29 - お説教耐久フルコースは怖い

「ようやく着いた」

「……なんか、いかにも、なんだね」


 若干ぐだぐだ言い合いつつも、ユキはカイルに敬語を使わないことを了承した。他にもいろいろ話した気はするが、ユキが覚えていられるような情報量ではなかったので、もう覚えることを諦めた。本当に必要になれば、たぶんカイルがいい感じにフォローしてくれるはずだ、と勝手に思っている。


 そんなことより目の前の扉である。

 一般的なものよりも遥かに大きい両開きの扉が、目の前にどんと立ちふさがっているのだ。黒々とした金属でできたそれには取っ手のようなものが見当たらないが、押せば開くだろうことが、そして開いて中に入った後にはその扉からは外に出られないだろうことが、なぜかわかる。

 おそらくこれが、カイルが言っていたボス部屋というものだ。


「休憩しなくていいの?」


 ところどころにあった安全地帯で休息は取ってきたが、ダンジョンボスの前に休んでおいた方がいいのではないだろうか。カイルはユキを抱っこしたままで、全ての魔獣を魔法で倒してきている。飛んだり跳ねたり切ったりと動いていたわけではないが、魔法を使うだけでも疲れはたまるはずだ。


「んー、たぶん平気。ダンジョンの魔獣があれくらいなら、ボスもそんなに強くないはずだし」


 そう言いつつユキを地面に下ろし、カイルは魔法袋からグローブを取り出してはめ、ブーツの靴紐を結び直した。腰に提げた剣の状態を確認し、よし、と小さく呟いてから、ユキの目の前に屈む。


「相手次第ではあるけど、入ったら、ドアの前でじっとしててくれる?」

「うん」


 ありがとう、とくしゃくしゃ頭を撫でられて、ユキは首を竦めた。くすぐったい気持ちになったのだ。お礼を言われるようなことは何もできていない。ひたすら抱っこされていただけでお礼を言われたら、ありがとうの基準が低すぎる。

 一応何かできないかと、先ほどから扉の向こうを探ろうとしているのだが、この向こうだけは何もわからない。それくらいは役立てるかと思ったのに、そうそう上手くはいかないもののようだ。


 立ち上がって手を差し出してきたカイルに首を傾げてから、間を置いて理解して手を繋ぐ。二人で押すと耳障りな音を立てて扉が開き、カイルに続いてユキも部屋に足を踏み入れた。後ろで扉が閉まる音が聞こえ、徐々に部屋の中が明るくなっていく。


「あー……めんどくせぇやつ……」


 横にいるカイルが本当に嫌そうな声を上げて、ユキは視線だけそちらに向けた。目の前にいるボスを見てのことだろうが、はっきりと顔に出すほど嫌いな魔獣なのだろうか。

 扉の前は攻撃範囲にならないのか、部屋の中央辺りにいる魔獣は、こちらには何もしてこない。このダンジョンの入り口のような、樹木の姿をしている。枝や根を蠢かせ、幹の部分にある二つの空洞が赤く光り、目のようにも見えて恐ろしい。


「面倒なの?」


 扉の前にいてね、とカイルがユキの手を離し、右手に剣を構える。


「火属性の魔法でも使えれば速いんだけど……オレが使えるの、風属性だからさ。地道に削るしかない」


 その場合ちょっと時間がかかるんだよね、と嫌そうに眉尻を下げるので、ユキはカイルの左手を取った。


「……ユキ?」

「燃やしたら速いんでしょ?」

「まあ、そうだけど」


 どしん、と太い枝がこちらの方に叩きつけられるが、ぎりぎり射程範囲外である。少し床がえぐれて砂や石が飛んでくるが、こちらのダメージにはなりえないようなささやかなものだ。


「抱っこ」


 ユキが両手を上げて要求すると、カイルは碧玉の目を見開いた。


「タイミングおかしくない!?」


 それでも剣を収めて抱っこをしてくれるのは、いいのか悪いのか。

 自分で言っておいてユキもどうかと思ったが、さすがに手を繋いだだけではできる気がしなかったので仕方ない。


「風魔法の強いやつ出して」

「ごめん全然話がわからない」


 ダンジョン内で散々カイルの魔法を見ているので、やってやれないことはないはずだ。ぶっつけ本番なのが少々痛いが、おそらく問題ない、と思う。たぶん。


「一撃ひっしゃちゅくらいの」

「えっ、なに、ホントわかんないんだけど」


 戸惑うばかりのカイルに、ユキは口を尖らせた。ダンジョンの仕組みを詳しく知っているわけではないが、あのボスを倒さないと外に出られないことはわかる。だったら、さっさと倒して早いところ家に帰りたい。野宿なんてできませんなどと言うつもりはないものの、ふかふかの布団の方が好きに決まっているではないか。

 抱っこしてくれているはずのカイルをべしべし叩いて、樹木の姿のため魔獣と呼んでいいのかどうか少々悩ましいが、ひとまずボスの魔獣を指さす。


「あれたおしゅんでしょ?」

「そうだけど……」

「ぼく魔法撃てないから、出して」


 頑なに言い張るユキに少しだけ困った顔をしてから、カイルは詠唱を始めた。


 一般的に、魔法を使うからといって大仰な呪文を唱える必要はないし、何か特別なものを用意する必要もない。ただ、媒体として魔石や魔法陣を使ったり呪文を詠唱したりすることで、威力や精度を上げることができる。ユキもイケに習ったので、それくらいの基礎知識は持っている。

 つまり、今カイルが使おうとしている魔法は、かなり威力が高いということだ。

 邪魔をしないようにユキも大人しくしているが、その圧力はひしひしと感じている。


「――猛れ遊べ吹き飛ばせ切り刻め、自由なるものの力を顕せ」


 声が途切れた瞬間、風が吹き荒れた。無秩序に叩きつける風が、一方で明確に指向性を持っているのがユキにもわかる。

 あとはこれに、手を貸すだけだ。

 そっと手を伸ばして、ゆっくりゆっくり、風を撫でる。


「……は?」


 屠るべき獲物に向かう風が、顎門を開いて喰らいつく炎へと変わる。


「……いやいや……」


 猛り狂う風が牙を剥き唸る炎へと変容し、ダンジョンボスを一瞬のうちに業火へ閉じ込めた。思わぬ熱量に、ユキは身を縮こまらせる。


「……ユキさん?」

「思った以上に熱い……」

「確かにめちゃくちゃ熱いけど問題そこじゃないからね?」


 しばらくして火が消えた後には、ひときわ大きな魔石が落ちている。

 カイルは風を使って黙々と回収し、腕の中の子供をじっと見た。子供は不自然に目を逸らしている。


「ユキさん?」

「これで帰れましゅよね?」

「敬語はなしって言いましたよねユキさん」

「えーっと、カイルも敬語になっているような気が」

「お話ししたいことが大量にありますので、ここでは落ちつけませんし外に行きましょうか外に」

「…………はい」


 悪いことはしていないはずなのに、なぜかユキは冷や汗が出た。カイルが怒っているわけではないのはわかる。わかるが、今のカイル相手に迂闊な態度を取ってはいけないのも明白だ。

 そんなことしてみろ、いつかのイケのようにお説教耐久フルコースに決まっている。

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