら、地を這うような低く怒気をはらんだ声で言った。
「僕が妹の泣き腫らした目に気付かないと思ったか?貴様、僕の妹に何をした。返答次第では、ただでは済ませないぞ」
その言葉でようやく彼がどうして怒り、俺を警戒しているのか分かった。
俺は「誤解です」ときっぱり言うと、アーサーに全て話した。
自分とミスティの出会いから、相棒という関係性、自分の過去と、それを話したことで彼女が泣いてしまったこと。
アーサーは無言無表情で話を聞いていた。そして、俺の「以上です」という言葉のあと、少し考えた様子で視線を地面に落とす。
数秒後、彼は胸倉から手を離した。
咳き込みそうになるのを我慢する俺に向かって、彼は丁寧に頭を下げる。
「誤解し、手荒な真似をしてすまなかったスウェン騎士。僕はどうも、妹のことになると冷静でいられなくなるんだ」
「いいえ。どうかお気になさらず。家族を心配するのは当然だと思います」
オルランド伯爵家次期当主が、平民騎士に頭を下げるなんて普通ならありえない。
平民を見下す貴族も多い中、アーサーは身分によって態度を変えたりしない。誠実な人柄がうかがえた。
そういう律儀な所は妹そっくりだ。きっと、親御さんの教育の賜物なんだな。
(素敵な家庭で育ったんだろうな。よかった)
ミスティの過去は決して楽しいものばかりじゃなかったかもしれない。それでも、こんなに思ってくれる家族が彼女のそばにいたことに、俺は安堵した。
自分が家族に縁のない人生を送って来たから、余計にほっとする。
「オルランド様、もう顔を上げてください」
ずっと頭を下げ続けているアーサーにそっと声をかけると、彼はちょっと困った声で「そうしたいのはやまやまなんだけどね」と呟いた。
そして、ゆっくり顔を上げた彼の頬には、一筋、涙が伝っていた。
声を上げることも、しゃくりあげることもなく、彼はただ静かに泣いていた。
涙をぬぐって、アーサーが心から嬉しそうに微笑んだ。
「スウェン騎士。ありがとう。どんな形であれ、妹を泣かせてくれて。本当にありがとう。悔しいけど、僕じゃ、あの子を泣かせてあげられなかったから。君には感謝してるんだ。泣けないあの子を変えてくれて、心から感謝する」
泣けないとは、どういうことなのだろう?
彼の言葉の意味が理解できなくて、俺は思わず「どういうことですか」と問うてしまう。
本来なら、貴族様相手にうかつに発言してはいけないのだが、ミスティのことになると、俺は聞かずにはいられなかった。
「僕たちの母親は、ミスティの誕生日に亡くなったんだ。あの子が欲しいとねだった贈り物を買いに行った帰りに事故にあって。それ以来、あの子は子供らしい我儘を言ったり、泣いたりできなくなってしまった」
「そう、だったんですか」
アーサーの言葉に胸が締め付けられる。
ミスティは最初から強いんじゃない。強くならなきゃいけなかったんだ。
自分を責めて、追い込んで、我慢して。そうして生きなければいけなかった。
今よりもっと小柄で華奢な子供の彼女が、必死に涙を我慢している姿が想像できた。
あんなに細くて小さな体に沢山の悲しみを抱えて、それでも一人で凛と立とうとしている。
ミスティという女性は本当にどこまでも、強くて、切ない。
(俺が、支えたい。あいつが俺に『味方だ』って言ってくれたみたいに、俺もあいつの味方でいたい。そばにいてやりたい。守りたい)
心の中にあふれる感情を抑え込むように、胸元をぎゅっと握り締める。
そんな俺の姿を眺めて、アーサーは再び軽く頭を下げた。
「スウェン騎士。どうか、これからも妹を、ミスティをよろしくお願いいたします」
彼の願いに俺は頷くと、胸元に手を置いて高らかに宣言した。
「わたくし、騎士ベネディクト・スウェン。我が剣と誇りにかけて、ミスティ様をお守りすると誓います。たとえこの身が朽ち果てようと、彼女の気高い魂をお側で、お守りいたします」
騎士の誓いは、ただの口約束じゃない。心から守りたいと思った方に対してのみ捧げる神聖なもの。
言ったことを決して
俺も、ここで誓う。兄であるアーサーと自分自身の心に。必ずミスティ・オルランドという女性を守ると。
「スウェン騎士。あなたの覚悟はよく分かりました。ふふ、その誓い、いつかミスティにも見せてあげて下さい」
「はい、必ず」
それから俺たちは少し言葉を交わすと、それぞれの別の帰路についた。
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