Ⅲ 「隠者」達の住処

Ⅲ 「隠者」達の住処(1)

 有栖史郎が転校してきた翌日の朝、教室でのことである……。


「――おはよう、有栖くん! えっと……今はたぶん〝史郎〟くんだよね? ちょっと〝久郎〟くんに用があるんだけど、出してくれないかな?」


 登校早々、教室で自分の席に座る転校生――有栖の姿を見つけると、零は駆け寄って挨拶とともにそう頼んでみる。


 微笑みを湛えた顔と涼やかな瞳、全体に纏ったほんわかした雰囲気からしても、昨日、が言っていた多重人格の話が本当なら、今の彼は〝久郎〟ではなく〝史郎〟の方であろう。


「ああ、おはよう。風生さん。えっと……そのくろう・・・って、誰?」


 すると、有栖史郎は怪訝に小首を傾げ、零の言っている意味がわからない様子でそう聞き返す。


 この不自然んさのまるで感じられない反応……どうやら本当に〝久郎〟のことは知らないらしい。では、多重人格という話は事実なのだろうか?


「そっか。史郎くんには記憶がないのか……困ったな。呼べば出てきてくれるのかな? おおーい! 久郎く~ん! ちょっと出てきてくれるかあ~!」


 まだ半信半疑ではあるものの、やはり演技とも思えなので、わずかの間考えた後、零は目の前の史郎・・に向かって遠くにいる人間を呼ぶように声をかける。


「…………まったく。こんな他の者のいる所で俺の名を呼ぶな。俺のことはあまり知られたくないと昨日言ったろう?」


 すると一瞬、カクンと寝落ちするように俯いた後、おもむろに再び顔を上げた彼は、その表情も声の調子も〝史郎〟ではなく、あの魔術師――〝久郎〟のそれに変わっていた。


「あ! ほんとに出てきた! ねえねえ、わんこのクラブのこと何かわかった?」


 まるで注意する気がない様子の零に対して、表に現れた久郎はは眉間に皺を寄せて文句をつけるが、零は完全にそれを無視して後側――即ち彼の方を向いて自分の席に腰を下ろすと、その最も興味ある話題について早々に尋ねる。


「昨日の今日でそんなすぐわかるか。それよりも……人のいる所でその話もやめろ。他の者に聞かれて、これ以上話がややこしくなっては堪らんからな。それに、あまり派手に嗅ぎ回ると、ヤツらに警戒されて尻尾を掴みにくくなるかもしれん」


「うん。そだね。秘密のクラブだし、あんましペラペラしゃべって口の軽いとこ見せたら、余計に嫌われて入れてもらえなくなっちゃうからね。気をつけなきゃ」


「いや、そういう意味ではないのだが……」


 周囲のクラスメイト達に目を配りつつ、小声で苦言を呈する久郎だったが、言われて零も声のトーンを落とすものの、どうやらその言葉の意味を正しくは理解していない様子である。


「でね。昨日、家に帰ってから考えたんだけど、情報集めるのにもってこいのいい方法思いついたんだ!」


 そして、口に手を当てて前のめりになると、頼んでもいないのにそんな頭脳労働の成果を自身満々に教えてくれようとする。


「いい方法? ……まったく期待していないが、一応、聞くだけは聞いてやる」


「久郎くん…いや、史郎くんがってことになるのかな? とにかく有栖くんも〝オカルト研究会〟に入ったらどうかな? あそこは都市伝説とかも調べてるから、わんこのクラブのこともなんかわかるかもしれないよ? それに魔術師ってことは当然、オカルトに興味あるんでしょ? これなら一石二鳥だよ! ううん。オカ研は人数少なくて困ってるから、有栖くんが入れば一石三鳥。三方一両得だよお!」


 いたく面倒臭そうな態度ながらも、それでも耳を傾けた久郎の耳元で、零が囁いたのは案の定、そんな取るに足らない提案だった。


「オカルト研究会? ……ああ、そういう同好会か。フン。笑える冗談だ。確かに俺は魔術師として本物の隠秘学オカルトにはそれなりの関心を寄せているが、それとおまえの言うものとはまったくの別物だ。そのような偽物の中二病集団などになんら興味はない。それに、その中二病変換された情報がどこまであてになるものかわかったものでは…」


「え! なになに! もしかして、アリスちゃんってオカルトに興味あるの!?」


 はなから期待はしていなかったので落胆することおなく、やっぱりかと素人考えな零の提案を鼻で笑う久郎だったが、そこへ突然、今度は零と違うまた別の少女の声が横から割り込んでくる。


「あ、珠ちゃんおはよう!」


「おっはー! 零&アリスちゃん」


 その声に二人がそちらを振り向くと、それは今しがた登校してきたばかりの珠子だった。


 小声で話していたつもりであるが、ゴシップ好きな彼女の地獄耳は久郎の口にした〝オカルト〟という言葉を耳聡く捉えていたらしい。


「アリスちゃん……」


 朝の挨拶を交わす二人の傍ら、妙に馴れ馴れしいその呼び名に久郎は渋い顔を作る。転校二日目にして、このクラスメイトの中では〝アリスちゃん〟という渾名がすでに定着してしまっているらしい。


「昨日、ちょっと話したから憶えてるよね? こちらの珠ちゃんはね、じつは今言ったオカルト研究会の会員だったりなんかするんだあ。でもって、都市伝説にもめちゃくちゃ詳しいの。例の大噛神社の話も珠ちゃんから聞いたんだよ?」


「なに? ……そうなのか?」


 だが、零が改めて珠子を紹介すると、久郎はそれまでのまるで興味のなさそうだった態度を俄かに変え、若干、目つきを鋭くして珠子の顔を見据える。


「フフン。まねえ。ゴシップや都市伝説にかけちゃあ、この開慧高…いいえ、この辰本であたしの右に出る者はいないといっても過言ではないかもしれないわね」


「では尋ねるが、実際、戌の日に大噛神社へ行ったという者の話を聞いたことはあるか? あるいは行くと言っていた者でもいい。さすがに魔犬に会ったという者はいないと思うが……」


 そして、腰に手を当てて誇らしげに胸を張る珠子に、そんな質問を唐突に投げかけた。


「ん? ……ああ、今んとこ聞いたことないけど、そう言われてみれば、しっかり調べたこともないからなあ……ま、あたしの力を持ってすれば、そんな情報もすぐに集まると思うよ? もっとも、ほんとにそういう人がいればの話だけどね。でもなに? ひょっとしてアリスちゃん、あの都市伝説試す気なの?」


「そうか……独りで地道に当るしかないと思っていたが、これは案外使えるかもしれんな……」


 その答えを聞くと、久郎は独りブツブツと呟きながら、珠子の質問も無視して何やら考え込んでしまう。


「ねえ、都市伝説に興味あるんなら、ぜひオカ研に入ってよ! うちの会、今、四人しかいなくてさ、あと一人入って五人にならないと生徒会の規則で存続も危ぶまれてるとこなんだよねえ。新入生もなかなか難しそうだし……あ、ちなみに零も数合わせのための幽霊会員だったりするよ? ね、零みたく籍置くだけでもいいからさあ」


「うん。あたしも一応、会員だったりするんだあ。まあ、滅多に活動には参加してないんだけどね。よかったら、久郎…じゃなかった、有栖くんも珠ちゃん達を助けてあげておくれよぉ」


 細い顎に手をやり、何やら思案に暮れている様子の久郎に対し、珠子は必死にオカ研への入会を懇願し、零も思わず〝久郎〟の名を出しそうになりながら、友人兼幽霊会員としてその後押しをする。


「……よし、いいだろう。おまえの望み通り、オカルト研会に入ってやる。その代りに対価として、さっき言ったような生徒に関する情報を集めて俺によこせ。等価交換っていうやつだ」


 すると、珍しくも口元に薄っすら不敵な笑みを浮かべて、顔を上げた久郎は意外にもあっさりとオカ研への入会を了承する。


「ほんと! やった! 新入会員ゲットだぜっ! 新学期二日目にして会員増えるなんて……あ、こいつぁ春から縁起がいいやぁ~! ……てか、アリスちゃん、なんか昨日と雰囲気変わってない?」


「うんうん。二人とも喜んでくれたようでよかった~。あたしもがんばって考えた甲斐があるってもんだよ」


 その思いもよらぬ色良い返事に、彼の人格の変化になんとなく気づきつつも、珠子は某国民的アニメのパロディ&歌舞伎調の声色で歓喜の声を上げ、零の方は自分の思いつきを自慢げに自画自賛する。


 けっきょく、なんだかんだ言ったものの、零の考えた方法を採用することになったわけだ。


「おまえの提案通りというのがなんとも不本意ではあるが……ま、ここは実をとるか……」


「よーし! そうと決まれば善は急げだ! 今日のお昼、契約の儀式を執り行うこととしよう!」


 一方、どこか渋い顔をして眉根を寄せる久郎を他所よそに、ハイテンションな珠子は振り上げた右手の人差指を天に突き立て、周囲の痛い目も気にせず声高らかにそう宣言した――。

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