第百六十六話・夏祭りの準備

side:久遠一馬


「孫三郎様。少し休憩致しましょうか?」


「うむ。そうだな」


 何処からかせみの声が聞こえていて、風鈴の音が涼を意識させる。


 元の世界と比べるとマシだが、暑い夏の日に信光さんは甲冑姿でいるもんだから額に汗しているね。


 実は信秀さんの肖像画を見た信光さんが、自分も欲しいと押し掛けてきたんだ。守山城に呼ぶのではなくウチに来たのは、多分、絵師が女のメルティであることへの配慮だろう。


 まさか昼飯を食べたくて来たとは思いたくない。今日の昼飯の冷やしうどんをお代わりしていたけど。


「海の向こうは明や天竺だけではないのだな」


 今日は麦茶と水羊羹みずようかんのおやつなので休憩を兼ねて出したけど、信光さんはそれらを口にしつつ、まだ下書き段階の絵を見て感慨深げな表情をした。


 この時代の人は海外なんて明と天竺と朝鮮しか知らないことが多く、南蛮とは南から来る蛮族という意味になる。


 南蛮人。いわゆる欧州人のことも決して評価は高くないし、彼らが日ノ本を未開の地と見てるように、こちらも南蛮人を蛮族と見ている。


 まあ尾張だとだいぶ印象が違うのだろうけど。


「まあ、そうですね」


「金色砲に酒に絵。いずれを見ても侮れぬな」


 信光さんは南蛮を認めていると同時に警戒もしてるらしい。当然だけどエルたちを見て簡単に信じたり敵だと決めつけたりするような、単純な人じゃなくて安心する。


 まあ、エルたちやウチが抱える南蛮人は、遥か西からの流民ということになっている。故郷を追われた者たちということで多少の同情などはあるんだろうけどね。


「信仰してる神も違えば歴史も違いますから。厄介な相手です」


「ほう。仏や八百万やおよろずの神ではないのか?」


「ええ。私もそんなに詳しくはないのですけど、彼らの神はこの国の神とはまったく違う存在らしいです。彼らの神はただ唯一の存在のようで、他の仏や八百万の神を認めないようですから」


 この時代の南蛮は、元の世界の人間が宇宙人や異世界人を見るような感覚なのかもしれない。


 話のついでにキリスト教のことを少し話すと驚かれた。神や仏が信じられている時代だからね。それとまったく違う神であり、仏や八百万の神を否定すると聞くとイメージは良くないだろう。


「信じられぬな」


「恐ろしい者たちですよ。南蛮の領主や王より権威があり、異なる神を信じる者を認めず武力による討伐を命じることもありますから。日ノ本で言えば一向一揆を起こすような者たちと同類です」


 実際にこの時代のキリスト教は危険なんだよね。


 史実において織田信長はキリスト教を認めたが、どちらかと言えば好き勝手する仏教勢力への対抗策に思える。信長自身がカトリックを信じたなんて話はないしね。


 ただ、結局は秀吉がバテレン追放しても危険性がなくならず、江戸時代には禁教令が出ても一部の信者が明治まで残るんだから怖い話だ。


 宣教師も一向衆みたいに、都合がいいことばかり言ったんだろうな。それにヨーロッパの歴史なんて知らないからな。幻想でも抱いたのかもしれないけど。


 とにかく身近な織田家中から南蛮人と宣教師の危険性は知ってもらわないと。ぶっちゃけ仏教と同じで腐敗と争いを繰り返していると言えば理解してくれるだろう。


 ふと思う。信光さんも長生きしたら、地味に歴史に影響しそうな人だ。


 史実の織田信光が亡くなった原因に信長の暗殺説もあったけど、どうなんだろうね。当時の信長の状況でそれはあまり考えにくい気もするが。


 野心のひとつやふたつはありそうだけど、それを言うなら野心のない武士を探すほうが難しいだろう。


 内政はあまり得意ではなさげだけど、力で支配すればいいというほど乱暴でもない。信秀さんのやり方を家臣に真似させているらしいし侮れない人ではあるね。




 この時代の暦って、いわゆる旧暦だから、未だに慣れないなぁ。


 旧暦の六月半ばになると津島天王祭がある。新暦にしたら七月の末くらいか。尾張の夏祭りだね。


 熱田のお祭りに続き津島のお祭りにも参加するつもりだ。


 そう。夏のお祭りと言えば花火だ!!


 日本の花火の歴史は諸説ありはっきりしない。史実で確実なのは江戸時代初期に家康が、駿府で花火を献上された記録があることか。


 家康が見たのは打ち上げ花火じゃなかったらしいし、だいぶ歴史を先取りすることになるけどね。津島天王祭で花火を打ち上げる予定だ。


 流石に元の世界のような色鮮やかな花火は自重する。


「エル。花火はどのくらい用意した?」


「五百発分を用意しました」


「少なくない?」


「火薬が高価なのでこれでも多いくらいです」


 元の世界と比べると少ないけど、そんなものか。


 表向きは織田家による奉納花火としてやるんだ。ウチが単体でやるには少し目立ち過ぎるしね。歴史にも残りそうだから信秀さんに命じられてやったことにしようと思う。


 信秀さんたちには、またなにかやるのかと笑われたけど。好きにしていいとも言われている。楽しみにしているらしく正妻の土田御前や側室さん妾さんに子供たちと見に行くみたい。


「花火を普及させたいけど、戦国時代が終わるまで無理っぽいね」


「無理ですね。花火の技術は戦に応用も出来るので、当面は外部に漏らせません」


「やっぱり、そうなんだ」


「費用対効果は意外に悪くありませんが。織田家の力を内外に示すと考えると、京の都の馬揃えよりも遥かに効果はあるでしょう」


 火薬の相場から試算した費用の見積りを見ると、さすがにビックリする。もちろん花火自体は宇宙で作り運んできたから実際には安いんだけどさ。


 普及は無理か。ちょっと残念。


「目立ちすぎかな? 大丈夫?」


「今更ですね。そろそろ各方面から警戒もされますし、畿内の諸勢力でも様子を見ているでしょう。武力と財力を示すには絶好のタイミングになります」


 別に花火に外交的な意味を持たせなくてもいいんだけど。素直に楽しむだけじゃいけないのが、戦国時代の難しいところだね。


 元の世界だと田舎でも年に一度は花火大会があったんだけどな。


「あれは? 線香花火。あれなら大丈夫じゃない?」


「そうですね。安くは出来ませんが、商人なら買うかもしれませんね」


 打ち上げ花火で驚かせて線香花火を売ろうか。仕組みが簡単だから真似されそうだけど、線香花火くらいなら真似されても構わないだろう。


 ついでに織田家中の皆さんには夏の贈り物として線香花火を贈れば、花火の良さを知ってくれるはずだ。


 ああ、それと夏と言えば蚊取り線香も販売はしていないけど、家中に配り反応を確かめてる。


 こちらも評判は上々だね。この時代だと自然がどこでも多いし、エアコンもなければ家の気密性もない。


 蚊帳という昔からある蚊の侵入を防ぐ網のようなものはあるので、ウチでも使ってるけどね。


 蚊取り線香に似たものは、実はこの時代にもある。古くは平安時代からあったともいわれる蚊遣かやというもので、煙で燻して蚊を追い払うらしい。


 ただ蚊取り線香の主成分の除虫菊がこの時代の日本にはないので、効果は蚊取り線香のほうが上だ。


 それに煙も少なく長続きするのでこちらのほうがいいだろう。


 そんなに儲けようと考えてるわけじゃないんだけどね。蚊取り線香は普及させたい。日本脳炎の様に蚊を媒介とする病気はこの時代にもあるんだ。


 将来的にはこれも除虫菊の生産から蚊取り線香の製造まで国内で行いたい。南洋諸島とかあっちに進出するなら蚊取り線香は必須だろう。


 向こうは蚊に刺されるとマラリアに感染する危険もあるし。少しずつ必要なものを揃えていかないとね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る