第三百七十二話・花火大会の後に・その二

Side:とあるお公家様


 京の都をでて幾年月。今も都は荒れておると聞く。


 僅かばかりの荘園は他人の手に渡り、戻りくる気配はない。先々代までは家業もあったがその技も大半が失われてしまい、戦火から逃れ、追われるが如くに都を出でて流れるように駿河にたどり着いた。


 今川治部大輔殿はそんな吾を温かく迎えてはくれたが、今川家の中には吾らを穀潰しじゃと陰口を叩く者もおるくらいじゃ。


 和歌や蹴鞠を教授せんとそれなりに勤めておるが、風雅典雅を理解せぬ者も多いのが今の世の中よ。


 ただ、こちらも公家のことなど眼中にない大樹や管領よりは、今川殿のほうがいいというだけなのじゃがの。


 尾張に参ろうと思うたのも、ほんの気まぐれであった。


 誰もが窮する今の世で、見世物に銭を多く使う織田に興味を引かれたまでのこと。駿河に戻りて話の種にでもなれば良しと思うたまで。


「あれほどの花火とやらを見られるとはの。生きておればいいこともあるということか」


「まったくであるな」


 尾張に参りて、都をでる時に暫し同行した公家と再会した。


 互いの細々とした伝手で駿河と越前に分かれし吾らが、こうして尾張で再会出来るとは感無量じゃの。


 しかも花火なるものの素晴らしさは言葉では言い表せぬほど。南蛮人を下賤じゃと考えし己が恥ずかしゅうなる。


 あれほどの花火を見せし者を下賤じゃと笑うは愚かな行為であろう。


「斯波武衛家も随分苦労をしたようであるが、上手くやっておるようでなによりじゃの」


 尾張に参って驚きしことは、斯波武衛家が意外に大切にされておることか。今川の者は酒に酔えば先代の武衛家当主との戦に勝ったと自慢をしておるが。織田とは意外に上手くやっておる様子。


 実権があるのか分からぬが、上手いこと織田殿の御輿になっておる。武士はそれを見らば見下すが、あれはあれで難しいのじゃ。戦のことしか頭にない武士になど到底為せぬことじゃ。織田三河守殿も斯波左兵衛佐殿の面目を保ち、粗略にはしておらぬ。


 尾張での斯波武衛家は朝家のようなものかもしれぬ。


「それにしても願証寺の証恵上人が参りておるのは驚きじゃな」


 確かに織田と願証寺の親密ぶりは駿河でも話題ではあるがな。越前は一向衆と関わりが微妙なだけに、織田と願証寺の親密ぶりには越前から参った公家たちが驚いておったわ。


 三河の本證寺からは参っておらぬし、そちらがつねで、世のらいであろうに。


 話を聞いたところ、織田から誘いはしたが、織田側もまさか証恵上人が自ら参るとは予期しておらなんだとか。


 今川治部大輔殿は一向衆が織田に付くことも考えて慎重なのであろうな。


「明日の茶会には出るのか?」


「当然であろう。噂の久遠家の者も参るとか」


「確かか!?」


「うむ。先ほどちらりとじゃが確と聞いたからの」


 今宵は清洲で宴が開かれ明日には茶会も開かれると、今朝になり斯波武衛殿の名で誘いが参っておる。昨日の花火も終わったことで気の早い者は今日にも帰ろうかと話しておるが。


 駿河から参った者は今川家に、越前から参った者は朝倉家に遠慮がある。共に斯波武衛家とは因縁があるからの。みな参席するか帰るかの対応に悩んでおるのじゃ。


 あまり親しくし過ぎて帰る場所がなくなるのは困るからの。


 じゃが久遠家の者が参る茶会と教えると皆の目が変わった。織田殿の猶子のようじゃが、華々しき外向けの宴などにはあまり顔を見せんと評判なのじゃ。昨夜の花火見物の時もおらんかったからの。


 噂では本人が身分違いから遠慮したと聞くが、久遠家当主と会えるならば斯波武衛家の宴や茶会に出たき者は多かろう。


 こういう機会に顔を見せておけば、いつか役に立つかもしれぬからな。吾とて今川殿に久遠家当主と会うたと言えるなら面目が保てる。久遠家当主と話をして、話の種でも仕入れるとするか。


 越前の朝倉家は安泰のようじゃが、三河に於いては織田家に押されておる今川家は旗色が悪いとも見える。織田家と久遠家に顔を見せておいて損はあるまい。




Side:北条氏尭ほうじょううじたか


 銭一千貫と大量の米の礼にと織田の船で尾張に来たが、ちょうどよく花火を見ることが出来るとは運がいい。


 小田原でも昨年の里見との戦の戦勝祝いにと花火を打ち上げてくれたが、やはり花火はいいものだ。織田弾正忠殿を始め久遠殿、佐治殿にも礼を述べ、斯波武衛殿にも挨拶した。あとは兄上の申しつけ通りに誼を深め、わし自身の見聞を広めるとしよう。


 尾張に来て驚いたことは幾つもあるが、特に驚いたのは美濃の斎藤山城守殿と嫡男が共に花火見物に来ておったことであろうか。


 織田と斎藤は和睦であって同盟でも臣従でもないと聞いておったが、思いの外、関わりは悪うないらしい。あくまでも他家であり来客として織田は扱っておったが。


 もしかすれば極秘の盟約でもあるのかもしれん。関東とは違い、尾張は畿内に近い。織田も大きくなっておるし、近隣に信頼出来る者が欲しかろうからな。


 それにしても叔父上のおっしゃったことが見事に当たっておる。


 織田は遠くないうちに我が北条家に並び超えることもあるかもしれんと聞いた時には、俄かには信じられなかったのだがな。


 兄上が正室を今川から嫁取りしたにもかかわらず、織田に肩入れするのも分かるというもの。しかしこうなると今川治部大輔殿の失策が目立つな。


 風魔の知らせでは駿河では織田の忍び衆狩りとして西から来た行商人を幾人も捕まえたらしいが、風魔と忍び衆が合力ごうりきして救出しておる。


 それほど多くないが、尾張から買い付けして戻る途中であった我ら北条の領国、相模や伊豆の行商人がおったことで、兄上は今川に正式に抗議したほどだ。


 他にも織田と北条間の商いが盛んになったことで、伊勢の商人が陸路で商いをして巻き込まれたらしい。伊勢の商人は親織田ゆえに同罪だと考えたのかもしれんが愚かなことを。


 おかげで今川領での商いを控える者が増えたと聞く。


 だが、北条としては朗報となった。叔父上と久遠殿は共に風魔と忍び衆との同盟を結んだ。無論、表沙汰にできぬ同盟だが、関東から東海と伊勢間での合力と融通により北条は西からの脅威が減った。


 織田も今川の背後と繋がった事実は大きかろう。


 今川治部大輔殿は甲斐との争いをやめて三河と尾張攻めに専念するつもりだったのだろうが、織田は久遠を召し抱えて一変した。


 織田は当初、今川に対して金色酒を売り値に優遇を施すことで懐柔して和平の道を探ったようだが、長きに渡る因縁は軽くはない。もっとも織田からすると領内を安定させる時が稼げればよかっただけかもしれんが。


 今川治部大輔殿はいかがする気だ? 武田と組んで織田と戦う気か? 尾張に来てわかったが織田は今川を超えておるのではないのか?


 そもそも武田晴信という男は今ひとつ信用出来ぬ。河越の戦の折には今川寄りの態度で仲介したのを忘れてはおらん。


 あの男のことだ。織田と北条が組んで今川と戦えば横殴りしても驚かん。今川と戦になるかは分からぬが、いざ戦になるならば東海道は織田と北条で押さえたい。


 現状で分かるのは織田が当面は安泰だということか。伊勢の海の支配権は織田殿が握ったようだし、久遠殿の交易の力は衰え知らずだからな。


 そういえば織田は花火に続き明日には大掛かりな茶会も開くと聞く。駿河より幾人も公家衆が来ておるからな。連中に織田の力を見せて今川を圧迫する気であろうな。


 やれやれ、某は茶の湯はあまり得意ではないのだが。北条家名代として恥を掻かぬようにせねばならぬ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る