第百七十話・津島天王祭・その二
side:斎藤道三
「殿。お考え直しを! あまりに危のうございます!」
相も変わらず人の心が読めぬ家臣らの言葉を思い出す。今の信秀がいかに動くか考えれば分かるであろうに。
皮肉なことだが、尾張を統一した奴は美濃との和睦に本腰を入れ始めた。急拡大した領地を纏める時が欲しいのであろう。時は織田の味方だ。
さすがに大垣は返せぬようだが、商いの優遇などわしにも悪うない条件を提示しておる。懸念は元守護殿の扱いであろうからの。
困った御仁だからな。
美濃を取り戻したくば己の力で取り戻せばよいものを。織田ならば御しやすいと安易に頼り、結果いいように御輿にされておることを今度は不満だという。
美濃の国人衆には、わしなどより元守護殿に従いたい者もおるのだ。上手くやれば美濃を取り戻せるはずなのだがな。
さすがの信秀もあれは手に余るらしい。早く厄介払いしたいのが本音かの。
「わしは自らの目で見ねばならぬのだ。織田と噂の南蛮渡りをな」
大垣に拘れば斎藤家は滅ぶ。今川が織田と潰し合えば好機は訪れるやもしれぬが、今川とて愚かではない。今の織田と本気でぶつかることはあるまいて。
一向衆と伊勢商人ですら引いたのだからな。織田の力の源泉である南蛮船での交易が安泰な以上は、たとえ戦でひとつやふたつの城を落としたところで大勢は変わらぬ。
むしろ、こちらの損害が増えるのみであろう。
「何故、ご自身で見ることに拘りまするか?」
「あまりに異質なのだ。信秀も久遠とやらもな。尾張を統一した奴らがなにを見ておるか。この目で見定めねばならぬ」
そこまで語って聞かせても、家臣らは理解してくれなんだ。織田がいかに恐ろしいかを。困ったものだ。
だが尾張を訪れたのは、この機会でなくてはならぬからだ。信秀以外の者も津島天王祭を血で染めるような愚か者はおらぬであろうからの。
「なんと賑やかな……」
美濃から川を下りて来たが、津島の賑わいに供の者らが呆けておるわ。
民にも活気があり笑みが
しかし、こうして直にみると、噂以上に力の差があることを痛感させられる。
「これが織田の力の源じゃ」
「なんと大きな船だ」
「南蛮船とは、なんと黒いのであろうか」
まず見たかった南蛮船をいの一番に見に来た。
津島の湊の沖合いに停泊する二隻の南蛮船をな。大きな南蛮船と一回り小さな南蛮船があるわ。もっとも小さな南蛮船も日ノ本の船と比べれば十分に大きい。
南蛮船の船体は何故か黒く威圧感がある。それぞれに当たり前のように織田家の旗が掲げられ、その力を見せ付けておるわ。
帆も帆柱も随分複雑だな。あのような船で遥か南蛮まで行くのか。
「口惜しいの」
「殿……」
何故、信秀なのだ?
武家ならばいくらでもある。大きな湊もあちこちにあるではないか。
何故、織田に臣従したのだ?
勝てぬ。いや戦に勝っても、戦った時点で負けてしまう。
稲葉山に籠れば負けはせぬかもしれぬ。されど銭の力で戦をされたら、わしでは勝てぬ。信秀がわしの戦に付き合うなどあり得ぬことよ。
「残るは、織田の中での久遠の立場か」
付け入る隙があるとすれば、織田から久遠の離間が可能か否かだな。
これだけ目立てば家中に敵もおろう。信秀とて得たいの知れぬ新参者に心許しておらぬはず。そこをうまく突けばあるいは……。
「殿。南蛮渡りが自身で品物を売っておる様子。見に行かれまするか?」
「うむ。行こう」
何事にも欠点や損はあるものだ。織田の欠点と損を見定めねばならぬ。
左様に思案しておると、まさか噂の南蛮渡りが自ら品物を売っておるとは。重臣に取り立てられたと聞いたはずだが。
ちょうどよい。見極めてやるわ。尾張一国の器か。あるいは……。
side:久遠一馬
斎藤家の一行は素直にウチの屋台の列に並んだね。周りには織田家の者も多く、素性を知らない人は何者だと少し警戒する者もいる。
ここで無礼者と騒ぐような人だと楽なんだけど。そう上手くいかないか。
今日は清洲や那古野の警備兵も半分ほど連れてきていて、周囲の警備をさせている。津島の統治は津島衆の領分だが、信秀さんや信長さんにオレたちの護衛の意味もあるので問題はない。
熱田祭りの時に理解したが、祭りということもあってか、酒が入るとちょっとした喧嘩でも刀を抜く人が一定数はいるんだ。警備兵が抑止になればいいんだけど。
「いらっしゃいませ。なんにしましょう」
そのまま行列は進み、道三一行がオレたちの前に来た。信長さんは知らんふりしてたこ焼きを焼いてる。道三は気付くかな?
「ふむ。見たことがない品ばかりじゃな」
「明や南蛮の料理を真似た料理や菓子ですよ」
並ぶ菓子や作っている料理を見定めるように道三さんの鋭い視線が動く。
「砂糖菓子がこの値か?」
「お祭りですからね。この値ならば尾張の領民なら食べられますので」
道三の目付きが鋭いね。まるでこちらを見透かすように見つめてくる。エルも手伝っているので、向こうもオレの素性に気付いたんだろうな。
そんな道三が最初に食いついたのは金平糖の値段だ。
最近の尾張は賦役をやってるからね。さすがに奮発しなくてはならないだろうけど、それに参加していれば農民でも家族で食べられるだろう。先日の戦でも褒美を足軽にも出したしね。
貨幣経済を領内の隅々にまで浸透させることと、ウチは大分儲けているから、儲けを還元する社会貢献の意味もある。
領民の話に顔色が変わったのは道三と数名だけか。意外に鈍いのか。それとも武士とはこんなものなのか。これはあとで信長さんにでも聞かないと判断に迷うな。
ただ、飢えないだけでは駄目なんだ。真面目に働いていれば、年に数回はちょっとした贅沢が出来るくらいに先ずはしたい。
織田家が次のステージを目指していること。道三は気付いたかな?
「……さすがは仏と噂の弾正忠殿だな。わしには到底真似出来ぬ」
「殿!」
「構わぬ。すでに気付かれておる。そうであろう。久遠殿」
あれ、この段階でオレに揺さぶりをかけてくるのか。それとも開き直っただけ?
うーん。分からない。考えが顔に出るタイプには見えないけど。
大人しく旅の隠居とでも名乗ればいいと思うのに。まあ道三なら悪代官の方が似合いそうな悪人顔だけど。
素性を明かすということは、オレになにかを求めるのか?
「さて、どなた様でしょうか?」
「ほう。そうくるか」
「知らねばただのお客様です。せっかくですので何か召し上がってみては? 他では味わえぬ代物もありますよ」
悪いけど道三の相手は信秀さん政秀さんとかにお任せだ。オレには道三相手に化かし合いが出来るほどのスキルなんてない。
ついでに言うと、オレは別に道三を化かす必要もないんだけどね。こちらは正攻法で動くのみ。
歴史の偉人相手に、相手の土俵で戦う気なんてないよ。
「美味いの。これが南蛮の味か?」
「いえ、それは明の料理を再現した品ですよ」
斎藤利政。焼きそばを食べる。仮設の椅子とテーブルに座ると、領民に交じって遠慮なく食べ始めた。
……目の前の光景を見ると真面目なんだけど、史実と比較するとなんとも言えない気持ちになるね。
お付きの家臣たちも、それぞれに料理や菓子を食べては驚いている。食文化の豊かさに気付くかな?
人はパンのみにて生きるにあらず。時にはお菓子も食べたくなるものだ。
自分たちの国を守りたいと尾張の人たちに思ってもらうには、みんなに生きる楽しさを感じてもらわないと駄目なんだよね。
恐怖や力や来世への希望ではなく、今を生きる。
オレたちの策をあの斎藤道三はどう感じてどう判断するか。
素直に楽しみだ。
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