第百九十五話・おやつはみんなで食べましょう
side:久遠一馬
「ほう。これはまた美味い」
幻庵さんが安祥城に入ったと知らせが届いたこの日、ウチのおやつはフレンチトーストだった。
山の形をした食パンを牛乳と卵と砂糖などを混ぜた液体に
信長さんは本当に甘いものを美味しそうに食べるね。
元の世界だと、家庭でもお店でも食べられる庶民におなじみの味。ただパンの歴史が古いヨーロッパでは、この時代より昔から類似する料理があるらしい。
パンもエルたちが焼いたものだ。ウチには竃っぽいオーブンがあるからね。尾張に来た頃に特注して、職人が造ってくれたものになる。
今では手押しポンプの井戸と一緒に那古野城や清洲城にもあるし、工業村や牧場村などウチが関わるところにも広まっている。
オーブンは洋食だけのものじゃない。那古野城や清洲城の料理人には、オーブンを使う料理も教えていて評判もいいんだよね。
「北条駿河守。
この日は信秀さんも来ている。信秀さんもまた食事とおやつの頃に来ることが多いんだよね。鷹狩りや遠乗りと称してはウチの屋敷に来る。
「領民の評判もすこぶる良いお方です」
ただ、この日は幻庵さんの件で来たらしく、信秀さんもそれなりに幻庵さんを知っているらしい。更に忍び衆が調べてきたところによると評判もいいんだよね。
いわゆる出家したお坊さんらしいけど、武士でもあるので戦でも活躍するからなぁ。
史実においては北条五代に仕えた人で、彼が亡くなり一年も保たずに北条家は秀吉により滅ぼされている。
「目的はウチですかね?」
「であろうな。清洲や先の戦と、そのあとの伊勢商人の動きを見れば気にならぬと言えば嘘になろう」
エルたちとも相談したが、目的はウチの可能性が高い。
尾張の改革はウチが多かれ少なかれ関わっているしね。信秀さんは伊勢商人の動きが引き金だと見てるようだ。大湊は謝罪してきたし桑名は放置されているからな。
「引き抜ければ面白いんですけど」
「そなたは、たまにとんでもないことを口にするな」
いっそのこと幻庵さんを引き抜けないかなと、口を滑らせたら信秀さんに呆れられた。
無論、幻庵さんが名門というか室町幕府の要職を握る伊勢家の庶流なのは理解している。
ただ、この時代ではすでに隠居してもおかしくない年だし、尾張に来てくれればと、ちょっと思っただけなんだけどね。
実際には北条家が手放さないだろう。
「駿河守は尾張をいかに見るか」
「こちらのやり方。理解するかもしれませんね」
現状の織田家には、北条を敵に回す理由はない。しかも、幻庵さんは領民を大切にしているらしく、現状の織田家の方針と今後を正確に理解される可能性があるんだよな。
そこが今後どう影響するかは、慎重に見極めないといけない。東の今川と血縁もあり、駿河の向こうにいる北条は東のカギを握る存在だ。
「エルよ。欲しいのは鉄砲か?」
「鉄砲よりは鉄そのものかと思われます。北条といえど現状では鉄砲を揃える余裕はないと思われますので」
信長さんはフレンチトーストをお代わりした合間に話に加わってきた。結局、なにが欲しいのかと考える辺り合理的というかなんと言うか。
北条には硝石を多少売っているが鉄砲は売っていない。向こうが求めてきてないからね。むしろ鉄そのものを欲しがっている。
鉄は西国では盛んだけど関東だと聞かないしな。高価な鉄砲より鉄そのものが欲しいのは当然だろう。
史実でも日ノ本では南蛮人から鉄を輸入していた話は有名だ。
現在、工業村の鉄は大半が精錬されないまま熱田からウチの船で本拠地まで運び、向こうで精錬して尾張に送り返して北条や大湊の商人に販売している。
無駄に思えるけど、それでも利益が出るのが鉄の現状になるんだよね。
信秀さんは鉄の精錬に必要な反射炉をどんどん造るように命じているので、職人たちが頑張って造っているけど、材料の耐火煉瓦作りもあるし反射炉を造れる職人も多くはない。
エルの話では反射炉は最低でも二十基は必要だって言うし、当面はウチが介在して売るしかないのが現状だ。
鉄は国家だと言った人がいたけど、戦国時代でも貴重な戦略物資なんだよね。
尾張の鍛冶職人は地道に増えている。少し前に尾張や伊勢の商人に、各国にて職人の勧誘を頼んだんだ。手間賃を弾んだら、商いのついでに声をかけてくれている。
腕前はお世辞にもいいとは言えない人も多いが、とりあえず数打ちの刀や槍の穂先を造らせているんだ。
鉄をそのまま売っても儲けはあるけど、数打ちでも刀になると明にも売れるしね。
本当は農具とか土木用の道具を優先して作ってほしいけど、無駄に誇り高いのか嫌がる人が多い。どのみち他国から勧誘した職人は工業村には入れてなく、那古野や清洲や津島と熱田に分けて住まわせてるから、なにを造ってもいいんだけどさ。
「さて、いかにして駿河守を歓迎するか」
訪問の目的は、友好を深める事と取引の拡大だろうから普通に歓迎すればいいと思うけど、信秀さんはちょっと悪い笑みを浮かべている。
また、驚かせたいんだろうなぁ。この前は、道三相手にエルにお茶を点てさせたし。
こういうところは、本当に信長さんの親父さんだって痛感するね。正に、この親あってこの子ありだ。
ただ、効果はある。道三は織田家との和睦交渉での態度が以前より軟化したらしい。
元々、道三本人は和睦に乗り気だったが、家中には反発もあるようで、大垣の扱いなどで時間をかけて交渉している形を作っているんだ。
「三郎五郎からの書状では駿河守は醤油が気に入ったらしい」
「そうですか。では土産に加えておきます」
安祥城には正月に信広さんがウチに来て以降、月一くらいの割合で物資を送っている。松平領などから来る流民に食べさせる雑穀や小競り合いで消費する硝石に、金色酒や砂糖なんかの高級品も送っているんだよね。
信広さんはそれを家臣に分けてやったりして、三河の織田領を上手く纏めている。信広さんからは返礼の書状が来るけど、毎月のように送られてくる物資に三河の国人衆たちが素直になったんだとか。
結構なことだ。兵を率いて無駄に時間をかけるよりは、物量で従ってくれたほうが早くていい。
松平領とは待遇や物資の違いが歴然としているからね。今のところ裏切りすら出ていない。
「かず。湊屋の件はどうするのだ?」
「ああ、それも殿に報告が必要でしたね。実は大湊の会合衆のひとりである湊屋殿が隠居するので、当家に仕官したいと書状が来ていまして。いかが致しましょう」
幻庵さんの接待では、ウチが料理を担当することになった。
ただ、もうひとつ信秀さんの裁定が必要なことを信長さんに指摘されて思い出した。大湊の会合衆である湊屋さんが、なにを血迷ったのかウチに仕えたいと手紙を寄越してきたんだ。
大湊滞在中は世話になっていて、食事会をした時に一番料理に夢中だった人なんだけど。まさか料理が目当てじゃないよね?
「召し抱えてやるがいい。使えぬなら追放すればいいだけのこと。大湊との仲介くらいは出来よう」
丸屋さんなら喜んで召し抱えるけど、会合衆である湊屋さんを召し抱えるのって迷うんだよね。機密とかもあるし。
エルたちと資清さんは、今後の商いの拡大を考えると召し抱えたほうがいいと言うけど。資清さんに至っては裏切れば処分すればいいと平然と言うからな。
信秀さんの反応はドライだ。基本的に臣従を申し出れば受け入れているからね。使えなかったら追放するか処分をしている。
個人的に史実の利休みたいに、あまり特定の商人に権力を持たせたくないから迷うんだけど。
とはいえ、会合衆の経験と商いの力量は、欲しくないと言えば嘘になる。
うーん、なんとかなるか。
ところでロボとブランカ。お願いだから信秀さんの膝の上で遊ばないでおくれ。可愛がってもらっているけど、怒られないかと心配になる。
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