第三百四十三話・朝倉家を支える男と尾張への帰還

Side:朝倉宗滴


「土岐家が追放されたか」


「はっ。斎藤は織田と和睦し、西美濃は織田が押さえたようにございます」


 美濃から素破の知らせが届いた。ときみつればとは思うておったが、早くも織田が美濃に本腰を入れたか。


 畿内では三好長慶が細川晴元に戦を仕掛けておる。この機を狙ったか? 見事な動きだ。畿内が荒れておる現状では、六角も大きく動けまい。それは我が朝倉家も同じこと。


 特に当家では先年に先代様がお亡くなりになり、当主が交代したばかりだ。新たな殿の奥方様は細川家から迎えておる。ここで下手に動けば三好長慶と細川晴元の争いに巻き込まれるやもしれんからの。


「織田か」


 されど、織田が尾張を纏めて、これほど早く西美濃を手中に収めるとはの。


 もともと越前は織田が主家と仰ぐ斯波家が守護として治めておったところ。それを奪ったのが我が朝倉家になる。


 斯波は遠江も今川に奪われ、今や尾張も織田に奪われておる。最早かつての力はないのじゃが、未だに織田は名目として斯波を担いでおるか。


 斯波からすると今川も朝倉も許せぬ存在であろう。越前に攻め込む大義名分もある。美濃を固めぬうちに、そう易々と動くとは思えぬが。


 六角の動きも気になる。西の三好に東の織田、共に日の出の勢いがある。六角も迂闊に動けまい。それに越前は隣に一向衆を抱えておる。


 斎藤と織田が存亡を掛けて対立するか、いずれかがこちらに手を伸ばしてきたならば別だが。現状では動けぬわ。


「久遠一馬という男に関して、なにかわかったか?」


「申し訳ございませぬ。警戒が厳しく特に目新しいことはなにも……」


 織田躍進の理由は久遠にある。博多や堺を通り越して尾張まで、じかに明や南蛮の品を運んでくる噂の黒い南蛮船が織田の力の根源だ。


 いかほど南蛮船を持っておるのかは知らぬが、月に幾度も尾張には船が来るというのだから信じられんわ。


 織田はその利を生かして、昨年から朝廷に貢物を折々に贈っておるのも気になる。


 畿内では滅多に手に入らぬ金色酒を筆頭に高価な品々を献上しておるようで、京の都では畿内に出てくる前触れとの噂や、守護の斯波家を追放する支度との噂があるが、今のところなんの動きもない。


 いったい如何いかな目的で朝廷に貢物を贈っておるのだ?


 かと思えば、領内では病いの者を無償で診たり、鉄を作ることを始めたという。それらが久遠一馬という男の進言で始まったのは掴んだのじゃが、肝心の久遠一馬という男がよく分からぬ。


 武芸はあまり得意ではないようだが、高価な鉄砲を大量に保持しておって戦には強いようだ。特に関東では里見水軍を壊滅させたようで、海の戦では伊勢の水軍衆が恐れるほどだという。流石は、南蛮船を何隻も持ち、渡海とかいを成す商人の出、そこらの海賊ごときでは相手にならぬということか。


 噂の金色砲も鉄砲の類であるとは掴んだが、詳しいことはよく分からぬ。明の商人がいうには南蛮人が船に乗せておる大きな砲ではないかと聞いたが、一介の商人が手に入るものではないというくらいの高値がするとも聞いた。


 この男がなにを考えておるかわからぬ以上は、美濃には手出しなど出来ぬというのが本音だ。武威を示して誇るわけでもないのに人を従えて、人に信じられておる。


 明らかに武士ではない。だが商人でもない。


 久遠とは、いったい何者なのだ?




Side:久遠一馬


 道三さんとは、その後は商いの話をして終わった。


 当面は経済面での交流を深めつつ、斎藤家には改革と力を蓄えることを提言した。


 どこまで聞き入れるかは道三さん次第だ。ただ井ノ口での商いが拡大すれば、美濃全域を本格的に織田の経済圏とする日も遠くないだろう。現状でも美濃の経済は織田がかなりの割合で握っているけどね。


 有名な美濃紙なんかも、最近では畿内よりも尾張に流れる量が増えているくらいだ。


 それと、道三さんには警備兵の創設も提言した。検地と人口調査も必要だろうが、道三さんでは抵抗が大きくて下手をすれば内乱になる恐れがある。道三さんとしてはそれも覚悟の上のようだけど、現状ではあまり望ましくない。


 織田への臣従の条件が検地と人口調査であるのでいずれは必要だが、斎藤家の力が思ったほど強くないんだ。オレたちが来た頃の織田家もそうだったが、現状では国人衆を束ねる存在でしかない。


 西美濃に大きな影響力がある美濃三人衆などは、織田家と斎藤家の間で様子見というのが現状だしね。


 現状では稲葉山城と井ノ口の町で改革と力を蓄えるのが望ましい。その第一弾として警備兵が無難だろう。治安維持は近代統治の基本中の基本だ。


 無論、この時代でも領主は配下の武将や家臣に町を守らせてはいるし、町人が自警団のようなものを組織しているところもある。ただまあ、元の世界の一般的な治安維持を考えると物足りないものでしかない。


 将来的には領民の武装解除も必要になるだろう。そのためには明確な組織としての治安維持が必要不可欠になる。まあ、これは統一後だろうが。


 経済面では尾張と交流を深めれば豊かになるだろう。まあ美濃の座とか商人が多少騒ぐだろうが、そこは様子を見て従えるか潰すかしかないだろうね。


 問題は飴と鞭のバランスだ。そこは少し心配だけど、史実をみると道三さんよりも義龍さんのほうがうまくやるかもしれない。こちらも様子を見ながら提言するしかないね。




 ケティの診療もうまくいった。今回はいわゆるパフォーマンス的な意味合いが強いものの、美濃の人たちに大好評だった。


 ただ、医療活動の今後に関してはなんとも言えない。医師の育成は始まっているが、一人前になるにはまだ時間が必要だ。そもそも一人前に求める医療レベルも決まっていない。元の世界の近代医学まで教えるわけにはいかないが、簡単な外科的手術は行えるレベルにはしたいけど。


 それに、ケティの往診も当たり前だと思われたら困る。


 なるべく患者から那古野の病院に来てくれる仕組みをつくりたい。そのためには織田領の領民が領内を移動しやすい環境にする必要がある。


 これは信秀さんと以前から検討はしている。市などに合わせて領民に限り月に数回ほど関所の開放をするか、病人の関所通過を無料にするかなど、いくつかの候補が検討されている。


 ただ関所は国人衆や土豪に寺社など、あちこちがやってるから調整とか大変なんだよね。出来るだけみんなが医師に診てもらえるようにしたいというのは賛成しても、自分の実入りが減るというのは抵抗が大きいだろう。


 商いや経済改革に比べて農業など生産改革は時間がかかるから、国人衆や土豪に与える利益がまだ少ないのも改革が進まない原因だけど。


 まあ今年から塩水選別や正条植が織田家直轄領や一部の国人衆にも広まるので、今後は国人衆の領地なんかにも手を付けられるようになるだろう。ただし苗代作りを強制しないから、正条植も種籾を等間隔で蒔くことになる。苗を育てて田んぼに植え替えるのは、稲の育成にいいけど、直播よりもはるかに手間がかかるからね。


 斎藤飛騨守事件の翌日は、信長さんと一緒に井ノ口の町と近隣の農村を視察して、翌々日である今日は尾張に帰ることになる。


 商いに関して拡大出来るのは織田と斎藤の両家にとって利になるし、事件もあったが有意義な美濃訪問だった。


 さあ、ロボとブランカの待つ家に帰ろう。




◆◆


 天文十八年春。織田信長と久遠一馬は美濃の稲葉山城を訪問している。


 この時代、同盟関係の相手でさえ直接会わないことが当然だったにも拘らず、信長は自身の結婚から程なく稲葉山城を訪問している。


 『織田統一記』などの当時の資料で確認出来るだけでも伊勢大湊と関東に続いての他国訪問であり、諸勢力が入り乱れる畿内以外では当時としては驚きの頻度での行動だった。


 これに関しては一馬の方針であったと伝わるものの、この時の稲葉山城訪問自体は、斎藤家側が検地や人口調査の方法を教えてほしいと頼んだことから実現している。


 織田と斎藤との関係が、この時点で和睦なのか同盟なのか実質臣従なのか、現代でも諸説あり意見が分かれている。


 実質臣従説が昔から根強いものの、信長自ら出向いたこともあり、織田が斎藤を臣従させようと動いていたという説も根強い。


 なお、この訪問にて薬師の方こと久遠ケティが井ノ口の町にて無償診察をしており、その際に斎藤飛騨守が処断される顛末が有名な井ノ口騒動が起きている。


 滞在期間は五日ほどであったようで、信長と一馬は斎藤道三と意見交換などしたとある。


 ただ、この訪問の時に道三が、恐ろしい奥方だと近習にこぼしたとの逸話が残っている。この言葉が具体的に誰を指し、なにを意味するのかははっきりしないが、大智の方こと久遠エルではないかと推測されている。


 近代では久遠エルがその智謀を以って、道三に織田への臣従を決断させた場面として有名だが、同時代の資料には明確な証拠はない。



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