第三百六十話・暗闘

Side:???


「いい加減、吐いたらどうだ?」


「……何度も言うた……だろう。わしは素破では……ない」


 駿河の今川領で捕まって、すでに十日。わしはもう駄目かもしれん。


 甲賀の貧しい家に生まれ、畜生呼ばわりされてもなお、この歳まで生きてこられたのは家族がおったからだ。


 その家族とともに尾張の久遠様を頼り働いて、もうすぐ半年になるという頃に敵に捕まってしまうとは……。


 父上や母上は案じておろうな。妻や娘は泣いてしまわぬか。


 戻れぬことを許してほしい。


 ただ、家のことは案じておらぬ。甲賀とは違うのだ。久遠様は皆を守り、きっと戦などない世にしてくだされる。わしはその礎となるのだ。


「もう、殺したらどうだ?」


「それは止められておるのだ。正体を明らかにするまでは殺すなとの命だ」


 この十日、わしを拷問しておったのは、国人配下のようだ。素破如きに随分と拷問をすると思えば。今川の命か? それともこの者らの主の命か?


 そもそも、わしは村々に薬を売っておっただけのこと。捕まる理由などない。




 牢の隙間から僅かに入る月明かりが見える。


 拷問でもう、まともに歩けぬな。仮に助けが来たとしても逃げ切れまい。だが命を粗末にするなというのは久遠家の掟。それは守らねばならぬ。


 それにせめて最後までわしが掟を守ったことを、逃げたわけではないことを知らせたい。


「……誰だ」


 いつの間にか星すらも隠れた闇夜に、突如、牢屋に入ってくる人の気配がした。


 全身黒づくめの者たちだ。まさか、助けか? そんなはずはない。ここは駿河ぞ。それに尾張から来たにしては早すぎる。


「助けに来たわ。よく頑張ったわね」


「わしはもう駄目だ。歩くことも出来ん。殺してくれ」


 本当に助けが来たとは。しかも女だ。何者だ? 


「問題ないわ。さあ、いくわよ」


「すまぬ。本当にすまぬ」


 女に背負われたわしは牢を出ることが出来た。涙が止まらぬ。この敵地でまさか助けが来るとは……。




 もう梅雨だというのに夜風が冷たい。


 国人の城からいとも容易く救い出されたが、途中で止まったかと思えば見知らぬ者らに囲まれておる。


 味方は五名。敵は二十から三十はおるであろうか。駄目だ。わしがおっては逃げきれん。助からぬならせめてわしが時を稼がねば。


「やはり来たな。織田の素破め。己らが下郎を送りこちらを探って、捕まると助けておるのは承知のことよ」


「あら、なんのことかしら?」


「影にて勝手をする。影の衆とでも呼ぶか。氏素性の怪しき久遠のやりそうなことよ。生かして帰さぬ」


「あら、なかなかいい名ね。次はそう名乗ることにするわ」


 わしが前に出て囮になろうとするが、背負う者が降ろしてくれぬ。そればかりか四人がわしを守るように布陣すると、女がひとりで刀を抜き敵と対峙する。


 馬鹿な。この人数をひとりで戦う気か!?


「次などない、死ね!」


 多勢に無勢だ。敵は囲むように一斉に仕掛けてくるが、女はただ者ではない。しかし敵も相当な腕利きばかりだ。何故かような者らがわし如きの救出に動き戦うのだ?


「ぐわっ!」


「なっ……」


 なにも出来ぬ不甲斐なさを嘆きながら思わず目を閉じるが、聞こえてきたのは男たちの命が果てる声ばかりだった。


 信じられん。わしを背負った者を除き、僅か四人ですべて斬り捨てておるではないか!?


 何者だ? まさか今巴の方様か!? あのお方ならあるいは……。


「任務完了ね」


 いや違う、今巴の方様のお声ではない。


「お見事」


 敵はことごとく討ち取ったが、またどこからともなく新手が現れた。こやつは素破だな。しかも上忍かもしれぬ。だがこやつは敵対する様子はない。いったい……。


「此度のこと感謝致します。よしなにお伝えください」


 新手の者に女が感謝の言葉を伝えるとその者は去ってしまい、わしはそのまま背負われて暗闇の中をどこかに急ぎ運ばれる。


 それにしてもわしを背負いながらこれほど速く走れるとは。背負うのも女だ。本当に何者であろうな。


「あれは……」


「ここまで来れば、もう大丈夫よ」


 もうすぐ夜明けという頃になると海に出るに至ったが、船が見えておる。


 あれは……、南蛮船だ。津島に留め置かれ、久遠様が使っておられる船だ。


 まさかあれでここまで助けに?




「よく頑張ったわね。もう大丈夫よ」


 船に乗るとすぐに船は出発した。そこでわしを助けてくれた者たちがようやく覆面を取ったが、まさか奥方様たちだったとは。


 久遠様の奥方様の中でも容姿は目立っておられたお方だ。日に焼けたような黒い肌をした奥方様。御名おなは確か、ウルザ様。なんでも遥か西にはウルザ様のような肌の黒いお人がおる土地があるとか。


「うわ、酷い傷ね。すぐに治療してあげるわ」


 わしを背負っておられたのは同じく肌の黒い奥方様だ。こちらは薬師の方様の弟子だと聞いたはず。御名はヒルザ様。お二方は時折尾張に来ては、のんびりしておられただけのお方だったのだが。


「まさか奥方様に助けられるとは……。なんとお礼を申し上げればよいのか……」


「いえ、貴方は私たちをおびき出すために捕らえられたのよ。ごめんね。以前にも何人か捕まった仲間とか逃げ出していた人を助けたから、今川は私たちの正体を調べるついでに始末する気だったんでしょう。ただ風魔から敵の策が知らされたからね。助けが間に合ってよかったわ」


 船の揺れに身を任せながら、ことの顛末をわしはウルザ様に教えていただいた。


 ウルザ様とヒルザ様は少数の忍び衆と共に味方を差配して、万が一の際には救出をしておられるらしい。


 だが驚きだったのは北条の風魔とすでに手を組んでおったことだろう。


 我ら久遠家の忍び衆は多くが甲賀者だ。駿河にはあまり詳しくないが、長年今川と接し、親疎しんそじりある北条の風魔ならば我らが来る前から駿河を知り尽くしておる。


 互いに知見ちけんの共有と、味方が捕まれば助ける約定やくじょうを交わしたという。


「頑張った褒美は後日あげるわ。でも今日のことは他言無用よ。今川家との戦はまだ早いの」


「はっ。心得ております」


「しばらくは傷を癒すように。そうそう蟹江に温泉が出たのよ。そこで休むといいわ」


 そういえば久遠様に仕えるならばと、真っ先に言われたな。裏切れば地の果てまでも追っ手を差し向けるが、忠義を尽くすならば敵地でも助けに行くと。


 正直、大げさな話だとばかり思っておったが本当であったか。


 今川との戦はまだ早い。久遠家に仕えておる者ならば理解しておろう。戦はただ戦えばいいというものではない。


 綿密な内偵と策にて行うものだ。今川は強大だ。今まで織田が戦ってきた相手とは格が違うからな。


 それにしても、まさか新参のわしのために南蛮船で助けに来るとはな。


 この船に乗りたいと言っておった娘に自慢できないのが残念だ。




◆◆◆◆◆◆◆◆


 久遠家には影の衆がいる。それは同時代の駿河のとある国人衆の手紙に書かれている一文である。


 捕まえた素破が忽然と姿を消したとか、追っ手が全滅したなど様々な逸話があったようで、当時は相当に恐れられていたようである。


 もっともこれがなにを意味するのか定かではない。久遠家が情報収集に力を入れていたことは確かであるが、忍びを使っていたというのは明確な証拠はない。


 久遠家には甲賀出身の滝川家や望月家が仕えていて、彼らが忍びとして働いていたという説があるが、具体的な信頼出来る資料は残されていないので不明である。


 ただし後年の創作ではこの手紙の一文から、滝川忍軍・望月忍軍の呼称が生まれ、有名になったのは確かである。



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