第二百六十七話・予防接種
side:久遠一馬
「は~い! よく我慢したね!」
秋もそろそろ終わる頃、那古野にある病院には多くの子供たちが集まっている。この子たちはウチの家臣や郎党に、牧場村の孤児院と領民の子供たちだ。
いよいよ種痘による天然痘の予防接種を始めることにしたんだよね。計画から約一年近く準備をしながらタイミングを見計らっていたものになる。
ニコニコと笑顔のパメラが子供たちに二又針にて種痘を施すと、すっかり看護師として働いてるお清ちゃんが子供たちに金平糖をあげている。
「ありがとうございます!」
滝川一族の子だろうか。やけに礼儀正しくお礼を言うと嬉しそうに金平糖を口に放り込む。
医師といえばケティのほうが有名だけど、子供たちにはパメラのほうが受けがいい。ケティは口数が多くないし、少し表情に乏しいからね。
二人とも子供は好きなんだけど、子供たちに好かれるのは明るくて一緒に笑ったりするパメラなんだ。
「あれで
「ケティの両親が見つけた方法なんだ。明や南蛮にもない方法らしいよ」
「なんと!? 明にもないので!?」
オレのお供として一緒に来ている太田さんは不思議そうに予防接種をする子供たちを見ていたが、明や南蛮にもない方法だと説明すると驚き目を見開いている。
この時代には種痘なんてないからなぁ。ケティも見た目が若いし、エルやケティと話し合ってケティの両親の功績にしておこうということになった。
今後は大人も種痘をする予定で、信秀さんや信長さんの直轄地の領民にも希望者からやる予定だ。命令して一気にやってもいいんだけど大変だしね。反発される恐れもあるから。
「疱瘡は危ないからね」
「このような秘技があると広まれば、また騒ぎになりますぞ」
「当分は領内の希望者だけだね。あらぬ疑いを掛けられても困るし」
予防接種を受けてる子供たちにも説明はしたよ。病に罹りにくくなる治療としか言っていないけど。大人には疱瘡対策だと教えている。
強制はしなかったけど信頼してくれてるみたいで、子供たちは全員受けてくれることになった。
疱瘡。天然痘のことだけど、その流行はいつ起きるか分からない。歴史も変わってるし史実の資料もあてにならないしね。家臣と領民は必ず守らないと。
ところで太田さん。また騒ぎって言ったね? まるで人をトラブルメーカーみたいに言うの止めてほしいなー。
確かに騒ぎになるかもしれないけど、どうせ織田領外の人は簡単には信じないよ。ウチの噂は凄いことになってるし。雷を呼んだとか鬼がいるとか。
全国に予防接種を広めるのは天下統一後になるだろう。
そういえば、医療従事者の見習いもようやく十人ほど集まり勉強を開始している。
やっぱり全員男性だけどね。信長さんの悪友である警備兵の初期メンバーからと、滝川一族と望月一族から志願した人たちになる。元々、薬の知識があり、興味がある人もいたからね。医師を始め看護師や薬剤師など、どんな風に
今は学校のほうで基本的な勉強をしている。何年くらいで独り立ちできるか分からないけど、楽しみだね。
side:斎藤道三
稲葉山城に戻ると、すでに頼芸の醜態が知れ渡っておった。
わしの周りにも土岐家所縁の者はおるが、その者らの表情がすべてを物語っていよう。
何故、和睦に行って騒ぎを起こすのだと、誰もが理解に苦しむのは聞かなくても分かる。
頼芸も良うない。あやつは耳に心地良いことを言う者しか側に置かずに苦言を呈する者を疎む。結果として家の存続のためにわしに従っておる者も少なくないのだ。
さらに一足先に帰った頼芸は、騒ぎを起こした家臣の亡骸から首を切り、打ち棄てさせたうえ、事態の途中から止めに回った家臣の首も即刻はねさせ、これまた打ち棄てさせたと聞く。
心情は分からんでもない。尾張であれだけ恥を掻かされてはな。わしとて首をはねるやもしれぬ。
されど、多くはない自らに擦り寄る家臣を減らしていかがするのだ? その先を考えておるのか?
まして織田と久遠に一言の詫びもなく不満げに帰ったあやつを、織田がこの先も今までと同じように守ってくれると思うておるのか?
久遠とて奥方に刀を向けられて面白うあるまい。信秀もそれを見てみぬふりも出来ぬはずだ。織田にとって久遠はそれだけ大きいのだからな。
土岐家は孤立するな。
まあ、あの愚か者のことはよい。考えるべきは織田との縁組だ。
「帰蝶よ。そなたの嫁ぎ先が正式に決まったぞ」
「既に存じております」
我が娘である帰蝶は織田との縁組にも表情ひとつ変えぬ。胆が据わっておると言えばよいのか。なんと言えばよいのか…。
「……父上は織田に臣従するおつもりで?」
「遅かれ早かれそうなるやもしれぬ」
じっと庭を見ておった帰蝶がようやく自ら口を開いたかと思えば、家中では誰もが触れぬ話を平然とするか。
「蝮が仏に毒を抜かれたと巷では評判です。兄上など父上を隠居させても織田には従わぬと息巻いておりますが?」
「帰蝶よ。すでに戦のみが家の
新九郎は織田の恐ろしさが理解出来ぬか。我が子ながら愚かとしか言いようがない。
戦をして勝ったとしても意味などないのだ。信秀の首を取り、久遠を従えでもせぬ限りはな。織田の銭と商いは多少の負けなど痛手にすらならぬであろう。
「本当に毒を抜かれたのですね。毒を抜かれた蝮が生きていけるおつもりで?」
「そなたも尾張に行けばわかる。信秀はわしなど最早眼中にはない。あやつはすでにその先を見ておる。口惜しいがな」
帰蝶だけではない。わしとて面白うない気持ちはある。数年前には信秀が朝倉と組んで攻め寄せた時には勝ったのだ。
だがこの現状だ。戦に強いだけでは駄目なのだ。
意地を張って生き残れるならばいい。されど頼芸のようにして滅ぶのかと思うと、それは望まぬのがわしの本音だ。
◆◆
世界で初めて予防接種が行われたのは、皇歴二千二百七年、天文十七年の秋である。
『久遠家記』によると光の方とも光先生とも呼ばれていた久遠パメラによって、久遠家家臣や領民の子供たちに種痘を施したのが記録に残る最初となる。
伝承では種痘技術を確立したのは久遠ケティの両親であるとなっているが、久遠家は一馬が当主となる以前の記録が残っておらず、詳細は不明になる。
この時に医聖とも言われる久遠ケティではなく、久遠パメラが種痘を行った理由は定かではない。
ただ一馬と共に外出することが多い久遠ケティよりも、久遠パメラの方が領民には馴染み深かったとの記録も別にある。
ほかにも明るく領民からも好かれていたとの記録もあることから、病院での診療は彼女が中心だったとも推測出来る。
もっとも違う日には久遠ケティが種痘を施したとの記録もあることから、単なるタイミングの問題とも言われている。
これ以降予防接種は久遠家を中心に広がっていくことになり、日本と日本圏では天然痘撲滅のきっかけとなる第一歩であった。
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