第百七十一話・津島の会見

side:久遠一馬


 道三一行が去りしばらくすると、信秀さんから急遽お呼びが掛かった。道三と茶を飲むからオレと信長さんに来いということだ。


 来るほうも来るほうだけど、信秀さんも道三と会うことにしたのか。


 この時代だと大名クラスの武士が直接会うことはまずあり得ない。それだけ危険なこともあるし、そこで殺されても迂闊だったと言われて終わりだからだ。


 卑怯なのは誉められたことじゃないけど、一方で殺された側も愚か者だったと言われる。


「なにをしに来たんだろうね」


「手詰まりなのを打開したいのでしょう」


 急遽、津島の屋敷で正装に着替えて、茶会をする大橋さんの屋敷に出向くことにしたが、目的が分からないのが不気味だ。


 信長さんとエルと対応を想定して話をすることにした。


「手詰まりか」


「大垣周辺は事実上の織田領です。それに美濃の国人衆は必ずしも山城守殿を望んでいるわけではありませんので。山城守殿に出来ることは多くありませんよ」


 オレと信長さんは道三の目的に疑問を感じているが、エルは予想以上に道三が追い詰められていると指摘した。


 確かに戦国時代に来て理解したのは、大名も独裁権なんてないことだ。それは信秀さんですら変わらない。国人や土豪の連合体が守護や守護代なんだ。


 もっとも現状では独裁権に近い力を信秀さんは持ちつつあるけど。それでも一族や重臣、寺社には配慮が必要で、常にそこは気を使っている。


 オレはどうも史実のイメージで道三を見てしまうが、この世界の道三は実のところそこまで目立った活躍はない。


 対外的な戦では土岐頼芸ときよりあきを支援した織田に大垣を取られている。


 さらに恐らく史実で二度あったらしい加納口の戦いは、第一次では勝ったようだが、昨年に起きるはずだった第二次が起こらなかったことで、織田が大敗を喫するほどの打撃を与えられていないからだ。


 まあ美濃国内の戦だとちょこちょこ勝っているが、客観的に見ると史実のような評価にはならないと思う。


 まてよ。ということは、史実より道三の出来ることが限られてるということか?


「会うのは危ういか?」


「大丈夫でしょう。ですが念のため、すぐ近くに忍び衆とケティを待機させておきます」


 道三は頼芸の弟を毒殺したと言われているし、昨年には守護だった土岐頼純ときよりずみをも殺した可能性が高い。


 頼純の奥さんは道三の娘なのに。ちなみに、この娘さんというのが、史実で織田信長に嫁いだ帰蝶姫だ。


 信長さんは一か八か道三が命を狙うのではと危惧している。


 可能性はゼロではないのだろうが、さすがにそこまではしないと思う。津島で信秀さんや信長さんを殺して美濃まで帰れるわけがない。


 身を捨てて美濃を守るなんてタイプじゃないだろうしね。ただ、史実では織田信秀が負けた相手だ。エルは万が一を考えて準備はするようだけど。


 ほんと、今いる世界が歴史の一部なんだって実感するね。


 史実において織田信長は、道三と尾張と美濃の国境の正徳寺にて会っている。あれも確か道三から声をかけたと伝え聞くしね。


 この世界で正徳寺の会見はないだろう。その代わりがこれになるのかな?


 変なとこでくしゃみとかしたらどうしよう。あんまりこういう経験ないんだよね。オレ。




 場所は大橋さんの屋敷の庭で野点にするみたいだ。


 余談だが、信秀さんはあまり狭い茶室を好まない。侘び茶を否定しているわけでも嫌ってるわけでもないが、狭い茶室よりは広い部屋や野外での茶の湯を好む。


 茶の湯自体はもう流行しているものの、後世のような厳格な形とルールがあるわけではない。エルに聞いたところ地方や人により形が違うらしい。


 茶の湯を完成させたのはあの千利休だというし、それが全国に広まるには豊臣政権のような中央政権で茶の湯が認められ、全国の諸大名に伝えられねばならないんだろう。


 正直、オレはあんまり茶道って好きじゃないんだよね。別に文化を否定する気はない。わびさびがあっても良いとは思う。ただ、それは茶道の一流派として、流派内の村社会でやって欲しい。他人に押し付けるのはやめて欲しいんだよね。


「エル。今日の茶はそなたが点てろ」


 道三より一足先に大橋さんの屋敷に到着したオレたちに対して、信秀さんは驚くべきことを口にした。


 てっきり信秀さんか政秀さんがお茶を点てるのかと思ってたんだけど、まさかエルにやらせるつもりだったとは。


「よろしいのでございますか?」


「構わぬ。そなたは茶の湯の腕前も悪くない。蝮の度胆を抜いてやるわ」


 ニヤリと笑みを浮かべる信秀さんは楽しそうだ。なんというか。良くも悪くもオレたちに影響されていない?


「畏まりました」


「せっかく向こうから来たのだ。蝮が同盟相手としていかがなのか見極めようぞ」


 信長さんよりは現実を知っている分だけ目立たないが、余裕というか遊び心があるのは確かだ。


 道三一行はこの茶会にどんな顔をするかな? 不謹慎かもしれないけど、オレもちょっと楽しみになってきた。


 茶会の参加者は織田家は、信秀さんと信長さんに政秀さんと大橋さんとオレだ。斎藤家は連れてきたお供から人数を合わせたらしい。


 互いに名を名乗るが、斎藤家側は信長さんが名乗ると動揺した。


 さっきまでオレの隣でたこ焼き焼いていたからね。道三も顔を見たはずだし気づいたんだろう。


 まるで史実の正徳寺の会見のように、信長さんは先程までとは違うきちんとした正装に着替えている。尾張の大うつけとのアダ名も知っているだろうし、相当驚いたみたい。


 余の顔を見忘れたか。なんて言ったら面白いのにと考える余裕がある。信秀さんたちがいるからか、オレも思ったほど緊張をしなくて済んだね。


 ちなみに道三たちも正装に着替えている。どうやら着替えを持ってきてたみたいだ。そこを加味すると、やはり油断ならない人だな。会見が行われる可能性があることまで想定済みか。


「久遠一馬の妻、久遠エルにございます。本日は、私が茶を点てさせていただきます」


 会話はなく、空気が重苦しい。


 しかし普段は町娘のような簡素な着物姿のエルが、急遽武家の奥方らしい着物に着替えて現れ、茶を点てると告げると道三自身でさえもさすがに驚いたのか顔色が変わった。


 さっきウチの屋台で働いているエルたちを見るまでは、南蛮人なんて見たこともなかっただろうしね。


 それがこんな重要な席で茶を点てる。道三はそれをどう見るかな?




 屋敷の外から聞こえてくる祭りの賑わいとは別世界のように、こちらはなにも動きがない。


 真剣なのは分かる。お互いに命懸けの茶会だからね。


 エルが点てたお茶をみんなが静かに飲む。茶菓子は羊羮だ。用意していなかったから、売り物の羊羮を持ってきたんだよ。


「美濃守殿を守護に戻そう。それでいかがか?」


「こちらに異存はない」


 どれくらい時が過ぎただろうか。お茶もすっかり飲み終えてお代わりが欲しい頃になると、道三がようやく口を開いた。


 美濃守とは土岐頼芸ときよりあきのことだ。信秀さんが支援している美濃の元守護だね。


 織田と斎藤の懸案は大きく分けるとふたつある。大垣城の扱いと元守護の頼芸の扱いだ。


 斎藤側としては大垣は取り戻したいけど、織田側には美濃の守護家である頼芸がいる。この場合どちらに正統性があるか微妙なんだよね。


 道三の斎藤家も元々は美濃の守護代の家系だ。道三が家を乗っ取ったみたいだけど。


 和睦にしろ同盟にしろ、このふたつを最低限片付けなければならないが、主導権は完全に織田にあるんだよね。


 史実では形の上では対等な同盟だったんだけど。


 結局、折れたのは道三か。


 美濃は土岐頼芸のもとで大垣周辺を織田が治め、他を斎藤が治めるとなるのかな。


 とはいえ道三の影響力は史実より落ちているしね。まだまだ騒動の種は尽きないと思うけど。


 はてさて、どうなることやら。




◆◆

 津島の会見


 天文十七年、六月十四日。


 津島天王祭にて、尾張の織田信秀と美濃の斎藤利政さいとうとしまさ(後の斎藤道三)が会見を行った。


 事の経緯ははっきりしていない。


 しかし両家は信秀の尾張統一以前から和睦の交渉をしていたことは確かで、この会見もその交渉の一環と思われる。


 同席した者として織田信長・平手政秀・大橋重長・久遠一馬の名が残っている。


 信秀は同席を茶の湯でもてなしたようで、茶を点てたのが大智の方こと久遠エルだというのも特筆すべきことだった。


 評定衆とはいえ家臣の妻が織田家と斎藤家の会見の席を任されたことは、当時の常識からは考えられず後世において様々な憶測がされている。


 一説にはこの会見自体が久遠エルの美濃獲りのための策であると言われていて、後世では有名だが確かな歴史的な証拠は今のところない。





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