第三百二十七話・交通の発展

Side:滝川益氏


 大垣を出た軍勢は一路北上し、揖斐北方城へ向けて進軍しておる。


 現在の兵はおよそ五千だ。勝ち戦と浮かれておるようで武功を立てようと鼻息が荒い者も多い。こやつらは知るまい。この戦に秘められておる思惑を。


 軍勢の士気は高いが、半面で軍規はあまり守られておらぬ。勝ち戦と浮かれ集まった者らは近隣の村ともめ事を起こす事が後を絶たぬ。


「やれやれ。殿とお方様がたの懸念が当たったな」


 思わず愚痴をこぼすと、同じ久遠家中の者たちが少し呆れたように頷いた。


 御家では、抜け駆けや軍規に反する行為をしないように再三に渡り教えられておる。戦場において抜け駆けした手柄は元来がんらい認めない。少し厳しいがそれが久遠家の掟になる。


 策があるのならば味方で話し合うべし。その代わり御家では武功以外の手柄の評価が高く、時には敵将の首より高い。


 とはいえ、余所は違う。武功を重んじて敵をいかに討ち取るかが唯一の手柄と言うてもいい。


 結果として、いかなる手を使おうと敵の首が欲しいのが、大半の者の考えだ。


 此度の戦も乱暴狼藉や乱取りは清洲の大殿の命で禁じられておるが、形式として命は下されても徹底はされておらぬ。


 兵糧はすべて織田家が出しており、食べるものに事欠ことかいておるわけではないが、血の気が多く欲深い連中が多いからな。


 今回は特に主勢しゅせいが美濃者だ。ここしばらく、まさしくは殿や我らが織田家に仕官してからの、織田の差配さはいに従った経験はない。


 それでも織田領でのもめ事は避けたようだが、臣従しておらぬ独立領まで来ると夜な夜な抜け出して近隣の村に行く者が少なくない。


 大将の織田信辰様は悪いお方ではないようだが、この有様を見ると凡将であろうな。大殿を裏切るようなお人ではないようだが、自ら軍を率いていくには少し無理があるようだ。


 兵には報酬が織田家から出されることになっておるが、だからと言うて必ず軍規を守るわけではない。奪えるところからは更に奪うのが当然といえば当然であろう。


 味方でなければなにをしても良いというのが、今までは当たり前だったからな。


 もっとも此度は軍規を守らぬ者には相応の罰が下される。勝手なことをする兵や将は許さぬというのがこの戦に秘めた思惑のひとつ。


 そして勝ち戦が続いて驕る者たちをいさめるのが、もうひとつの思惑だ。


 殿は『この戦は大殿の命に従う見処のある者が無為に死んだりしなければ、負けてもいいよ』と言うておられたほどだ。我ら久遠家は警備兵からの選抜兵と共にあまり出過ぎるなと言われておる。


 まあ、『勝てそうならば勝ってもいい』とも言われたが、肝心なのは勝ち方なのだ。殿はなかなか難しいことを望まれる。もっともそれはわしに期待してくださっておる証であろうが。


「されど、こうなると殿が織田一族となられたのが効くな」


「確かに……」


 出立する時にわしは、共に参戦する主だった家中の者に殿の思惑を伝えてある。もちろん許しは頂いた。皆も武功が欲しいのは変わらぬからな。『前に出過ぎるな』と言うためには策を明かす必要があるのだ。


 少し残念ではあったが、手柄の機会はまだまだこれからもある。殿がただ暴れるだけの軍など求めておらぬことは皆が知っており納得してくれた。


 共に参戦した柳生新介殿は統率の取れておらぬ軍にため息を漏らすが、同時に我らの立場がやりやすいことに安堵しておる。


 軍勢には織田弾正忠家古参の武士が幾人いくにんもおるし、それなりに家柄血筋を誇る者もおるとはいえ、織田一族と言えるのは娘婿として織田姓を名乗ることを許された大将の信辰様のみだ。


 大殿の猶子となった久遠家は立場とすれば一番高いとも言え、我らが前線で擦り潰されることはあるまい。それに軍監は別におるが、わしは大殿から軍監とは別に軍規を犯した者や抜け駆けをした者の把握を命じられておる。


 危急の時に備えて独自の裁量さいりょうを認めていただける大殿直筆の書状も用意していただいた。


 忍び衆も相応に配置しておるが、敵方への物見より味方の監視が主なのは少し複雑な心境だ。とはいえ、織田家がこの先さらに大きくなるには必要なことだ。


 殿の目指す、戦のない太平の世を作る。そのために我らは正道を歩む者とならねばならぬ。




Side:久遠一馬


 尾張の開発で意外に手間取っているのは道路整備だ。清洲・那古野・津島・熱田・蟹江を結ぶ幹線道路の整備を当初からオレたちは計画しているものの、なかなか進展していない。


 この計画には隣接する国人衆の理解と協力が必要だけど、それがまた難しい。道路を広げようとすると攻められやすくなると言うし、新しくしようとすると人の流れが変わると反発する。


 特に該当地域は織田弾正忠家の本領と言える地域で、国人衆と織田家の繋がりが強いので強行策が取りにくい。


 そんな道路で最初に開通したのは、清洲と那古野を繋ぐ道路だ。煩い国人衆も清洲側は大和守家の旧臣だったので扱いやすく、いち早く工事に取り掛かっていたんだ。


 この道路は今後、尾張の幹線道路の基礎となるので、道幅を大幅に広げて馬車が片側二台でも走れる広さにした。それと既存の技術のものだが途中の川にはすべてに橋も架けていて、馬車でスムーズに移動出来ることになる。


 以前は橋なんてないところが普通だったからね。川の氾濫なんかで流される危険もあるが、とりあえず便利になる。


「これはいいな! これほど速く乗り心地もいい!」


 この日はガレオン船で運んだ馬車第一号にて、開通した那古野から清洲への道路で試験運転することにした。事情を説明すると信長さんが自ら乗ると言うので、オレとエルも同乗している。


 牽引けんいんする馬はアラブ馬だ。中型で元の世界ではサラブレッドの祖先にあたる。サラブレッドなんかよりは小型だが耐候性や耐久性に優れて品種改良に向く。


 牧場も二年目で安定しているし、今年からは海外の中型や大型の馬を繁殖させていく予定で持ち込んだ最初の馬がアラブ馬になる。


 信長さんは子供のようにご機嫌な様子で馬車の中から外を眺めているね。


 馬車自体はシンプルな構造で、時代的に板バネは早いので、サスペンションも使っていない。ただし、窓だけはガラスを嵌めているから、割れが怖いので窓枠に竹の弾力を使った簡単な防振機能を仕込んではいる。景色を眺めるのにはいいんだよね。コロンブスがゴムを見つけているらしいので使いたかったが、それは頃合いを見てかな。


 やはり元の世界の車や馬車と比べると振動は大きいが、整地したので乗り心地はまあ悪くない。


 オレと信長さんは向かい合うように座り、オレの隣に座るエルの胸が時々揺れる程度に振動はあるが。長時間乗らない限りは問題ない乗り心地だろう。


 将来的には馬車鉄道が理想か。鉄道と同じでレールの上を走るから振動はほとんどないだろうしね。測量技術と土木技術に金属加工技術など、いろんな技術の底上げが必要だから先は長い。


「量産出来るかな?」


「大八車の職人ならば製造が叶いましょう。ただし、大八車の需要も大きいので少し時間がかかるかもしれません」


 問題は量産なんだが、エルによれば普及には時間がかかるかもしれないらしい。尾張は職人の数の割に、新旧を問わず物品の需要が多すぎて大変だからなぁ。しばらくはウチと織田家で使う分くらいがせいぜいか。まあ馬車より街道整備が先だからな。


 織田家が乗るには籠みたいに装飾とか必要だし、作るのが大変そうだ。


 ところで……、信長さんはやっぱり揺れる胸にも興味はないらしい。この時代は胸を隠す習慣がなく性的対象にならないからなぁ。


 このまま西洋文化が入ってこないと、どうなるんだろう?




◆◆


 天文十八年春、清洲と那古野の間を馬車が走ったという記録がある。


 馬車は世界的に見れば皇歴以前、西洋が唱える紀元前からあったものだが、日本で記録に残る最古はこの時になる。もっとも牛車はこれより以前からあり京の都などでは知られていたが、西洋式の馬車はこの時が初めてとなる。


 時期を同じくして南蛮から馬が輸入されたと記録にあり、馬車を引いた品種はアラブ馬と思われる。


 織田家では清洲城の改築と、清洲や那古野の町の拡張を同時期に行っていたが、街道の整備も行っていたようで、最初から馬車の運用が計画されていたとの資料がある。


 当時は道が良ければ攻められやすいと考えるのが一般的で、街道の整備は苦労したと伝わるが、馬車の登場により街道の整備が進んだと伝わっている。


 やがて馬車は斯波家や織田家の象徴的な乗り物となるが、久遠一馬の意向により特定の身分しか乗れないような形とはならず、万人が乗れるようにと考えていくことになる。


 織田家や斯波家の家紋が入った馬車を見た旅人は驚き、尾張の発展を実感したという逸話が幾つも残っている。


 

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