第三百五十一話・関東地震

Side:久遠一馬


 花見も終わると織田領では完全に農繁期に入っている。


 以前は農繫期になると各地で賦役が中断していたが、最近では賦役専業で働いている人が増えているので、清洲城の改築に伴う町の拡張工事と蟹江の港の工事は一部で続いている。


 長島と北伊勢から来ている出稼ぎの人たちもほとんどは一時帰国したが、一部では報酬が出る賦役を優先する人が出始めいるようだ。


 米などは税として大半が取られてしまうが、賦役の報酬は今のところ税が掛からないので人によってはそちらのほうが実入りがいいらしい。


 仕事は農作業と同じ肉体労働だし、一日三食の食事を食べられるように気を配っているからだろうね。


 願証寺や北伊勢の国人衆からは特になにも言ってきてはいない。今のところ田んぼを捨てたわけではないことと、派遣している人数によって礼金を払っているからだと思うけど。


 実情は自分の田畑を持てない人たちが残ったんじゃないかと思う。戻っても賦役で得たお金を家長や親戚などにとられる人も多いからなぁ。


 ああ、蟹江の工事は港が一部完成したことで工事が以前より確実に進んでいる。城を含めた全体の完成にはほど遠いけど、港に関して言えば今年中に使えるかもしれない。造船ドックや蔵などの施設の建築も進んでいる。


 尾張全体では景気は相変わらずいい。とはいえ細かな問題や課題は山ほどある。長年対立している土地や水利権などの揉め事は相変わらず解決には程遠い。


 それと若者が清洲・那古野・津島・熱田・蟹江へと出ていくことに、一部からは反発が起き始めている。惣による自治といえば聞こえはいいが、言い換えれば古くからの慣例と因習に縛られているのがこの時代の農村だ。


 現状では立場が低い者や生活が苦しい者から出ていく傾向にある。当然といえば当然だけど。


 そんな変化は、長年の秩序を重んじる者や利を得ている者からすると、少なからず面白くないのだろう。特に若い男性は働き手としても、村同士なんかが揉め事を起こした時の戦闘員としても貴重だからね。にもかかわらず、必ずしも豊かな生活をしているわけではない。出ていけるなら出ていくよね。


 中には村の掟として出るのを禁じたり、領主が村々に割り当てして一定の人数は出ていくことを禁じたりしているところもある。


 とはいえ移動の自由を妨げるのは織田分国法に背くことになる。国人衆と土豪などにはすぐに警告が与えられたし、小さな村なんかは移動の自由を妨げるならば賦役への参加を禁じると通達が出された。


 まあ、実際にそんな馬鹿なことをしてるのはごく少数派だ。農繁期に一時的に戻るように促すくらいなら禁止していないし、警備兵の一部も実家の村が忙しいところは一時帰郷を許可している。


 現状では村々に回る銭と食糧を考慮しながら、分国法による統治を段階的に実施してるんだ。当然というか匙加減ひとつで不満が大問題になるだけに、事実上の采配はエルの意向がかなり働いているけど。


 美濃斎藤家との関係も順調だ。井ノ口の商人を中心に尾張からいろいろ品物を売っており、斎藤家の取りなしで尾張との商いが続いているという噂を広めてもいる。


 塩や海産物なんかの生活に必要なものは安価で売り、金色酒や砂糖や鮭などの嗜好品や高価な品は井ノ口の商人が更に他国に売りに行けるようにと融通している。


 おかげで道三さんの評判も史実よりは悪くなくなりつつある。




「そんなに酷いのか」


「はっ、入ったばかりの知らせにて、こちらで裏取りまでは致しておりませぬが、駿河から甲斐辺りまで大きな地揺れが起きたとのことでございます」


 暦は四月も後半に入っている。


 駿河に送った忍び衆から駿河・甲斐・関東で大きな地震が、この時代の言い方だと地揺れが起きたとの知らせが届いたと望月さんが報告に来た。


 史実で北条家に打撃を与えたと言われる地震だろう。実は史実の情報とエルたちの科学調査などで震源地と規模はほぼ予測されていたんだけどね。


 第二回となる関東との交易船団はすでに帰還している。船団をこの時期に合わせることも考えたが、一歩間違えればこちらにも被害が出るのでその前に帰還させたんだ。


「詳しく探るべきと、お考えでございますか?」


「うん。あまり無理をしない範囲で」


「心得ましてございます」


 望月さんはさっそく忍び衆に調査をさせるために部屋を後にした。


 部屋には信長さんとお市ちゃんにエルたちがいる。お市ちゃんはエルの膝の上に座り、彼女の大きな胸を頭のクッション代わりにして楽しそうにしている。


 すっかりウチに来るようになっちゃったなぁ。


「甲斐はいいとして、駿河と関東で地揺れとは。荒れるか?」


「どうでしょう。地揺れで失ったモノを略奪で取り戻そうと皆が動けば戦になりますが。関東は河越の戦と先年の鎌倉沖の戦で北条が大勝しておりますので、そう易々とは動けないでしょう。今川の場合は、織田よりは松平などに救荒きゅうこうを名目の徴用徴発ちょうようちょうはつして、逆らえば領地の接収せっしゅうを狙うのではないでしょうか。甲斐の武田は信濃に攻め込む虞が高いですね」


 お市ちゃんは理解していないが地震の知らせは重要だ。


 信長さんは今川が動くのではと警戒している。まあ地震で被害が大きければ戦なんてする余裕ないだろうとも思うが、苦しくなると他国を攻めて略奪に行くのは割とよくあることだ。


 ただ三河の織田領はここ二年の賦役で安祥城を改築して防御力が増している。それに織田と北条との関係もあるから、今川は全力で三河を攻めることは出来ない。口減らしや食料を奪うためにこちらを攻めるのはないと思う。


 仮に今回の地震で史実よりも疲弊しても、表面的に追い詰められてない以上は、勝算のない戦などしないだろう。


 同じく被災した武田だが、一番欲しいのは海に面した領地だろう。とはいえ、あそこは今川とは同盟関係にあって信濃を攻めているからな。こちらと領地を接してないし、あまり影響はないだろう。


 ただ、こうなると少し困るかもしれないのが、表向き今川に臣従しているものの、内部が親織田と親今川に分かれている三河だろう。立場が弱いところにしわ寄せがいく。


「当面は様子見か」


「ですね。ついでに北条には米でも贈りましょうか。余裕がありますし。貸しを作るいい機会です」


 どのみち警戒は必要だけど、今川はいい。どうせ大きな動きなんて出来ないんだ。これを機会に北条に恩を売って貸しを作るほうが有意義ゆういぎだ。


「米をか?」


「地揺れからの復興は大変ですから、見舞金も贈ればいいと思いますよ」


 支援物資と見舞金は元の世界では珍しくもない。大きな地震が起きると判明してからエルたちと相談して準備をしていた。


 昨年の豊作の影響もあり、美濃での騒動で尾張と美濃の米は値段が上がったり下がったりしていたが、西国に売る予定として、現在はウチで一定量を備蓄している。


 それを船で運んで送る計画だ。信長さんもそんなこと聞いたことがないのか驚いてるが、北条との友好は今川がいる限り、特に重要だ。


 史実での北条氏康はこの地震の対応に手間取って後手に回った。地震の翌年には公事赦免令をだして税制の免除や改革を行い、なんとか収めたはずだ。


 北条は税の中間搾取をなくそうとしていたようだし、今の織田の改革に通じる部分が多い。


 地震の規模的に考えても多少の援助物資や見舞金では焼け石に水だが、送った事実が重要なんだ。


「恩を売ることで優位に立つか。そなたたちらしいな」


 エルの膝の上のお市ちゃんが折り紙をやりたいと言い出したので、みんなで折り紙を折りながら北条への支援を相談していく。


 信長さんは少し呆れてるような表情をするが、支援は単なる善意以上の価値があることをすぐに理解したらしい。


 信秀さんの許可を貰って、準備が出来次第、支援物資を送ろう。


 これから秋にかけては食べ物が足りなくなる頃だ。向こうでも喜んでくれるだろう。





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