第百五十八話・学校開校
side:久遠一馬
反射炉の二号機が完成間近だ。計算上は高炉一基に対して反射炉が二十は必要らしい。
ただ反射炉一基でも日に二百キロ前後の精錬された鉄が出来ているので、尾張で使うには十分な量はある。反射炉の建設は特に急いだわけじゃないんだけど、日本国内の鉄の需要が思った以上にあるんだよね。
西から東まで様々な勢力が鉄を欲しがる。西日本を中心にたたら製鉄は盛んみたいだけど需要を満たしてないんだ。
現状では鉄鉱石やコークスを運んできた大型南蛮船に精錬前の鉄を帰りの荷として積んで、小笠原諸島の硫黄島宇宙港に置いてる工作艦にて精錬して明との交易に使ったり、熱田に戻して北条に売ったりしている。
他にも工業村にはトリップハンマーという水車動力を用いた自動ハンマーが完成したので、鉄を加工するスピードなんかが上がってるみたい。
「うん。美味しいね」
「ありがとうございます」
工業村の内部も住人や店が増えた。遊女屋も開店したし料理屋も出来た。料理屋のほうは忍び衆の年配夫婦に出してもらった。
滝川家の郎党だった八五郎さんが清洲に店を出して以降、同じように料理屋などで働きたい人を募集したら志願した夫婦だ。
旦那のサブさんと奥さんのトメさんは家族と一緒に甲賀から移住してきた人たちだ。息子さんは忍び衆として元気に働いていて、この夫婦も最初は人質扱いだったんだけどね。
ウチや滝川家で下働きをしていたんだけど、自分たちでも良ければやりたいって志願したから任せた。
「どう? 何か懸念はありそう?」
「特には。ただ村の中に寺社がないことを少し気にする者がおりましてございます」
サブさんたちの任務は不審者が入り込んでないか監視することもあるけど、工業村内部の人たちの愚痴や不満を集める仕事も頼んである。
工業村の人には遠慮なく要望とか意見は上げてほしいって頼んでるし、目安箱も設置したけど、あんまり細かい意見がオレのとこまで来ないんだよね。識字率も低いし。
「寺社はやっぱり欲しいのか」
「当たり前にあるものでございますので」
最近、尾張でちょっと流行り出したざるそばを食べながら話を聞くけど、やはりというか工業村内部に寺社がないことに不便を感じているのか。
宗教は出来れば入れたくなかったんだよね。仕方ないからエルたちと相談するか。
「売れ筋は、蕎麦やうどんはいいとして、焼き煮干し?」
「出汁の煮干しを焼いて出しておるのでございますが、酒のつまみによう売れておるのでございます。安いこともあるようでして」
店のほうは赤字でもいいからと言ってあるが、上手いこと多少の黒字になるようにして営業しているみたい。
蕎麦やうどんは原材料が安いんだよね。職人たちには結構な高給出しているけど、早い安い美味いって、どっかの牛丼みたいなメニューが人気らしい。
それとすっかり尾張名物になりつつあるのが焼き煮干し。庶民のオヤツや酒の肴に人気なんだよなぁ。
元々は魚肥と出汁用のつもりだったのに。
「ああ。テングサもあるから、そろそろトコロテンも出すといいよ。甘いやつと酢醤油の二種類で出してみて」
「はっ、畏まりました」
季節は夏だ。知多半島からはテングサとか届いているから、トコロテンも売ってもらおう。
山の村が出来たら冬場には寒天も作ってもらいたいし、市江島でもテングサを集めるように頼んである。
売れるものはなんでも売っていかないとね。
支度が整ったので学校を開校することにした。
建物は病院同様に出来ていたからね。教師や講師は
教えるのは常識とか礼儀作法とか、あまり宗教色がない内容を頼んである。足利学校とシステムが似ているから理解が早くて助かったよ。足利学校の偉大さを理解したね。
あとはエルたちが南蛮や明の学問や知識として、今後に必要なことを教えることになっている。
書物はまともに集めると時間がかかるから、最低限の書物を船で運んできた。
君主論のような欧州の本や明の本も時代的にあるものは少し持ってきたけど、後はエルたちが教科書用にと書き下ろした本になる。
吾妻鏡のような国内の本も一応あるけど全部揃っていなかったりする。そもそも本は手書きだから出版数が限られてるし、あまり出回っていないからね。
正直、この学校で必ずしも必要かと言われると疑問もあるし。
時代に合わせた教育もするが新しいことも教えるんだ。必要な本は書いて作ったほうが早いのが結論だね。宇宙要塞にデータとしてなら本はあるんだしさ。
「結構集まったね。沢彦さんたちのおかげかな?」
生徒のほうは警備兵とウチの家臣に、当面はローテーションを組んで参加するように伝えてある。
あとは織田家中の皆さんにも声をかけたけど、意外に生徒が集まった。学僧の「学」と徒弟の「徒」で学徒って呼ぶと説明をすると、この時代の人も理解してくれた。
文官衆や重臣の子弟とかウチと交流がある家の人が中心だけど、伊勢守家の次男の
彼は史実では信安さんが長男の
後年には信忠さんの家臣になったらしいけど。
山内十郎さんは史実だと早く死んじゃう人なはず。よく知らないけど。
「楽しみね。やっと開校だわ」
「無理しないでいいから。近いし必要ならオレたちもくるし」
学校を任せる人材として尾張にやって来たのはアーシャになる。セミロングの黒髪にエキゾチックな雰囲気をした美人タイプの容姿をしている。年齢は二十才に設定した少しお姉さんタイプと言えばいいのかな。
アンドロイドのタイプは技能型。
本来は技術開発部所属で、原子力工学とか核融合関連が専門のはず。仕事がないんだろうなぁ。
他の教師や講師は一日数人で日替りになる。初日は沢彦さんだからたくさん集まったのかな?
元の世界のような四十人ほどが入れる教室では間に合わないので、体育館として造った建物で初日の講義が行われる。
まあ体育館というよりは広い剣道場みたいな建物だけどさ。
ああ、信秀さんと政秀さんは学校の箔付けにと公家の山科卿を呼ぼうとしたみたいだけど、すぐには来られないと知らせが来たらしい。
どうも幕府に所領の荘園を奪われたらしいが、取り返すつもりらしく畿内を離れられないんだとか。
エルに確認したら史実では根回しをして一旦は撤回させたらしいが、二年後にも朝廷から幕府に山科領の年貢納入阻止を禁じる文書が出たらしいので、しばらくゴタゴタするんじゃないかって言っていた。
朝廷や公家の荘園や利権が奪われるのは珍しくないけど、相変わらず幕府のやることはオレにはよく分からない。
まあオレたちも密貿易をしているし、人のこと批判できるほど立派なことはしてないけどさ。
学校もまずはやってみて、やり方とか教える内容を調整しないと。ただこの学校からいつか、史実にない偉人とか出たら嬉しいね。
◆◆
織田学校
現在も存続する学校としては日本最古の学校となる。
現在では幼稚部から大学部までの一貫教育を行う日本最大の私立学校として有名である。
なお織田大学医学部の附属病院は久遠総合病院になっていて、織田学校と久遠総合病院は開校以来の付き合いが続いている。
学校の理事には今も織田弾正忠家が関与していて、近年は名誉職に就くことが多い。
学校の設立には幾つかの説があり、織田信秀が主導したとも久遠一馬が主導したとも言われている。
開校当初の資料から足利学校を参考にしたことが分かっていて、当時の教育といえば寺社が行っていたものから宗教色を無くした教育を目指していたとある。
ただし歴代教師には宗教関係者も多く、完全に宗教を否定した教育をしていたわけではないようだ。
なお織田学校と久遠病院以降、全国の学校と病院は宮大工による建設が行われるようになった。
理由ははっきりしないが、宮大工の技術を高く評価した久遠家の意向だったと伝わっており、国の根幹を支える施設として寺社同様に宮大工が造り続けた。
耐震性に優れた宮大工の学校と病院は、災害列島である日本本土において数多の命を救った歴史がある。
初代学校長は天竺の方こと久遠アーシャ。日本近代教育の母として知られていて学校制度や教育制度の基礎をつくった人物である。
教師陣には女軍師として有名な久遠エルや医聖久遠ケティに、久遠流武術の開祖である久遠ジュリアなど、久遠一馬の妻たちの名前が多いことでも有名である。
現代において織田学校は世界最高峰の学校のひとつとなっている。
宗教や政治思想など長い歴史の中では価値観や評価の変わる教育もある中、それらは可能な限り客観的に長所と短所を合わせて研究し学ぶようにされていたため、時には批判されることも少なくなかった。
しかしその教育により多くの偉人や知識人を世に送り出していて、決して批判に屈することはなかった。
教育方針は久遠一馬が考えたとも久遠アーシャが考えたとも伝わっていて、久遠家が日本の近代教育の基礎を作ったのは確かなようである。
現在の織田大学の敷地内には初代教師陣の名が刻まれた石碑と大学の歴史資料館があり、久遠家が翻訳した外国の書籍や教科書に歴代の生徒が残した書や絵画など歴史的にも価値のあるものが多くある。
初代校舎の建物は今も現存していて、久遠病院と共に国宝として名古屋でも人気の観光地となっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます