第二百二十話・黒船来航!

side:久遠一馬


おかだ! おかが見えたぞ!」


「伊豆だ!」


「こんなに早く着くなんて!」


 夜通しで船を走らせたおかげで、三日目には伊豆半島に着くことが出来た。夜間航行は難易度も高く危険なので、航海を続けるか迷ったんだけどね。佐治さんがやろうと言ったんだ。


 ウチの船と一緒の時にやれることを経験しておきたかったらしい。幸い天気も悪くなかったからね。


 でも途中で高い波に船が大きく揺れたこともあったし、三角波の多い海域も通った。みんなも不安があったんだろう。伊豆半島が見えると歓声が上がった。


 かなりのメンバーが船酔いをしており、ケティの酔い止めを飲んでいたしね。中には来なきゃ良かったと愚痴った人もいたとか。


 ただ、この時代の帆船での旅の大変さを、みんなおおよそは理解してくれたんじゃないかな。


「ここまで来れば一息つけますね」


「下田湊に入ると良かろう。すでに帰還の知らせは出しておるので、迎えの水軍衆がおるかもしれん」


 船団はそのまま幻庵さんの勧めで、下田湊に向かう。返信は間に合わなかったが、幻庵さんが手紙を出していたからね。


 伊豆の下田湊と言えば江戸時代以降は有名な湊だろう。西から来た船が難所である遠州灘を越えて関東に入る際に、相模湾の風待ちなどに使った湊として知られている。


 それと史実においては、幕末にペリーの黒船艦隊が来たのも伊豆の下田湊になる。偶然とはいえウチの船団も下田湊に立ち寄るとは。歴史に黒船来航とか書かれたりして。


 まさかね?




「前方に船を発見! 北条家の家紋があります!」


 マストの見張りから船が見えたとの知らせを受けたのは、陸地が近くなった頃だった。北条家の船か。まさか待っていたのか。多分いつ来てもいいようにとの見張りだと思うが。


 うん。とりあえず迎えではないらしい。船は小早だ。定期的に見回りをしている船みたい。彼らの案内で下田湊に向かうことになった。


「死ぬかと思うたわ」


「まだ揺れておる気がするな」


 下田湊は北条家に属する伊豆水軍の拠点らしいけど、確かに地形的に良港だね。交易船を出すなら寄港地として使いたいところだ。


 若い武士には陸地に上陸するとホッとした様子で笑顔を見せた者も多い。佐治水軍の皆さんもさすがに普段と違い大変だったんだろう。無事に来られたことに嬉しそうにしている。


「西堂丸様。駿河守様。御無事にお戻りになられて、ひと安心でございます」


「うむ。知らせは届いておるか」


「はっ。殿より丁重に出迎え、小田原まで案内せよと命じられております。……それにしても大きな船でございますな」


「かように大きな船を持つ者は日ノ本でも他にはおるまい」


 西堂丸君は少し船酔い気味だけど、幻庵さんはピンピンしているね。出迎えの人と和やかに話してるけど、周りでは北条水軍の皆さんがウチの船を物珍しげに見ている。


 ガレオン船とキャラベル船もそうだけど、佐治水軍の船もかなり注目を集めてるみたい。見た目が似ていて黒いからだろうなぁ。


「三郎殿。今日はここで休み、明日にも小田原に行かれてはいかがかと思うのだが」


「ここはすでに北条領、一切お任せ致します。よろしくお願い致しまする」


 ちなみに信長さんもオレも、ちゃんと武士らしい服装にお着替えしている。信長さんは出迎えの人と幻庵さんと話していて、今後のことを決めていた。


 佐治水軍も大変だったみたいだし、休ませたいからね。


 信光さんも信安さんもさすがに威厳というか、平たく言えばよそ行きの顔をしている。武勇に優れた信光さんと文官肌の信安さん。ふたりを加えるとバランスがいい。


「もしよろしければ……、少しでよいので、船に近付き見てもよいかな?」


「ええ。どうぞ。乗っても構いませんよ」


 そのまま北条水軍の皆さんと話をして、明日の予定を確認する。今回の船団は風向きが多少良くなくても出発は出来るので、案内人を乗せるのはいいが、先導するつもりの船を出されると足手まといだ。


 はっきりとは言わないけど。航路とかそこの確認をしつつ、頼まれたので少し船を見せてあげることにした。


 これから北条家と交易するならば、この下田湊を寄港地にしないと駄目だしね。北条水軍とも親交を深めなくては。




side:北条水軍


「おい、聞いたか」


「ああ。若君が尾張から船で戻られるから、出迎えろって話だろ?」


「なんだ。聞いてたのか」


 ふと、先日のことを思い出す。


 ここ下田の湊は宗瑞公の頃より伊豆の北条水軍の根拠地になる。ここ伊豆から西には駿河湾の向こうに遠州灘があり、船の難所であるが、それでもやってくる船はある。


 近頃では尾張から荷を積んだ船が多かったが、此度は若君と駿河守様が、尾張の織田の船にて戻られると聞いた時の話だ。


「聞いた話だと、噂の南蛮船が来るらしいぞ」


「そうなのか?」


「駿河守様の書状によるとそうらしい」


 織田の南蛮船の話は、伊豆でも存在が知られている。南蛮船自体は久遠という商人の船で、今も明や南蛮と商いをしているとか。


 伊勢の海の水軍衆を震え上がらせている船だと、前に来た誰かが噂していた。もっともたかが南蛮の船に震え上がるとは、伊勢の海は内海。やはり水軍もたいしたことがないなと、関東では笑われているが。




「おい。あれ……」


「黒い船だな……」


 目の前の船を見て、伊勢の内海の水軍を笑えなくなった。


 正直、オレたちはそれほど意識せずに若君の帰還を待っていたが、船が到着したのは予想より遥かに早かった。見回りの船が偶然発見して慌てて連れてきたらしい。


 早く来たことも驚いたが、なにより見た目に驚いた。船体を黒く塗った船が十隻もある。しかも一隻は明らかに大きい。いや、大きすぎる。


 帆柱の数も多く、帆の数も形も違う。これが噂の南蛮船なんだと、誰もが驚いたのが本音だろう。


「これは……?」


「大砲だよ。鉄砲のでかいやつだな」


 驚いたオレたちだが、更に驚いたのは船に乗せてもらった時のことだ。


 風の噂に聞いたことはある。南蛮の船には見知らぬ武器があり船を沈めると。片舷に八つ、両舷全部で十六もの大砲が南蛮船には積まれていた。


 よく見ると船自体もしっかり造られているようだ。少なくとも今まで見たどの船よりも、立派な船であることは確かだろう。


「こんな船が尾張にはあるのか」


「尾張というか久遠様の船だな」


「久遠様と言うと噂の商人だろう? 織田様に臣従したはずでは?」


「久遠様は尾張でも別格だ。南蛮船は久遠様の船でオレたちは久遠様に教えていただいて、オレたちの船を改造して、あれを造ったからな」


 近くにいた水軍の船乗りに話を聞いたら、そいつは知多半島の佐治家の者らしく、噂の久遠について教えてくれた。


 『すでに尾張と伊勢の海の商いを支配下に治めている』と言っても過言ではないと言う。尾張では織田家に次ぐ力があるのではと噂されているようで、なにより驚いたのは久遠が飢饉などに備えるために、自領でもない佐治の大野を助けているという話だ。


 一緒に山を整える木を植えたんだと、誇らしげに語る男が、オレたちは少し羨ましかった。




◆◆

 『天文関東道中記』には、関東行きの船旅について克明に書かれている。


 二日目以降は波のある外海を航行したようで、船酔いをする者が続出したようだった。ただ、元々船に慣れている久遠家の関係者は船酔いとは無縁だったようで、皆にさすがは久遠家の者だと言われていたという。


 船酔いは船医として同行した久遠ケティにより改善されたが、尾張から東に行くには当時としては危険な難所が幾つかあり、大変な船旅でもあったようだ。


 一馬自身は信長を筆頭にした織田一族に個室を譲り、他の者と雑魚寝をしていたようで、信長や他の皆を気遣い、奥方とも寝所を別にしたことを、皆が絶賛したと記されている。


 更に関東の北条家の資料には、黒船船団は当時の常識では驚くほどの速さで伊豆に到着したようで、慌てて小田原に知らせを出したとある。


 十隻の黒船船団は、南蛮船など恐るるに足らずと息巻く北条水軍を驚かせ、大きく黒い船体と複雑な帆に見入ってしまったと伝わる。


 なお、下田への寄港時に織田は、北条水軍の関係者を南蛮船に乗船させて船内を見せていたようで、最高クラスの軍事機密を見せることで誠意と友好を示したと記録されている。


 北条家の資料にはこの件は黒船来航と書かれていて、後の歴史にも鑑みて、織田に黒船を派遣させた北条幻庵の先見性と偉業を讃えている。


 ちなみに昭和になると下田では下田黒船祭と称して、この時の出来事を祝うとした観光目的の祭りを行っていて、平成に入ると有志が久遠家の黒船を模した船を造り、普段は下田港に係留展示されているが、祭り前に小田原に移り、観光客を乗せて下田黒船祭に合わせて来航するなど盛り上がっている。




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