第9話 断罪(1)

 室内に沈黙が落ちる。口火を切ったのは、エリックの父ゲオルグ様だった。


「エリック。自分が何をしたか、わかっているな」


 静かだが、重みのある声音だった。

 老舗スイート商会を背負うゲオルグ様の圧力が、エリックに重くのしかかる。


 エリックは顔を真っ青にさせながら、それでも必死に最後のあがきをした。


「お父様、これは何かの間違いです。報道は根も葉もない嘘。僕はそんな女知りません!」


 この言葉に真っ先に反応したのはマリーだった。彼女は弾かれたように立ち上がると、悲鳴のような甲高い声で叫んだ。


「エリック様!あれほど私のことを好きだと、ミスティとは1年で別れて私と結婚してくれると仰ったではありませんか!」

「なっ、この馬鹿女!!なんてことを――」

「ば、ばか?今馬鹿と仰いましたか?ひどい。そんなこと言う方だとは思いませんでした。見損ないましたわ!」

「僕の方こそ、君がこんなに馬鹿で考えなしな女だとは思わなかったよ!」


 いつの間にか、エリックとマリーの口喧嘩が始まっていた。こうなってはもう、悪口の応酬と責任の擦り付け合い――まさに泥沼状態である。

 

 事前に話し合いの時間を設けてから私と兄様を呼んで欲しかった、と思わなくもない。

 しかし、ゲオルグ様は会社のためにも早急に、この話し合いの場をセッティングしたのだろう。


 エリックとマリーは、なおも醜い罵り合いを続けている。


 『どうやって収拾をつけようか』と私が考えていた時、横からパンパンッ!と二回手を打つ音が聞こえてきた。

 

 急に室内に響いた声以外の音に、エリックとマリーがとっさに口を閉じる。全員が、音の発生源である兄様に注目した。

 兄様は長い足をゆったり組み替えると、灰色の瞳でエリックとマリーを睨んだ。


「ここは大人の話し合いの場であって、子供の遊び場じゃないのだよ。喧嘩をするなら外でやってくれたまえ」


 騒がしかった部屋に再び沈黙が落ちる。


「さて、ゲオルグ殿、カレント子爵。貴殿らの決意を示してもらおうか」


 兄様の言葉に、ゲオルグ様が目を閉じる。

 彼がとれる選択肢は二つだ。



 一つ目は、息子をかばい、辞任や辞職を命じるなどの罰を与えないこと。


 その場合、市民の不信感は消えず、不買運動は続き、パトロンも去り、スイート商会の経営は傾くだろう。


 スイート商会は、その名のとおり、女性を主力ターゲットとして清潔な印象を前面に出している。


 今回のエリックの件は、大きな痛手になっていた。



 二つ目は、スイート商会の信用維持を優先し、息子を切り捨てること。

 

 ただ息子を甘やかすだけの父親ならば前者を、そうでなければ後者を選ぶはず。

 

 ゲオルグ様の決断は――――。



「エリック。本日この場をもって、お前のスイート商会幹部の身分および職を剥奪する」

「お父様!!僕はわるくな――」

「即刻、その口を閉じなさい」


 まるで口封じのまじないをかけられたように、エリックが不自然に言葉を切って固まる。

 ゲオルグ様の声は決して大きくないのに、他人を畏怖させる威圧感があった。


 言葉を向けられているのはエリックのはずなのに、私まで圧力を感じて体がこわばる。


「お前の行動を見ていてよく分かった。お前は男として、経営者として、人間として間違っている。まずお前がすべきことは、保身のための弁明ではなく、傷つけてしまったミスティ様への謝罪と誠意ある対応だろう。にもかかわらず、お前は自分を優先した。全てにおいて選択を間違えたな。そして、そのように育ててしまったのは私の責任でもある」

「お父様。僕が悪かったのです。ミスティすまなかった。僕は本当は君を愛しているんだよ。でも、マリーが僕をそそのかすから」

「わ、私のせいにするのですか!」


 再び醜いなすり付け合いと言い争いが始まりかけた時、ついにゲオルグ様の堪忍袋の緒が切れた。


「黙れと言っているのが聞こえなかったか!!」


 びりびりと空気を震わせる怒声が広い室内にこだまする。

 

「エリック、お前は今日から私の息子ではない。家族と名乗るのも恥ずかしい。二度と我が家と商会の敷居をまたぐな」

「お、お父様、本気ではないのでしょう?僕はどうやって生きていけばいいのですか」

「お前には十分すぎるほどの機会を与えた。それを生かさず、選択を間違えたのはお前自身だ。あとはどこへでも自分の足で歩いてゆくがいい」


 ゲオルグ様は側に控えていた執事に「最低限のものだけでいい。エリックの私物をまとめ、外に出せ」と命じた。

 執事たちが命令どおりに忙しなく部屋を出てゆく。


「あ、ああ。お父様。僕が悪かったのです、お願いです。考え直してください。お願いです……」


 エリックがぐしゃぐしゃに自分の髪をかき乱しながら、子供のように泣く。

 うなだれて、すっかり力を失ってしまった姿は、社交界の華と呼ばれていたのと同一人物だとは思えないありさまだった。


 息子の哀れな様子にも動じることなく、ゲオルグ様は淡々と、「これが私の謝罪と覚悟の示し方です。また、婚約という契約に背いた相応の損害賠償については、後日代理人を通して改めて話し合いの場を設けます」と兄様に言った。


「ゲオルグ様のご決断、しかと拝見しました。では、カレント子爵、あなたはどうなされるなさるおつもりか?」


 兄様の言葉に、冷汗をかいて沈黙していたカレント子爵が顔を上げた。

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