第三百六十三話・夏の訪れ

Side:久遠一馬


 梅雨が明けたみたい。夏だ。戦国の世にも夏が来た。


「あまり現実逃避はおススメしませんよ」


 海に行こうか山に行こうかと考えていたら、エルにやんわりと怒られた。


 今、目の前には時代相応の地図があり、東の情勢と西の情勢を話し合っているんだよね。残念ながら。


 東は史実より北条と今川の関係がよくない。三国同盟どころか今川と北条の開戦すら現実味を帯びている。織田と今川の動きに合わせて動く可能性があるんだ。


 それと今川が忍び衆の諜報活動に神経質になってきている。


 北条との交流は佐治水軍やウチの船による海洋航路だけではない。陸路でも細々とした交易は続いているし、海路も和船で今川領を通る従来の沿岸航路で大湊などが交易を増やしている。


 多くの人が今川領を行き来していれば、自然と情報も入るのだろう。何度か捕まった忍び衆を助けたり、逃げてきた間者を守ったりした結果、今川はウチの忍び衆を以前にも増して警戒しているんだよね。


 西は堺がやらかしたことが問題だとエルは考えているらしく、史実になかったどこかの勢力による堺への挙兵の可能性が僅かに浮上している。


 オレたちは堺がどうなろうと関わりがないことだけど、問題は堺をどこが押さえてどうするかだ。ウチの影響で商いは縮小傾向であるものの、現状では多くの船が入れる数少ない港であり、多くの優良な職人も抱えている。


 関わりたくはないが一部の勢力が支配すると、畿内のバランスがどうなるか分からないんだ。


 無論、現時点では堺の自治が終わるという可能性は少ない。適当なところで和睦して銭で解決する可能性が高いだろう。それが、この時代の一般的な考え方だ。


「今のところ表立ってやることはないよね。西も東も」


「戦は論外ですが、まったく動かないのも問題になります。東は北条配下の風魔との協力体制をある程度取れるようになりましたので、ウルザとヒルザに任せれば当分はなんとかなるでしょう。問題は西ですね」


 三河から駿河で密かに活動している戦闘型アンドロイドはウルザだ。見た目は二十歳くらいでハリウッド女優にいそうな黒人系美女。もともとは諜報などの工作特化だったアンドロイドだ。


 相棒は同じく黒人系で可愛らしいタイプのヒルザ。見た目は十八歳くらいで医療型アンドロイドになる。こちらも工作特化でゲーム時代はバイオロイドを引き連れて工作任務とかしていたんだよね。


 ふたりは少し前から忍び衆から選抜した者たちを集めて、今川領で忍び衆の支援をしている。ウチの家中にはあえて明らかにしてないが、もちろん資清さんや望月さんは知っていることだ。


 もともと忍び衆の選抜による精鋭隊は資清さんたちが指揮していたのだが、暇を持て余していたのと今川の警戒が厳しくなったのでウルザたちが乗り出したんだよね。


「西か。伊賀はもう抱き込んだし、堺の評判を落とす以上はね」


 そういえば、伊賀とは不戦の約束を交わして仕事を頼んでいる。


 伊賀に仕事を頼み報酬を常時払う代わりに、ウチの関係者や保護した者には手出し無用と認めさせたんだ、これは望月さんの手柄だ。


 伊賀からもウチに逃げてくる者が徐々に増えて問題になっていたからね。硬軟織り交ぜた交渉で不戦の約束を取り付けてくれた。


 こちらから伊賀者の引き抜きはしないが、逃げてきたら手出しさせないことになっているんだ。


 伊賀も苦渋の決断だろう。ウチは金払いがいいものの、ウチに関わると伊賀から抜ける者が後を絶たないんだから。


 敵対して逃亡者に追っ手を差し向けても返り討ちだし、明らかな待遇の違いは伊賀の秩序を乱していた。とはいえ、伊賀もウチに厚遇するなとも言えないしね。ウチが逃亡者でも守るとなると追っ手を出しても割に合わない。


 その代わり伊賀の締め付けは厳しくなったらしいが。望月さん曰く伊賀の上忍による統治は今後影響力が落ちていくだろうと。


「そもそも本願寺が味方って、喜んでいいのか悲しんでいいのか」


「当然ですよ。あれだけ利をチラつかせて、贅沢を覚えさせたのですから。鉄砲や硝石は売っていませんが、酒の他にも高級な絹織物から陶磁器までお得意様です」


 いつのまにか本願寺が味方になっていて堺に圧力を掛けてることに違和感があったが、エルは確信犯だったのか。


 確かに願証寺は敵に回さないように気を使ったけどさ。本願寺まで味方にする気だったとは思わなかった。


「敵対する可能性がある勢力は分断するに限ります。堺を敵にまわす以上、本願寺は敵に回せませんよ」


「あくまでも商いで攻勢をかけるのか」


「堺が本気で当家を潰しにかかる可能性もまだ捨てきれません。現時点で堺と組んで脅威となるのは本願寺です。ここは念入りに分断致しませんと」


 怖いね。本願寺は。史実のようになると面倒だから力を削ぎたいのに、なかなかそこまでいかない。


「それはそうと、海にはいつ行こうか」


 畿内のことはここまでだ。たまには思いっきり遊びたい。


「熱田祭りが終わってからにしましょうか。もともとその辺りのつもりでしたし」


 オレは世のため人のため生きる気もない。オレたちを信じてくれる人たちのために頑張るつもりだけど、公私の区別は付けるつもりだ。休むときは休む。遊ぶときは遊ぶ。今という時間は二度と戻らないのだから。


 エルも理解しているようで、日程を調整してくれているらしい。


 それなりに忙しいからね。こうして予定を立てておかないとなかなか難しいんだ。家臣とか護衛も同行するからね。偉くなるのも大変なんだ。




Side:佐治為景


「これは殿様!」


「おお、よく育っておるの」


「はい!」


 もう夏と言えるか。


 我が領地では水の確保が難しいので田んぼは少ない。だが、今年から久遠殿に頼まれて海の向こうの作物を植えておる。


 今日は馬鈴薯ばれいしょと尾張芋の畑を見に来たが、一面の畑に思わず笑みがこぼれてしまう。


 他国には決して漏らせぬ作物だということで、陸の孤島とも言える我が領地での栽培となったのだ。敵方に漏れては一大事だというので植えさせる村も厳選した。


 もっとも我が領地で久遠殿を裏切る者はおるまいが。


 米や雑穀、酒に味噌などのしょくは元より、反物たんもの、針、糸などころもまつわるものまで、以前は高値で買うておったものが、安く手に入るようになった。醤油・砂糖は久遠殿の求めに応じる品に欠かせぬ故、元来は高値なれど、有って無きが如しの値にて、運ばれて来る。久遠殿は謀らずも我らの心胆しんたんさむからしめるとは…。


 伊勢の内海での荷を運ぶ仕事と関東との商いでは儲けておるし、漁業も拡大しておって大野煮の販売や海苔の養殖など暮らしが激変した。一番大きいのは、直に船に乗らぬ者の仕事が増えたことであろう。


 世間では恐ろしいと言われることもある久遠殿だが、付き合ってみれば気のいい御仁だ。


 今年の春には領内に竹を植えた。竹は成長が早いので数か月で竹が収穫出来る。竹炭や竹細工で暮らしがより安定するはずだ。


 暮らしが変われば着るもの、身なりも変わる。伊勢の水軍衆からは羨ましがられる者も多いという。


 織田はこの先、いかになるのであろうか。


 このまま美濃から東海を制していくのか、それともいずれは畿内に進み天下を狙うのか。楽しみであり怖くもあるな。


 いずれにしろ船はもっと増やさねばならん。


 これからも忙しゅうなるな。

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