第百七十八話・本證寺と学校の状況

side:本證寺ほんしょうじの僧


「また民が減りましたな」


「織田に逃げたか?」


「恐らくは……」


 罰当たりどもめが。織田に行ったところで流民の行く末など決まっておるというのに、愚かなことを。


「織田に返還を求めますか?」


「していかがなる。向こうとて三河から流れていく流民で困っておるはずだ」


 うつけめ。返還など求めれば恥の上塗りではないか。それに借りを作れば返さねばならなくなる。あのようなわけのわからぬことをする奴らと関わりとうないわ。


 そもそも、誰が我らの寺領からの逃亡民か、いかにして見極めるつもりだ。まさか、織田領の流民を一人ひとり確かめるのか?


 流民に元の村に帰るように言うたところで、素直に帰るくらいならば初めから誰も逃げ出さぬわ。


 織田も好きで流民を受け入れておるわけではあるまい。三河で得た領地を治めるために仕方なく受け入れておるだけであろう。


 むしろこちらに民を逃亡させるなと言われたら、いかがするのだ?


「しかし羨ましくなりますな。織田は銭が余っておる様子」


「確かに。領境の村など織田に従いたいと言い出す始末。仏罰が下ると言い聞かせましたが……」


 三河は変わった。


 特に、矢作川流域は織田領だけが飢えなくなった。銭と兵糧で戦をせずに、織田は民を飯を食わせることで、三河の地を確固たるものにした。


 誰もが愚かだと笑うた。左様なことをするくらいなら捨てたほうがマシだと言うた者もおるな。


 されど結果は織田が三河を揺るがす存在となったのだからな。我らがうつけだったということか。


「今思えば、流行り病の際は手助けをしても良かったのでは?」


「確かに……」


 我らと織田の現状は、悪くはないが良くもない。所詮、今川に負けて三河から叩き出されるのだからと、付き合う気がなかったからな。


 昨年の冬には織田から流行り病の知らせと、力を合わせて事に当たりたいとの文が届いたが、織田の謀かと拒否した。


 結果は散々だったがな。


 以降は、季節の挨拶と称して酒や高価な贈り物は届くも、そのような話は一切来ぬ。


 上人も高僧も織田が我らを恐れておるのだと上機嫌だが、民は我らより織田が治めることを望む者が増えておる。


 民とは愚かだからな。仏の道もなにも理解しておらぬのだ。


願証寺がんしょうじは織田に屈したそうですな」


「門徒を見捨てるとは愚かな」


「向こうは輪中。南蛮船に恐れをなしたのであろう」


 我らとまったく異なる判断をしたのは願証寺だ。やつらは織田の風下に立つことも致し方ないという道を選んだ。


 まあ、我らと願証寺では置かれておる立場が違う。織田にとって三河は捨てても困らぬ地だが、津島は織田の本領だ。敵となるならば、なにがあろうと潰しに掛かるはずだからな。


「ともかくだ。逃亡する民は許すな。仏に背く者には厳罰をもって対処するのだ」


 織田も願証寺もいかようでもいい。我らは我らの寺領を治めるのが役目。逃亡する民を捕まえ厳罰に処して、見せしめにしなくてはならぬ。


 いずこに行こうがこの世に極楽浄土などないのだ。




side:久遠一馬


「打ち込みが甘い!」


「はい!」


 学校の校庭では警備兵五十人ほどが剣術の稽古をしていた。


 別に珍しい光景じゃないけど、彼らの得物が竹刀であることはこの時代では珍しい。


 オレも知らなかったことだけど、この時代には竹刀はないらしく、竹刀の前身となった袋竹刀という得物もまだないみたい。


 怪我を避けるためには寸止めと呼ばれる、相手の体に触れる前に刀を止める木刀の稽古をするらしい。


 ただ、ジュリアはそれだと駄目だと考えたようで、竹刀と未来のような防具を作らせたんだ。よほどの上級者以外が寸止めで練習すると、変な癖が付くらしい。


 警備兵は罪人を生かしたまま捕らえるために、十手とか投げ縄に投網とかいろいろ教えているけど、戦にも出るから武芸も普通に教えているしなぁ。




「……以上を守って」


 校舎の中では産婆さん。この時代風の呼び方をするならば取上婆とりあげばばか。彼女たちに対してケティの出産指導が行われていた。


 そんなに難しいことは教えていないみたいだね。基本的な知識や衛生面の指導とかくらいらしい。


 ただ、この時代だとそれでも違うみたい。


 元の世界の感覚だと出産は病院でというイメージだけど、日本でも第二次世界大戦後になってもしばらくは、自宅出産で助産師の資格を持つ人が取り上げるのが普通だったとか。


 若い子と違って年寄りは頑固だからね。自己流を貫く人もいそうだけど、根気強く指導してほしい。




「はい。みなさん上手ですね」


 また別の教室では女性を対象にした、読み書きの指導を千代女さんがしていた。


 千代女さん。意外と言っては失礼だけど、人に教えるのが上手だと評判なんだよね。牧場にある孤児院の子供たちや領民の評判がいいので、織田家中の女性向けの読み書きの先生に抜擢した。


 本人は恐縮していたけど、上級武士は自家で教えるしね。中級から下級武士の子女に加えて、武家で働く人なんかは結構習いに来るんだ。


 ああ、生徒の中には悪徳商人から太田さんが助けたお藤さんもいる。頑張っているなぁ。


 学校の全体的な評判は上々だ。ただし、先生のスケジュール次第だから、毎日同じ授業はない。


 基本的には、授業をする場合は朝から夕方までか、朝からお昼まで休憩を挟みつつ同じ授業をしている。


 医師に関しては滝川家と望月家から選んだ助手を教え始めた以外は、今のところ本格的に教育は出来ていない。


 一番医師に近いのは忍び衆らしいからね。薬の知識もそれなりにあるようで結構凄いらしい。


 ただ、現状だと時々護衛として付き合っている慶次が、一番ケティたちの医術を理解しているのかもしれないくらいだけどね。


  孤児や警備兵を含めて一定の教育をしたら、才能がありそうな人に勧めたり志願者を募るくらいはするけど。


 どこまで教えるかも含めて手探り状態なのが実情だ。


 ああ、清洲にいた医師は、いつの間にかいなくなったらしい。自称京の都かどっかで習ったと公言して、大和守家の時代はそれなりに繁盛していたらしいけど。


 そもそも医師に診てもらう余裕があるのは武士や商人なんかの富裕層だけど、そういった人たちはウチの病院に来るからね。


 ただ、まったくの詐欺とかではないらしく、この時代でみれば最低限の薬の処方は出来ていたみたい。


 正直なところ、薬の知識も寺社の僧などが専門で詳しい。


 医師と薬師の境も曖昧だ。


 他にも自称医師や自称薬師は無名な人がまだ清洲には数名いるらしいが、そっちは開店休業状態らしい。


 ちょっと調べたら胡散臭いみたいだから、やぶ医者というか素人が名乗っているだけかもしれないが。


 本当はもっと読み書きを領民にも勉強してほしいんだけどなぁ。現状だと生きてくのが精いっぱいで、領民も読み書きの必要性を感じていない。


 農業試験村でさえオレの指示で勉強はしてるものの、覚えても使い道がないと言ってるらしいし。


 絵本とか普及させるか? 紙の生産も増やさないと駄目だよなぁ。あまり長持ちしないがわら半紙でも生産するべきか。


 最悪でも書道の練習紙にはなるよね。


 うーん、焦らないで考えよう。




―――――――――――――

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

横蛍

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