第三百二十一話・見せしめとプリン

Side:今川義元


 美濃守護である土岐頼芸が亡くなり、残る土岐家の者たちが美濃から追放されたようじゃと、先ほど尾張に放った素破から知らせが届いたわ。


 真相はわからぬが、土岐頼芸は殺されたとの噂か。手口から見ると斎藤利政か? 得をしたのはむしろ織田ゆえ、信秀の仕業かもしれぬが。


「さて蝮と虎はいかがなるかのう?」


 織田のうつけと蝮の娘との婚儀もつつがのう終わった。これは織田と斎藤にとって思慮の内なのか? それとも今更反故には出来ぬゆえに約定通りに行ったか? 分からぬな。


「それは今しばらく様子を見ませぬと、なんとも言えませぬな」


 雪斎は相変わらず歯切れが悪いの。ここのところ後手に回ってばかりじゃ。仕方なきことであろうがな。


「草と素破の裏切り者はいかがした?」


「はっ、刺客を送っております。ただ相手も無策ではなく、久遠では素破の保護も行っており逃げ込めば手出しが出来ませぬ。また、伊賀者とは久遠に逃げこんだ素破には手を出さぬという条件で雇っておることもございます。そのため取り逃がした者も多くございますれば……」


 頭の痛いことは、今川家が長年に渡り尾張に潜り込ませておる間者である草が幾人も露見し、素破に至ってはそのまま寝返る者が後を絶たぬことか。


 さすがにそのようなことを許しては示しがつかぬ故に許すなと命じたが、取り逃がしておるとは……。


 これでは報告を寄越す者も本当に寝返っておらぬのか判別出来ぬ。おかげで報告の真偽から確かめぬと動けぬわ。


 そのうえ、伊賀者に至っては昨年の文月ふみづきを過ぎしあたりから、久遠との争いは避ける条件を飲まねば雇えん様に成った。いかにも久遠と伊賀者の間で密約があるようじゃ。


「久遠は手ごわいのう。何故じゃ?」


「草につきましては織田への侮りが原因かと。織田は久遠によって、方々に目と耳を作りました。それにも関わらず、草どもは以前の織田と同じく軽く見ておるようでございます。素破に至っては手厚く保護しておりますゆえに。久遠で働けば、飢えずに飯が食える。また、学問や武芸も教えてもらえると評判になっておりまする。さらに上げるとすれば、今川家の威光も素破には通じませぬ」


 織田で苦しむと、必ずと言うてよいほど背後に久遠の存在が見え隠れするわ。金色酒の値上がりも例の報酬を払う賦役も元は久遠の策じゃというではないか。


「なんとかならぬのか?」


「素破の待遇を変えまするか? 素破に忠義など期待しても無駄でございましょう。久遠ほどとは言いませぬが、待遇を変えればあるいは……」


「それをやれば家中が騒ぐわ。そもそも何故素破ごときを厚遇せねばならぬのじゃ?」


 素破のことは深刻じゃ。目と耳を失うに等しい。織田が三河に攻めてきても『気付かんわ、知らぬわ』では困る。じゃが素破如きを厚遇しては家中に示しがつかぬわ。


 ただでさえ三河で織田の旗色が強うなっておる。東海屋の件で金色酒が一気に値上がりして、他の品々の値もつられるように上がっておる。皆が不満を抱えておるというのに。


「久遠には血筋も権威も通じませぬ。弾正忠の猶子となりはしましたが、織田から新たに人を入れた様子もなく、また久遠一馬という男は血筋や権威を誇る者は雇わぬとの評判です。おそらく力量人品のみで人を召し抱えておる様子」


 氏素性の怪しきやからの致しそうなことじゃな。とは言うても非難しても状況が変わるわけではないの。


「こうなると北条と繋がったのが痛いのう」


「駿河を取り戻すためには北条と争うのは致し方なかったこと。今さら言うてもいかようにもなりませぬ」


 母上は織田と北条との同盟を言うておったが、現状では無理じゃな。確かに面白きけいではあるが、それをやるには斯波が邪魔じゃ。代々斯波の家臣を務めておる織田にとって担ぐのは斯波でよいのじゃ。主従の力の差は変わってしまったが、未だに家臣の体は棄てておらぬ。


 美濃にしたる脅威がのうなった織田は今まで以上に手ごわくなるか。信濃は武田と村上が争うておるし、六角は西で忙しく動けぬじゃろう。残るは朝倉か? じゃが朝倉は遠すぎるわ。それにこちらが動けば織田は北条と正式な同盟を結ぶやもしれぬ。


 そういえば金色酒の値上げの原因である東海屋の一族が、織田を追放されて駿河に来ておるはず。あの愚か者のせいで駿河では不満が高まっておるのに。


 見せしめに始末するか?




Side:久遠一馬


「見せしめには役に立ったな」


 祝いの品を横領した土豪を退治して数日が過ぎたこの日、信長さんが帰蝶さんを連れてウチに来ていた。帰蝶さんに尾張を見せたいんだそうな。この時代に新婚旅行なんてないからな。


 武士に限らず、景色を見せるか寺社くらいしか行くところがない。手始めがウチなのはどうかと思うけど。寺社よりはいいと思ったんだろうね。


 ああ、信長さんが見せしめと言っているのは土豪の件だ。土豪は財産没収の上に一部の郎党は磔で、残る家族や郎党は太田さんの時と同じく島流しになる。


 先に島流しとなった人たちは、すでにウチの船で南洋に移送されたので、もう尾張にはいない。彼らは次の船で移送されるだろう。


 行先はミクロネシア地域の現地人のいない無人島だ。一応、水と最低限の食糧が確保出来る島にしたみたいだけど、生活は大変だろう。マラリアとか最低限の予防接種はした。さもないとすぐに全滅しかねないからね。


 現地にプランテーションを作らせる予定で、船は半年に一度くらいの割合で送る。真面目に働かないと本当に全滅しそうだ。どうなるかね?


「罰を与えるのも大変ですね。本当」


 今日は天気がいいので縁側でのんびりとしている。帰蝶さんは、畑とか鶏小屋があるウチの庭を興味深げに見ているね。ウチにくる人はよく驚くけど、豪華な庭園とかはないから。ウチがお金持ちなのは周知の事実だから、豪華な庭園があると誤解されている気がする。


 射撃場があるのは、多少武士らしいと言えばそうなるんだろうが。


 少し話が逸れたけど、小悪党の件で自覚がある者はすぐに動いた。領民に謝罪したり、訴えるなと脅したり。対応は様々だ。


 すでに結婚式から日にちも過ぎていて、お菓子は食べちゃった人がほとんどだけど、銭や米で弁償した人もいるのは少し驚いた。


 ウチの家臣にこっそりとあのお菓子の値段を聞きに来た人もいるらしいが、この時代で商いとして成り立つ値段で答えたら顔を青くして帰ったそうだ。


 ただ、これでまた対応が大変になったんだよね。素直に領民に謝罪したり足りなくても弁償した人には相応に罪を軽くする必要がある。


 他には旧知の織田一族や重臣に助けを求めた人もいて、対応が難しいことから最終的な判断は信秀さんに回った。


 基本的によほど悪質でない限りは死罪にはしないようだ。横領したお菓子とお酒の費用プラスアルファを罰金にするみたい。払わない、払えない者は特権や領地の召し上げだそうだ。


 土豪なんかは徴税権や土地に私財の召し上げ、寺社も払わないと寺領の召し上げや市や座などの既得権を剥奪するなどの罰が与えられる。


 村名主なぬしとか村乙名おとなとも呼ばれる村長むらおさなんかは、多分ほとんどが地位と土地を失うんじゃないかな。村長レベルで払える額じゃないし。


 しかしまあ、人に罰を与えるのって難しい。この時代だと更生とか考えていないが、バランスを考えないと足を掬われかねない。


 まあ特権や既得権の剥奪が進むなら悪くはないんだけどね。もっとも、祝いの品を奪わなかったところもたくさんある。彼らが納得する罰は必要だからね。正直者が馬鹿を見るような状況だけはだめだ。




「菓子を作ってみました。どうぞ」


「ほう、これは初めてだな」


 今日のおやつはプリンか。エルが侍女のみんなとプリンを持ってくると、面倒事で少しご機嫌斜めだった信長さんの機嫌が直った。


「これは……」


「プリンという菓子でございますよ」


 最近作らせた銀のスプーンでプルプルと揺れるプリンを食べる信長さんを見つつ、帰蝶さんは驚いた表情でプリンを眺めている。


「なんという味。甘く、なめらかで……。こんな菓子がに…、して京の都ではなく尾張にあるとは……」


「上の黒いところがいいな。ほろ苦くて美味い」


 エルに勧められるままプリンを食べる帰蝶さんは、信じられないと言わんばかりに味わって食べてるね。大げさだなぁ。まあ、この時代ではないタイプのお菓子だけど。


 信長さんはカラメルの部分が特に気に入ったらしい。甘さを引き立たせるほろ苦さが癖になるようだ。


「久遠家では下働きの者から童まで、皆が菓子を食う。このくらいで驚いてはあとで困るぞ」


「そんな……」


 ああ、信長さんったら帰蝶さんが驚く姿をにやにやと楽しげに見ているよ。


 確かにこの時代だと非常識なのは認める。でもさ、自分たちだけ美味しいものを食べて周りに見せつけるなんて落ち着かないんだよ。


 おっ、ロボとブランカも犬用の特製プリンをもらったんだな。


 二匹とも嬉しそうに食べてる。


 あれ、帰蝶さんったら更に固まっちゃった。


 ここは王子様のキスで……、なんて言ったら信長さんにどつかれるだろうな。




◆◆


 プリンが最初に記録として登場するのは、太田牛一の残した『久遠家記』である。


 時期は天文十七年のことで、この時の正確な作り方は不明ながら、プリンという菓子が久遠家では食べられていたと書かれている。


 製法として一番古いのは、同時代から続く料亭八屋にあるプリンのレシピになる。書き残したのは初代店主である八五郎であり、おそらく最古の味と大きな差異はないと思われる。


 現代の製法とほぼ同じであり、どうも久遠家では日常的に食べるような菓子だったようだ。


 なお織田信長に嫁いだ帰蝶姫が、久遠家でプリンを食べたことを父である斎藤道三に知らせた手紙が近年発見され、久遠家では下働きの者から犬まで菓子を食べていると書かれていて論議の的となった。


 これ幸いと、久遠家に批判的な学者は久遠家が贅沢をしていたのだと語り、今の主流である領民のためを思う人物像と違うと主張したが、太田家の子孫はそれを一笑に付して否定している。


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