第28話 『勝ち』と『負け』

「よぉ、悪いな、少し時間くれや」


 そう言って入って来たベネディクトの声を確認して、私は彼に心の中で声援を送った。


「何の用だ」


 突然入って来たベネディクトに、モニカの周りにいる取り巻きたちの殺気立った声が聞こえる。


「なんのご用かしらぁ?」

「猫かぶってんじゃねーよ。お前、父親に頼み込んで俺の剣試合、妨害しようとしているみたいだな」

「なんのことぉ?」

「とぼけんなよ。それで?俺をどんなふうに陥れてくれるんだ。まぁ、どんなことがあっても、俺は負けねぇから。お前の姑息な手段になんか屈しないし、絶対に勝ってみせる。お前に、邪魔されてたまるか!」


 ベネディクトは力と決意のこもった声で語る。


 相棒になった日、私が彼にお願いしたのは、モニカに『勝つ』『絶対に負けない』という単語を言ってくれ、というものだった。


 ベネディクトは嘘が付けない。だから、彼が抱いている決意をそのままモニカに述べてくれればいい、と言ったのだ。


 モニカは愛らしい顔をしているが、恐ろしく競争心が強い。私のことも、同期として、女性としてライバル視している。


 自分が一番になりたい。そのためには、どんな手段を使ってでも蹴落としてやる。そういう闘争心が人一倍強い人物だと、私は彼女を分析している。

 

 だから『勝ち』『負け』という言葉に反応する、と踏んだのだ。


 案の定、彼女はベネディクトの言葉に反応した。明らかに苛立った口調でまくし立てる。


「お前『なんか』?そんな事言える立場?今決めた。アンタは処刑するわ。どんな方法で虐めてやろうかしらね。最初は剣試合の対戦相手を格上にして、絶対に勝てないようにする、くらいで終わりにしようと思ったけど。気が変わったわ」


 モニカは火が付いたように、先ほどまでの猫撫で声から一転、息つく暇もなく語りだした。


「父様にお願いして、危険な任務につかせてあげようかしら?紛争地域への海外派遣とか。ああ、でも殺してしまっては楽しくないわ。ふふ、死んだ方がマシって生き地獄を味合わせるには、どうしてあげようかしら」


 モニカの言動を見聞きしていたロイドさんが、隠し扉から顔を離すと大きくため息をついた。 

 眼鏡を外し目元をもんで、かけなおす。


「よくわかった。オルランドさん。表に戻りましょう」


 私に告げるな否や、彼は隠し扉に手をかけると勢いよく開け放った。

 大股で室内に入っていく彼の背中を、慌てて追いかける。


 真っ先に目に飛び込んできたのは、大きな目を零れそうなほど見開いたモニカの顔だった。

 

 彼女は勢いよく椅子から立ち上がると、ロイドさんの顔を呆然と見つめ立ち尽くす。

 まさに、思考停止という様子。


 ロイドさんが、一つ咳ばらいをすると、その音で夢から覚めたように、ようやくモニカが動き出した。

 視線をうろうろと彷徨わせ、冷汗をかきながら引きつった笑みを浮かべる。

 

「ぁ、ロイド調査官!わ、私、ここのお掃除をしていてぇ。あ、ここに埃が!」


 モニカは明らかな嘘をつきながら、床に落ちていた埃を指でつまむと、ロイドさんに「ほら」と見せた。

 もちろん、彼は無表情。モニカの言動を冷たい目で見下ろしている。


「あっ、ここにも!もぉ、ちゃんとお掃除しないといけないんだからっ!ここが終わったら、他の場所もお掃除しようと思っていたんです!だから、あの、その。けっして、おさぼりしていた訳じゃなくて……」


 苦し紛れの言い訳を、ロイドさんは何も言わずにじっと聞いていた。


 そして、モニカの言い訳のネタが切れた尽きた頃、ようやく彼がおもむろに口を開いた。

 

「モニカ・フランシス。あなたの言動はそこの隠し通路ですべて聞かせてもらった。あなたに下す処分は未定だが、あなたとお父様については詳しく調査する必要があるようだ」

「隠し、通路?あ、そういえば、そんなものが……ありましたね」


 ひどく驚いた表情をしたのち、モニカの顔がみるみるが青ざめてゆく。


 避難用の隠し通路を暗記することは、賓客の身を守る迎賓館職員として最優先事項だと先輩から教わる。


 それにも関わらず、通路の存在自体を忘れていた時点で、彼女の不真面目さが良く分かる言葉だった。


 ロイドさんは怒鳴ることも、呆れることもしなかった。

 もはや慈悲などいらないと言うように、感情を一切排除した声音で淡々と述べる。


「まず、あなたの隣国の王族に対する発言。本人が聞いていたら国際問題に発展していた可能性がある。到底見過ごせない問題だ。あなたような軽率な発言をする者が迎賓館職員にふさわしいのか。じっくり調査したのち、しかるべき対応を取らせていただく」

「し、しかるべき対応、とは?」


 モニカの瞳に涙がたまり、零れ落ちる。顔色は青を通り越して白くなっていた。

 

 いつもの泣き真似なのか、本気の絶望の涙なのか私には分からないが、ロイドさんには通用しなかった。

 彼は女性の涙に、一切、同情することも、動揺することもなく、抑揚のない声で告げる。


「自らの行動を反省し、身の振り方を考えておくことだな。もちろん、フランシスさんだけではない。あなたたちもだ。騎士団長に経緯をしっかり報告させてもらう」


 急に視線を向けられて、取り巻きの騎士たちが一気に青ざめ、慌て始めた。


「い、いえ。自分たちはフランシス殿とは何の関係もありません。ただ――」


 言い訳をしようとした騎士の目の前に手をかざし、ロイドさんが「あなた達の関係に私は微塵も興味ない。見聞きした事実が全てだ」と切り捨てた。


 騎士たちは俯き、言葉を無くす。


 モニカを庇わないということは、そこまでの情と関係だったのだろう。もしかしたら、騎士たちには彼女を慕う気持ちなどなく、あわよくばモニカの父である騎士団幹部に目をかけてもらおう、という何とも打算的な気持ちで近づいたのかもしれない。


「では、私は調査と館長および騎士団長への報告があるゆえ、失礼する」


 最後まで事務的に告げて、ロイドさんが足早に出ていった。


 会議室に沈黙の時間が流れる。


 静寂を断ち切ったのは、地を這うような女の声だった。


「よくも、私をはめてくれたわね。『いい子』のあんたはどうしたのよ?ロイド使うなんて卑怯だと思わないの?あんた、お貴族さまなんでしょ?誇りはないわけ」


 こちらを睨みつけて、毒のような呪いの言葉を吐く彼女の姿は、青ざめやつれ、まるで悪い魔女のようだった。

 

(貴族の誇り……か)


 心の中で復唱して、考える。

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