天文18年(1549年)

第二百九十四話・天文十八年元旦

Side:久遠一馬


 明けましておめでとうございます。天文十八年です。


 元日のこの日は滝川一族と望月一族に、忍び衆なんかの尾張に親戚がいないみんなと家臣を呼んでの新年会だ。


 去年より人が増えたなと実感する。忍び衆の中には初対面の人もいるし。


 忍び衆に関しては、男衆よりも子供たちのほうがオレと接点がある。たまに宴もどきのおやつ会や昼餐ちゅうさん晩餐ばんさんは大袈裟だけど、食事会なんかを開いたりするし、信長さんとかと一緒に遊んだりするからね。


 ノビノビとした子供たちと、緊張気味なお父さんたちのギャップが何気に面白い。


 ウチでは子供たちにはノビノビとさせるように教育しているからね。身分とかの前に人として幸せになってほしい。


 前に子供のひとりがオレに対して『命を懸けて働く』と言った、チョット悲しい事があったから、ウチでは命の大切さと家族を大切にすることを教えている。


 子供の時くらいは将来に夢と希望を持たないと、織田家の未来はないと思うんだよね。


「じゃぁ、みんな、あとはよろしく」


 ただ、オレは午後から清洲に行かねばならない。お供はエルとケティに、資清さんと島から来た長老役の清十郎以下バイオロイドたちだ。


 今日はいよいよ猶子に関して誓紙を交わして、信秀さんの家族と会うことになっている。


 信秀さんからは顔合わせするだけだから気楽にくればいいと言われているものの、大丈夫だろうか。一応最低限のマナーは政秀さんに教わったが。本当に最低限だ。




「一馬、そなたは神仏を信じるか?」


 誓紙はつつがなく交わされた。元の世界でいう契約書のようなものか。当然のことだけど、互いの家督には関与しない。簡単に言えばそんな内容が含まれた。


 ただ、誓紙を交わした信秀さんがふと口にした一言に、オレはどう答えるべきか迷う。


「神仏はそれなりに信じますが、神仏の名を騙る者は信じません」


 以前に宗教という言葉はこの時代では通じなかったことを思い出した。


 神仏を否定はしない。とはいえ宗教は信じない。まあ元の世界の日本人では珍しくない価値観だと思う。


「そなたらしいな。正直うらやましくもある」


 どういう意味だろう。まあこの時代の人間からすると、オレは理解出来ない変人なのは確かだろうが。


「わしはそなたを縛る気はない。今までと同じく好きに生きるがいい」


 この場にいるのはオレとエルたちと、政秀さんと土田御前に、本領側の見届け人である長老の清十郎だ。そんな少人数の場での信秀さんの言葉に土田御前が僅かに驚いた顔をした気がする。


 猶子となり正式に織田一族となった最初の言葉としては異例なんだろうな。まあ信秀さんもオレに格式や家柄を考えた行動をさせるのは難しいと、理解しているんだろう。


 この戦乱の世を生き抜くうえで必要と考えたからこそ、猶子に踏み切ったわけだから。




 誓紙の取り交わしも済み、オレたちはちょっと一服して、その後は信秀さんの家族と会うことになったんだけど……。小さい子が多いな!


 リリーを連れてくるべきだったか?


 正室である土田御前と側室がいるみたい。借りてきた猫のようにおとなしい信長さんもいる。土田御前ともそれなりに上手くやってる様子だ。


 お互いに憎しみあってるわけではないみたいだからね。信長さんの立場が確立して織田家は安泰だと判断すれば、史実の俗説にあるような信行君を擁立するなんてことはないだろう。


 そもそも土田御前は常識と配慮をする人だしね。


 肝心の信行君は数え歳で十四歳になるのか。うん。信長さんよりはおとなしそうだ。そんなに印象が強いとか、なんにもない。普通の良家の子弟という感じ。次男的なやんちゃさは無いね。


 ほかに有名なのはお市の方がいるはずだけど、一昨年生まれたばかりで数え歳で三歳だ。乳母さんに抱かれながらも、好奇心旺盛なのかオレやエルたちをじっと見てる。


 ほかの子たちもエルのことは不思議そうに見ているな。黒目黒髪のケティは日本人だと言っても通じるが、エルはさすがにね。


 ただ騒がないのは、さすがに教育が行き届いているんだろう。


「実は土産を持参したんですよ」


しょか?」


 一通り挨拶を済ませると、一応義理の弟妹になるのか。せっかくだからみんなに用意したお土産を出す。


 まずは信秀さんが受け取り、興味深げにお土産として持ってきた本を手に取った。


「これはあれか、紙芝居の書か」


「ええ、紙芝居のお話を書にしるして、冊子さっしとなし、書籍、ウチの名付けで『本』にしました。絵巻物と違い気楽に読めます」


 お土産の本は絵本だ。ただ絵本という言葉は一般的ではなく、どちらかと言えば絵草紙のほうが一般的らしい。


 内容は元の世界の日本の昔話がベースだ。メルティ作の多色刷り版画による絵本となる。絵はデフォルメされた可愛らしい絵だ。この辺りは紙芝居で子供たちの反応をみてウケが良かったらしい。


 絵巻はあるけど、宗教くさいし楽しくない。本は高価な貴重品だし子供には難しいから、絵本なら贈り物にはピッタリだろう。


 信秀さんが子供たちに見せると、みんな食い入るように見ている。反応はいいね。販売してもいいかも。


 それにしても不思議な感じだ。元の世界でも養子縁組はあるが、養子に行けばこんな感じなんだろうか?


 その後はお酒を出されて信秀さんたちと飲むが、エルとケティは土田御前とか子供たちと話している。


 ケティに関しては信秀さんの奥さんたちや子供たちと会うのは、今回が初めてではない。去年の流行り病の時とか何度か医師として診察と治療をしてるから、ウチでは一番いろんな人に会っているんだよね。


 公式の席ではないし、堅苦しさはない。友人の家に新年に遊びに来た感じか?


 このままのんびりと過ごすらしい。ほんと、友人か親戚のウチに来た感じ。程よい距離感と和やかさがある。




Side:木下藤吉郎


 おいらが工業村というところで働き始めて二ヶ月になる。親戚の清兵衛殿が久遠様に召し抱えられたからと呼ばれた。


 ウチには田んぼもそれなりにあったが、おいらは義理の親父とあんまり折り合いがよくない。


 もう少ししたら家を出ようとしていたところで、清兵衛殿に呼ばれたんだ。前に手伝った時にそのことを愚痴ったのを覚えていてくれたようだ。


 なんでも信用出来る者でなければならないとかで、おいらは清兵衛殿のところで働くことにした。


 とりあえず飯を腹いっぱい食わせてやると言われたことに釣られてしまったんだ。だけど、いきなり滝川様のところに連れていかれて、ちょっとおっかない心得を諭されて、びっくりしちまった。清兵衛殿、先に言っとくれよ。


「ほら、藤吉郎。飲め。尾張でなきゃ、畿内だろうとお偉いお武家様でも飲めん酒だぞ」


 年が明けて元日。この日は久遠様から頂いた金色酒やご馳走で職人たちが宴会をしていて、おいらも参加している。


 ウチじゃ見たことがないご馳走と酒だ。ウチはそんなに貧しくもなかったものの、ここと比べるとむなしいほどの違いだ。


「うめえ」


「そうだろう? これがここだと、仕事を上げさえすれば、日々、飲めるからな」


 職人たちはご機嫌だな。清兵衛殿が言うには、ここの職人はほとんどが久遠様のお抱えなんだと。


 若い奴とおいらみたいな小間使いは違うが、職人として独り立ちすればお抱えになるのも夢じゃないみたいだ。


 特に清兵衛殿は下手な武士より禄がいいらしい。日を開けずにおいらのような下のもんにも酒を飲ませてくれるほどだ。


 おいらも今年からは職人の見習いにならないかって誘われている。本当は武士になりたかったんだが、清兵衛殿を見ているとそれもいいかって思い始めている。


 今の尾張を動かしているのは久遠様で、清兵衛殿は久遠様と親しげに話せるほどのお人なんだ。


「藤吉郎。おまえ、女はまだだろう? これで遊女屋にいってこい」


「親方……」


 酒も入り、中には寝てしまう者もいる中、清兵衛殿はニヤリと笑みを見せるとおいらに遊女屋に行く銭をくれた。


 早い奴は村でも済ませていたが、おいらは手の指が六本あるから好かれなかったんだ。


「その指だがな。久遠の殿様に相談したら、気になるなら後々お前が困らぬように、薬師の方様が秘術で痛い思いもせんで済む様に切ってくれるって言ってたぞ。オレは気にしなくていいと思うがな」


 つい村での暮らしを思い出して六本指がある右手を見てると、清兵衛殿がびっくりすることを口にした。


 もともと清兵衛殿はこの六本指を気にしない人だったけど、まさか久遠様にまで相談していたなんて。


「まあいい。今日は正月だ。楽しんでこい」


 良銭の入った銭袋を貰い、おいらは清兵衛殿に背中を押されて遊女屋に行く。


 申し訳ないほどの優しさに涙が出そうなのを堪えながら。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る