告白Ⅴ


「――それが雫君の本心かい?」


 そう言葉にしたのは綾香の後ろに暇そうに待ちぼうけていた水月先輩だった。


「本心も何も、二人が思ってるほど俺は……」


「そうかい。なら言わせてもらうけどね、今の君ぐちゃぐちゃだよ、それはもうスクランブルエッグみたいにぐっちゃぐちゃ」


「俺が……?」


「君自身が何かと理由をつけたがるのは知ってる。そういう人だってこともね。でも今回はそういう部分がきっとこういう解離を生んでるんだろうね。まさに水と油、相反するものが君の中でうごめいて今もなおぐちゃぐちゃだ。あの木の下の時とはまた違った色だ」


 あの木の下……。

 そういえば俺が自分を偽ればいいと思ったのもこの河川敷の先にある木の下での出来事だった。

 そうか、先輩には他人の感情が読めるんだったか。


「感情が読めるってやつですか……本当……」


「不気味かい?」


「……いえ」


「そうか。でもそういうのには慣れてるよ、親しくなればなるほどそういうのには敏感になってくるものだからね」


 水月先輩は綾香に一つ目を配ったかと思うと、その目じりを穏やかにしてまた俺のほうに向きなおる。


「ま、雫君に不気味と思われたところでそれもまたいいのかもしれないけどねっ」


 そう軽口をたたく水月先輩にこつん、と蹴りをくらわす綾香。

 それに笑ってごまかした後、水月先輩もまたごほん、と咳払いをする。

 

「雫君には私が君に初めて会った時のことは話してなかったよね?君はねホントに感情が読めない人だったんだよ初めは。でも次第にわかるようになって暗い闇を抱えた危うい少年だって気づいて余計気になって。そうしたら今度はそんな自分の感情すら抑え込んでしまう始末だ。なんてめんどくさくて、生きづらそうで、悲しい人なんだって思ったよ。少しでも救えたらな、とも思ったね」


「いったい何の話ですか」


「君と私の出会いの話だからもうちょっと聞いててよ」


 水月先輩はそういいながら話をつづけた。


「それでさ、一回はその心に迷いがなくなった時があったんだ。覚えているかはわからないけど、君が新しいバイトをするって言って不安に駆られていた時さ」


「覚えてますよ」


「それならよかった。君は確かにあの時、一瞬だけでも不安の種がなくなってたんだ。でも結局のところ君を追い詰めてしまったことに変わりはない。私もそのせいで一週間は罪悪感に襲われて、ずっと後悔してた。あんなことを言わなければこんなことにはならなかったんじゃないかってね」


 そんなことない、という言葉がのどまで出かかる。

 なんで水月先輩がそんなことを感じなくちゃいけないのか。

 こうなってしまったのもすべて、俺のせいだというのに。


「でも今になって思えばこれでもよかったのかもしれないって思うんだ。私が感じてた君の不安や闇っていうのを、君自身がはっきりと言語化できているんだから。前みたいに漠然と”俺はいったい何者だったんだろう”って言われていたらどうしようもなかったかもしれない」


「それで何か変わるんですか」


「変わるよ。君の言う罪がその正体だっていうならね」


 だとしたらなんだっていうんだ。

 何がよかったっていうんだ。


 もしかして今俺は、水月先輩に説得され許されようとしているのか? 

 はっきりと自分の罪をひけらかすように明かしてそれを当たり前のように違うよ、って言ってもらって許されようと。

 そんなの罪なんかじゃないって絆されることを望んでいるのか?


「違いますよ!俺は、許されたくて話してるんじゃない……!俺は二人の思うような人じゃないってそう言いたかっただけ……!」


「ほら、そういうところさ」


「何が……!」


「その違うって、なんだい?私にそうじゃない、って言いたかったのかい?それとも」


「っ……」


「君自身、理性とはほかのところで何か違う考えが働いてるんじゃないのか?」


 そんなわけ……!

 ない……のか?


「それが今の君の心がぐちゃぐちゃな証だ」


 考えがまとまらない。

 いったい何を言われているのか。


「話を戻そうか。君の言った罰の話さ。私には君と綾香の話す中学のころの話はわからない。けど、話を聞く限り君はこれまで積み重ねてきたことすべてを否定しているように聞こえる。自分の努力も、磨いた技術もすべて。まるで君自身が自分を否定したがっているように私には聞こえたね」


 俺はその言葉に方唾をのんで、必死に出てこようとする言葉を止める。

 それは違うって言いたいその心さえ、今の俺には正しいのかさえ分からないから。


「でもこんなの結局赤の他人の私が言えることじゃないんだ。それは違う、間違っている、っていうのは簡単だよ?でもそんな言葉いったいどんな大義や責任があって言える言葉なんだろうね。私にはそんなものなんてこれっぽっちもない。雫君の過去も、抱えている不安もなんも知らないし、わかってあげられない。だってまだ出会って三か月くらいしかたってないもん。知りたくても知れないよ」


 水月先輩はどこか懐かしむような、それとも哀しむようなそんな哀愁を漂わせる。

 それはまるで一度経験しているがごとく、その言葉には重みがあった。


「だから私は決して君の背負う罪が間違っている、だなんて言えない。そんなもの、って形容するのもおこがましいくらいに君には大切な信念だってあるのかもしれない。でもそれじゃあ私みたいなのがいる意味だってないと思わない?間違っているって言わないだけじゃ何も生まれないもの」


 俺は次第に顔を上げていた。

 それが夕焼けの空に惹かれたからなのか、それとも目の前の彼女たちに惹かれたからかは知らない。

 でもまっすぐに彼女たちに顔を向けていたのは間違いなかった。

 それが意識的でもそうでなくても関係ない。


「だから私は君に言いたいんだ。その罪の代償が君の罰だって言うなら、その罪を許せるのはほかでもない他人じゃなきゃいけないんだって。他人の感情を、他人のことを考えてこないで他人を不幸にしたのだというなら、それを許してあげられるのはそんなことないよ、っていう優しさだけじゃない。その上でどうするかって一緒に考えてくれる他人ひとの存在だよ」


 まるで何かを導くようなそんな説得力が、水月先輩の言葉にはこめられていた。

 私ならその人になれる、というそんな意志が俺にも伝わって、実際には伸びていないその手が俺を導いているような幻覚にさえ陥らせた。


 ただ彼女はたちまちに目配せをしたかと思うとほっと一息つくように言う。


「でも、あくまで私は雫君の過去を知らない他人だ。どうやら彼女は違うみたいだよ」


「綾香……」


 

「私は水月みたいに片桐君が実際のところどう感じているんだとかはわからないの。水月は私に見えないことをいろいろ知ってるから。でもそれでも私は、片桐君がなにか勘違いしてると思う」


 勘違い……?


「私ね、緑さんからこういうことも聞いたんだ。サッカー部の人たちと片桐君がどんな関係だったのか。どうして片桐君以外が一斉に試合を放棄するにまで至ったのか」


 綾香が語ってくれたことは多分全てではなかった。

 だが、それでもあの頃を思い出すには少なくない量の記憶の本流を感じさせた。



 俺が嫉妬を買っていることはあの日ようやく気付くことができた。

 それまで自分の進む道に間違いなんてないと信じ切っていたから。


 そう、俺は決してサッカーにおいてチームを意識しないことなんてなかったんだ。

 他人の感情は確かに推し量れなかったのかもしれないが、それでもチームの一員としての信頼をチームメイト全員においていた。

 結局は自分が勝つため、個人の欲が強かったのかもしれないが、そのためにみんなをチームの一員として考えてきたことには変わらない。


 

「信頼は絶対にあって、それが片桐君の他人への無関心だって言える?本当に他人のことを考えてこなかったのなら、最後の試合の時に足を止めたチームメイトから罪を感じることもなかったはずでしょ?でも片桐君はそのことが罪だって思ってる。これまでの全ての行為にも積み重なる罪があるんだってそう思うようになっていってる。実際はそんなことないのに」


「信頼、か」


 チームメイトとして信じていたはずだった。

 それが裏切られたから、その理由が嫉妬だから、行き先のない矛が自分に飛んで行った。

 試合を放棄した彼らが悪いのは明らかで、でもその嫉妬の原因が、彼らの恨みを買うような行動が、自分の罪だって思えば楽だった。

 そうすれば、自分を殺せば、他人を信じることも誰かから恨みを買うこともないから?


 ――違う、違う違う違う違う!

 そんな結論で俺は罰を課して、そして生きているっていうのか?

 これまでの努力を、磨いてきた技術をすべて否定してその先にあるのがそんな結論だって言うなら、何のために俺は罰を課したっていうんだ。


 ――まるで君自身が自分を否定したがっているように私には聞こえたね


 

「でも片桐君はその殺してきた自分をさっき、ほかでもない一条君の前で見せてきたんでしょ?」


 俺は息をのむ。

 

「ここまでずっと、自分を殺してきたって言ってたのに、あの時だけは中学のころ私に一人じゃ味わえない楽しさを教えてくれた片桐君だった。間違いなく。あの目も、凛々しいながらもまるで少年みたいに爽やかな笑顔も、周りを巻き込んでしまえるあの雰囲気も、全部」


「あの時は……なんでか体が勝手に動いたんだ」


「勝手に?」


「なんでかは……わからない」


「本当に?」


「あぁ」


「私はわかる気がするよ、なんとなく、だけど。違ってたなら申し訳ないんだけど、もし一条君がコートでひときわ目立ってた爽やかそうな人ならあってると思う。……片桐君は一条君の気持ちにこたえたんだよ」


「こたえた……?」


「片桐君の中で一条君たち、チームメイトってあの頃のままなんだよ。彼らが片桐君を裏切るその瞬間まで互いに信頼していたっていうならなおさら。理性では昔のことだって思っていても片桐君のどこか本能的なところでは彼らをまだ信じていたかったんだよ。だからまっすぐにぶつかろうとしてくる一条君にこたえるために、あの頃の、殺したはずの自分でこたえた。そうなんじゃないの?」


 確か、あの時は光輝に「俺の憧れであってくれてありがとう」と言われて、それで言いようもない欲求に身をささげた。

 そうだ、あの時の俺は信じていたかった、そう思っていたんだ。彼らのことを。


 そんな光輝の覚悟が俺の体を動かしたのか……。


「確かに、そうだ。光輝と再会した時にはこんなこと感じてさえいなかった……」


 だとしたら俺は。


「片桐君は、チームメイトを、他人ひとを、ただ信じていたかったんだよ」



 夕焼けの空が雲を運び、その風を少ないながら頬で感じていた。

 なにか合点が言った、というにはあまりに回り道を過ぎた気がする。

 そんな言葉じゃ形容できない、蛇足を歩んだと気づかされるほどに。


「片桐君が他人とかかわることでこれまでみたいに信じたら裏切られるって思って、他人を信じることをやめて、自分に罰を課したって言うなら。私はそんなことないよって言ってあげれる。だって私はもう決めたんだから。絶対に片桐君を裏切らないって」


「……」


 水月先輩は俺に罪があるなら一緒に背負うといってくれた。

 綾香は俺の心境を悟って俺を裏切ることはないといってくれた。


 俺の罪は他人からの悪意を買うような何かをしてしまったこと、その積み重ねだと、そう思っていた。

 嫉妬を買ったというならその嫉妬を生んでしまう原因があって。

 それが人を傷つけたというなら俺があがなわなければいけないと思った。

 

 でも信じている人からさらされる悪意に俺は耐えられなかったから。

 たったそれだけの理由で自分を殺して自分への興味すらなくなっているんだとしたら。

 

 俺は……。

 


 太陽はもうすぐ地平線に隠れてしまいそうだ。

 淡い光が川に反射して、何でもない景色を色づける。






「長くなっちゃったけどさ、最後に一つだけいい?私たちが伝えたかった大事なこと」


「はぁ、なんだか凄い回り道を通った気がするよ」


 多分俺はこの瞬間を今後一生忘れることはないんだろう。

 そう思うほどに彼女らは美しく微笑むのだ。

 


「ずっと前から好きでした」


「ずっと好きでいていいかい?」


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