Ⅶ 破戒者への「審判」(2)

「――気が狂って飛び降りるって超ヤバくない? もしかしてクスリやってたとか?」


「え? じゃあ、ヤクの売買めぐってのギャング抗争とか? それ、ほんとマジヤバくない?」


 今日も朝から教室内では、そのネタを興味本位で話す者達の嬉々とした声が飛び交っている……昨日よりこの方、皆、有荷の死と彼のグループの者達に起こった傷害事件の話題で持ち切りである。


 初めの内は教師と珠子のように特殊な者達の間でしか知られていなかったその話も、彼女達ゴシップ好きの口伝てや学校の裏掲示板、メール、LEY-LINEレイライン、ブログ、囁きSNS〝Whissperウィスパー〟といった情報媒体によってみるみる内に拡散し、昨日のお昼休み頃には早や全校生徒のすべてが知るところとなっていた。


「ま、全員鼻つまみ者だったし、あんまし同情はできないけどね」


「自業自得でしょ。やっぱ悪いことはできないって感じ?」


 普段から素行が悪く、暴力を振るう彼らを快く思っていなかった生徒も少なくはなく、不謹慎ながらも「ざまあ…」と喜ぶ者や珠子みたいな完全に対岸の火事的にウワサ話を楽しむ者、いや、そうではなく、その治安の悪さに他人事ひとごとではないと恐れる者など反応は様々であるが、いずれにしろ、しばらく事件らしい事件も起きていなかった平和な学校生活の中にあって、今回の出来事はかなりの衝撃を生徒達に、また教師やPTA、教育委員会など学校関係者にも与えたことは言うまでもない。


 今回以外で騒ぎになったのといえば、一年の二学期頃、数名の女生徒がなぜか立て続けに不幸な事故にあったり、鬱で同時に不登校になったりした時くらいのものか……ともかくも、内容柄、さすがに報道こそされてはいないものの、今日も部活動は一切禁止にされ、教師達は対策会議を開く模様だ。


 そうして、生徒も教師達もそのセンセーショナルな出来事に上を下への大騒ぎになっている最中、独り早退した久郎はそのまま昨日、学校へ戻ることなく、今朝もその騒動に乗じて教師に咎められることを難なく逃れ、平然とした顔で登校して来ている。


「二荒澤、おまえが掴んでいる今回の事件についての情報をすべて教えろ」


「おっけー♪ アリスちゃんも好き者だねえ~」


 それでも登校早々、今日は珍しく朝から〝史郎〟と入れ替わっていた〝久郎〟は、珠子から熱心に話を聞いたり、休み時間には一人でどこかへ出かけて行ってしまったりしていて、零がようやく声をかけられたのはお昼休みにいつもの八角塔を訪れた時のことであった。


「――なぜ、おまえにそんなことを話さねばならん?」


 辰本名物のB級グルメ・巨大な鶏もも肉を豪快に揚げた〝豪族焼き〟のサンドウィッチを食べる手を止め、不機嫌そうに眉をひそめて久郎が言う。


「それに今回のことでもわかっただろう? ヤツらは思った以上に危険な集団だ。もうこれ以上、首を突っ込むのは…」


「よかったら、食後のデザートにこれ食べて」


 毎度のことながら取り付く島もなく追い払おうとする久郎であるが、すかさず零は持参した風呂敷包みを彼の前で開き、続け様、出て来た重箱風弁当箱の蓋を取って見せる。


「こ、これは……」


 中には桜の葉の塩漬けでぐるりと撒かれた、黒いこし餡のおはぎが入っていた。


「今回はさくら餅風に作ってみました。中のごはんも上方かみがたのさくら餅で使われる道明寺粉だよ?」


「……し、仕方ない。対価をもらって何も返さなかったとあっては因果応報に反するからな。ま、話した方が納得もするだろうし、触りだけ教えてやる。言っておくが別に甘い物に釣られたわけではないからな?」


 零の狙いは的中し、甘党の久郎は今回も餌に釣られて態度を一変させた。


「――モフモフ……この餡の中を仄かに香る桜の香……おはぎの新たな境地を開く逸品だ! おまえ、何事においても凡庸に見えて、菓子作りに関してだけはほんと見上げたものだな」


「エヘヘ、アリスちゃんが褒めてくれるなんて、なんか照れるな……っていうか、それでどうだったの? やっぱり有荷さんが亡くなったのにはわんこのクラブが関係してたの?」


 いつになく褒める(?)久郎に、思わず照れながら頭を掻く零であるが、本題を思い出すと改めて彼に尋ねる。


「ああ…モフモフ……昨日、有荷の入院していた病院や事件を担当した警察、集団暴行を受けたあの不良ども全員の所を回って話を聞いてみたが、まず、なぜ〝史郎〟を袋叩きにしたのか? その明確な理由をあの不良どもは誰も知らなかった…モフモフ……ただ、有荷の指示でやったとだけ言っていたな。それが死んだ有荷と、口を封じられなかった他の者達との違いなんだろう」


「どゆこと? ううん。それより、よくみんな話してくれたね。こんな目に遭った後で……しかも、自分達も同じようなことしたアリスちゃん相手に。それに警察や病院の人達も……」


「…モフモフ……なに、容易なことだ。やつらには催眠をかけて、暗示で話すよう強制的に仕向けた。カテゴリ〝女教皇ハイプリーテスト〟の魔術の範疇だな。だから、嘘を吐いてる心配も無用だ」


「……そ、そうなんだあ」


 桜おはぎを食べながらそう平然と答える久郎に、勝ち犬倶楽部よりも誰よりも、じつはこの人が一番怖いかも…と零は思う。


「で、今の質問だが、おそらく勝ち犬倶楽部との接触があったのは有荷一人だけだ。が、不良どもの話では、有荷自身もその理由をよくわかってはいないようだったというから、思うに有荷はカテゴリ〝戦車チャリオット〟の魔術――後催眠による暗示か何かで俺を襲うよう仕向けられていたんだろう。目的はもちろん、これ以上、首を突っ込むなという俺への警告だ。ま、実際シメられたのは俺ではなく〝史郎〟の方なんだが……可哀そうに……」


「…………つまり、わんこの倶楽部のことを調べるなってこと?」


 白けた眼を久郎に向け、「おまえが言うな…」と内心思いつつも、零は確認するように聞き返す。


「その通り。ところが、俺の仕掛けた〝因果応報〟の魔術により、その使いっパシリどもがボコボコになるのを見て、慌てて有荷の口を封じようと思ったんだろう。俺が退行催眠を使って有荷の忘れさせられた記憶――何者かに後催眠をかけられたことを聞き出してしまう前にな」


「そんなことのために大怪我して入院している有荷さんを……でも、魔術でやったとしてもどうやって? 珠ちゃんの話じゃ、確か突然、おかしくなって自分から飛び降りたんだとか……」


 久郎の淡々と語る話に嫌悪感を憶え、顔の色を蒼褪めさせる零であるが、気になったその疑問についても尋ねてみる。


本物の・・・魔術というものが空想のそれとは違い、〝なんでもできる理不尽な力〟でないことを、久郎の講義を受けた今の零は充分に理解している。


「それはまだわからん……わからんが、可能性としてはなんらかの幻覚植物を使ったことが考えられる。もし、やつが恐ろしい幻覚でも見ていたとすれば、発狂したように思われてもおかしくはない。飛び降りるのを目撃した相部屋の患者や看護婦達の話でも、それを思わすような点があったしな。食事か見舞いの刺し入れの中に混ぜでもしたんだろう。カテゴリ〝魔術師マジシャン〟を得意とする、あの〝赤ずきん〟ならいかにもありそうな話だ」


「じゃ、じゃあ、あの赤ずきんちゃんが……でも、どうしよう? こんな話、警察にしても信じてくれそうにないし……」


「無論、警察に話すつもりはない。世間的には精神錯乱による事故としておいてもらった方が面倒がなくていい」


 今までのこともあり、それがただの事故ではなく魔術を使った殺人であるという久郎の話を零も疑うことなく信じるが、その一市民的な心配に対しては信じられないような言葉を彼はその口にする。


「ええっ!? だ、だって人殺しだよ!? 人一人殺されてるんだよ!? それなのに警察に知らせないだなんて……」


「知らせたところで、おまえも言った通り信じてはくれまい。証拠もまるでないしな……それに、こいつは俺達、魔術師の領分だ。素人がどうこうできるような問題ではない」


「そんなぁ……じゃあ、アリスちゃんはこれからどうするつもり? まだ、その人達のこと追いかけるの?」


「もちろんだ。そのためにここへ来たんだからな」


 勝ち犬倶楽部同様、今まで抱いていたイメージとはどこか違う、何か恐ろしい印象を久郎に感じ始めながら、それでも尋ねる零に彼はきっぱりとそう言い切る。


「で、でも、そんな人達相手にアリスちゃんだって危ないよう……」


「大噛神社でのことを忘れたのか? 俺は〝赤ずきん〟如きに遅れはとらん。心配は無用だ。それに二荒澤のおかげで〝アレクサンダー・セトン〟の候補もだいぶ絞り込めてきたからな。ヤツらに行き着くのも後一歩だ」


 その印象を拭い去ろうとするかのように零はなおも食い下がるが、やはり久郎は聞く耳を持たず、調査を続行する意思をはっきりと告げる。


「さ、話はこれで終わりだ。これだけ教えてやれば、おはぎの対価としては充分だろう。加えて、おまえを納得させる材料としてもな。もう一度言っておくが、これは魔術師でもない素人がおもしろ半分に首を突っ込んでいいような事柄ではない。これ以上関わると、今度はおまえが有荷のような目に遭うぞ? わかったら、もう俺に付きまとわないことだな」


 そして、冷たく突き放すような口調で改めて脅しをかけると、窓辺から腰を上げ、さっさと階段を下りて行ってしまう。


「………………」


 今までだったらすぐに後を追い駆けて、どこまでもしつこく食らい付いて離れないところであるが、今日の零は何かがその足を鉛のように重くして、ただただ黙って彼の背中を見送ることしかできなかった――。

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