清水伶香としおり・I
伶香はいつも一人で本を読んでいる。一人を好んでいるのか、集団が苦手なのか、あえて一人でいるようにも見える。
熱海は巧以外のクラスメイトとの関りがほとんどないため、だいたい一人でいる。そのため、同じような人がよく目に入る。伶香がその一人だ。
グループになっている女子よりも、いつも一人でいる人のほうが話しやすいということと、隣の席ということもあって上手くいけるかもしれない。少しだけ自信が出てきた。
熱海はほとんど話したことのない伶香に声をかける決断をし、拳を握った。
「おはよう」
「おはよー」
「聞いた? また口裂け死体があったって。今月二回目だよ?」
「自殺だっていう噂もあるじゃん? それならまだ怖くないんだけど……ねぇ」
教室では朝早い少人数の女子たちが挨拶をしたり、わいわいと話をしている。
朝のホームルームまであと十五分はある。
熱海の席は一番後ろの窓側だ。つまり、主人公席。その右隣が伶香の席だ。
すでに伶香は学校に来ており、自席で本を読んでいる。ブックカバーがついているため、なんの本かはわからない。机の上には、夜空に打ち上り、海面に反射する花火、遠くにある明るく光る建物やガントリークレーンが描かれたしおりが置いてある。なんと綺麗な絵だろうか。
そう思うと同時に、どこかで見たことのあるしおりだなと思ったが、どこで見たのか思い出せない。
熱海は席に向かっている途中で少し見入ってしまう。だが周りから見たら、ただ本を覗き見している奴なので、足早に席に着く。
「はぁ……」
これから話しかけなければならないと思うと緊張でため息が出てしまう。自分自身で決めたことだが、何もせず静かに、やらなくてもいいことはやらずに生きたいため、気分が重くなる。だが、もしかすると命や犯罪に関わること。行動を起こすしかない。
「あ、あの……」
「……」
声が小さすぎたのか気づいてもらえない。これではコミュ障ではないか。いや、コミュ障だ。
まずは名前を呼び、誰に話しかけているのかをわかってもらうべきだろう。
「し、清水――」
「おぉー! 遅れる遅れる!」
オドオドしながら熱海が名前を呼んでいる途中で、叫びながら巧が教室に突っ込んできた。巧の席は熱海の前のため、こちらに向かって走ってくる。
心臓の鼓動が激しくなる。ただ女子の名前を呼ぶだけで、まるで今から告白をする男子のような気分になった。
うとうとしていた伶香は巧の大声に体をびくつかせていたが、その声の主が巧だと認識してからは落ち着いたようで、再び本を読みだした。
熱海は何食わぬ顔をして巧に声をかける。
「遅れるって、まだホームルームまで十分もあるぞ」
「いやいや、昨日先生に朝職員室来るように言われててさ」
なぜかとても楽しそうにニコニコしてる。
「お、あった。これだな」
巧は、ケティという二足歩行する不気味な猫のマスコットキャラクターのキーホルダーが付いたかばんからプリントの挟んであるクリアファイルを取り出す。先生に提出するものなのだろう。
「じゃ、頑張れよっ」
ポンっと肩を叩かれ、小走りで教室から出ていく。
いったい何をどう頑張れというのか、まったく理解ができなかった。
伶香に声をかけることかとも思ったが、それは考え過ぎかとも思う。
「あの、清水さん」
巧のテンションに引きずられ、すんなりと声をかけることができた。
「はい……?」
伶香は熱海の方を向くと、不思議そうに小首を傾げる。幸い、特に声をかけられることを嫌がってはいなさそうだ。
声は静かで柔らかい。やはり口数の少ないおとなしい子はこういう声なのだろう。姿と声が完全に一致した。つぐみとはまた違って可愛い。でもどこか気が強そうな気もした。
正面からあまり顔を見たことがなかったため、気づかなかったがとても美人だ。
だが、表情は一切変わらない。無愛想な子のだろうか。たとえ無愛想な子だとしても美人には変わりない。つぐみのように可愛いと話題になってもいいくらいに。静かなため、目立たないのかもしれない。そんな彼女はジト目気味だ。
返答を待っているのか熱海をじっと見つめている。
「あ、えーと……」
そんなことしか考えていなかった熱海の頭の中には『会話』という文字など、どこにもなかった。真っ白だ。
まずは落ち着いて深呼吸を一回。
「突然ごめん。藤宮つぐみって、知ってる?」
「はい」
「え?」
思わず聞き返してしまった。知っているかを聞くことで精一杯だった熱海に、「知っている」という返答がきたときの心構えはできていなかった。
「……はい?」
伶香は不思議そうに口を開く。
「あぁ、ごめん……えっと」
まさかの返答にどうしたらいいのか、わからなくなっていた。
だが、伶香は察したのか理由を教えてくれた。
「二年生の中で可愛いと有名ですから」
「あ、あぁ、なるほどね……」
熱海は少し安心する。
「話したこととかは?」
「いえ、まったく。話す機会がないですからね」
「あぁ……なるほど。ありがとう」
つまり今のところまったくの接点がないということだ。これで確信できた。あれは未来を映しているのだろう。あまり自信満々に言いたいことではないが。
「ところでその本……何読んでるの?」
話をできたことがうれしかったため、もう少し話をしてみようと本のことを聞いてみる。
伶香の表情が少し柔らかくなるが、まだ硬い。
「これは……ラノベです」
少しためらいがちに言いながら、長い黒髪を本から離れた左手で耳にかける。
前髪が目にかかりそうなくらい伸びているため、陰気な雰囲気。無愛想な感じなのもそう見える理由の一つだろう。
伶香の髪型は黒髪ロングだ。常にタイツを履いている。席が隣になったため毎日目にするせいか、そんな変態的などうでもいいことを覚えてしまった。背はつぐみより少し小さいくらい、つまり熱海の首のあたりくらいの背だろうか。そして、彼女もまた控えめな胸。制服を着ていてもわかるほどに。逆に制服だからわからないのかもしれないが。
なぜだかそういうどうでもいいことを考えすぎてしまった熱海は、次に口に出すべき言葉を見失っていた。
「あの、浜北さん? どうしましたか?」
同級生なのにも関わらず、丁寧語で話す伶香。
「あぁ、いやごめん。ラノベとか読むんだなと思って」
咄嗟に思いついた言葉を口にする。だがこれは本心だ。もっと小難しい本を読んでいるものだとばかり思っていたが、こんな近くにラノベを読んでいる人がいたことに驚く。
「変、ですか」
「いやいや、いいと思うよ。俺もラノベ好きだし」
「そうなんですか」
また少し表情が柔らかくなる。
だが、会話はそこで終わってしまった。特に関りのない熱海のようなウジウジとおとなしい伶香の会話は大して続くはずなどなかった。
伶香は再びラノベを読み始め、熱海は緊張でぐったりしていた。
「はぁ……」
ため息がこぼれる。
だがこれで二人に接点はないことがわかったのだから、無理に話しかけなくてもよくなった。話しかければ話しかけたで、つぐみに興味をもたれてしまうかもしれない。熱海が二人の接点を作ってしまっては元も子もないのだ。
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