第百五十五話・戦後処理
side:
「見事でございますな」
「さすがは尾張の虎。今や仏とも言われる男です。隙がありませぬな」
市江島が落ちた。清洲に続き、僅か一日だというのだから驚きだ。
しかも服部友貞と加担した僧を生かしたまま捕らえて、即こちらに送ってきたことには更に驚かされたわ。
難癖を付ける隙すら与えぬということか。まあ、今の織田に難癖を付ける気はないがな。
「上人。いかが致しましょう」
「厳しく詮議をしなさい」
願証寺の中にも服部友貞を理解する者もおろう。されどこれほど完敗してしまえば誰も庇えぬ。
先に服部を追い詰めたのは織田なのだが、武家のやることにいちいち反発しておってはきりがない。服部友貞のうつけが勝手に我らの名を使うて一揆だと騒がねば、まだ庇えたかもしれぬがな。
実のところ加賀では一揆を起こして国を乗っ取ったが、実情は武家と変わらぬ。力で押さえつけて領国を広げようとするのみ。
多少の体裁は整えても、実情は仏の道とは関わりもなく勝手に動くのだから、同じ一向宗の我らですら疑念を抱くほどだ。
尾張の織田と近江の六角。この両家が手を結べば我らとていかになるか分からぬことに、何故服部友貞は気付かぬのか理解に苦しむ。
織田の軍勢は尾張に戻り、これ以上は戦をする気はないようだ。されど敵将を自ら裁かず、こちらに無条件で寄越したのは、願証寺内の反織田を黙らせろと言うておるようなもの。
やらねば我らも反織田とみなされ、尾張からの荷が来なくなる。
他では造れぬ金色酒を筆頭に砂糖や鮭に昆布など、どれも引く手数多の物ばかり。絹と木綿の布すら良質な物はすべて尾張物だ。尾張にゆく船の税などで我らが潤っておるのも事実。
なにか条件を初めに付けてくればまだ交渉の余地もあるが、無条件で寄越されては交渉も出来ぬ。誠意を尽くした織田を我らが軽く扱ったなどとなれば、服部友貞の二の舞ではないか。
まあ悪く考え過ぎることでもないが。織田はまだ一向宗を敵視しておらぬ。加賀のような泥沼は御免だ。
「上人。ひとつ懸念がありまする。桑名が随分と服部友貞に加担したことを織田は重く見るでしょう。悪いことに大湊は戦の前に謝罪の使者を出しましたが、桑名は戦の後に出したようでございます」
「放っておきなさい。桑名のことは桑名が解決することです」
少し場がざわついた。上人は桑名を助けるおつもりがないのか。確かに織田の荷を得る利と桑名から得る利では、織田の荷を得る利のほうが大きいのであろうが。
それにしても桑名め。それほど戦に介入したくば、形だけでも織田にも声を掛けて双方に兵糧を売ろうとしたとすれば、まだ言い訳にはなったであろうに。
仲介するにしても時期を見ねばならぬな。我らに織田の怒りが向くのだけは避けねばならぬ。
「織田への詫びはいかがしましょう?」
「織田の意向を聞かねばなるまい」
さて、織田は願証寺にいかほどの詫びを求めるのやら。千貫は払わねばならぬか?
結局、織田は伊勢の銭と兵糧で戦をして、更に儲けるのやもしれぬ。信秀は今ごろ高笑いでもしておるのやもしれぬな。
side:久遠一馬
伊勢との取り引きは願証寺を最優先で再開した。これは信秀さんの命令で、願証寺と現時点で争う気がない証になるだろう。
「へぇ。宇治の抹茶か。さすがは大湊の商人。ウチで扱ってない品物を用意するね」
「殿。我々にも届いたのですが……」
「貰っておいていいよ。ただ、誰からなにを貰ったか目録だけは後で出して。まとめて返礼品を贈るから」
さすがは堺や博多に並ぶと言われる大湊の商人だ。ウチの家臣一同にも戦勝祝いの品が届いたらしい。多分織田家の家中にもばら蒔いてるんだろうな。
ウチの家臣の中には戸惑っている人も多いみたい。
大半が農家や土豪だったからな。戦から帰ったら大湊の商人から戦勝祝いの品物が届くなんて、あり得なかったらしいしね。
前にウチで結婚式をあげた金さんにも木綿の上物の反物が届いたらしく、お嫁さんが資清さんの奥さんに慌てて報告したみたい。いきなり知らない人から贈り物が届いて、喜ぶ前に怖かったそうな。
「やはり大湊の商人とは早期に和睦すべきでございますな」
「そうだね。大湊は敵に回したくはないし、商いを再開しないと誰も得しないからね」
大湊の商人の力は依然として強大だ。今の尾張とウチなら戦えるんだろうけど、戦ってもお互いに得しないんだよね。
天下の大湊の商人が正式に謝罪して、戦勝祝いの品をこの短期間に用意して配った。矢銭も近々持参すると明言したらしいし、成果としては十分だろう。
侮れない。場所的にも尾張と共存可能なのを理解しているんだろうね。
「市江島は若様の直轄地ですか」
「場所が場所だけに下手な者にはやれぬ。しかも貧しいのだ。誰も進んで欲しくはないからな」
懸案だった市江島は信長さんに与えられたらしい。実は佐治さんに与えるか悩んだらしいけど、要所だから弾正忠家で管理するみたいだね。多分ウチで何とかしろってことだろう。
戦後の論功行賞では佐治さんや森可成さんを筆頭にした武闘派には、景気よく褒美にと銭や茶器に硝子の盃などを配ったらしい。
最近の尾張だと銭で買えるものも増えてきているしね。銭の使い道はいろいろとある。
茶器と硝子の盃はウチが頼まれて納めた品物だ。茶器は津島では高値で取り引きされているし、硝子の盃はまだ非売品だから当然価値は高い。
「水軍は佐治殿の傘下にして、そのまま市江島に置きましょう。後は
「あの城は使えぬぞ」
「多少は鉄砲の備えもしますが、あまり銭をかけても駄目ですね。籠城に備えるよりは、水軍を増やして海で守る方がいいです。輪中の市江島で籠城するくらいなら一時放棄して津島か蟹江に造る城に下がった方がいいですから」
市江島は埋め立ててしまいたいが、この時代だと手間とお金が掛かりすぎる。知多半島と同じように漁業中心にして、細々と治水や埋め立てをするしかないだろう。
城はね。難しいところだ。対一向一揆を想定するなら相応の城が必要だけど、エルたちとも相談して平時に制海権が維持出来る規模でいいと考えている。
まあ余裕が出来たら大規模改修してもいいけど、城の改修も維持もタダではないからね。
防衛戦略は陸の城ではなく制海権の掌握と維持に変更したいから、あまり市江島にそぐわない規模の城を建てても意味がないからね。
籠城なんて信秀さんは好まないから理解してくれるはずだ。
ぶっちゃけ見せ掛けだけでもいいんだよね。荷ノ上城は。
◆◆
市江島の戦い
天文十七年六月、市江島を治める荷ノ上城の服部友貞が、久遠家の荷を運ぶ津島の商人の船を沈めた事を発端とする戦になる。
ただし服部友貞に関しては確かな資料がほとんどなく、織田家や久遠家との関係やそこに至るまでの経緯がはっきりしていない。
久遠家に関しては伊勢や志摩の沿岸を通らないことで伊勢志摩の水軍衆に通行料を払わなかったとの記録もあり、服部友貞に対しても同様の措置を取っていた可能性を指摘されている。
織田家との関係もそれ以前から悪かったようで、久遠家主導の商圏から外されていたと思われる。
元々、服部友貞の領有していた市江島は、尾張の河内または伊勢の長島と言われる尾張と伊勢の中間の場所にあった。
服部友貞自身は長島を中心に輪中を勢力圏にしていた一向宗の願証寺に従っていたようだが、久遠家と願証寺の関係が良好になる中で服部友貞は孤立していたと思われる。
細かい流れは不明ながら、服部家との戦は佐治水軍と久遠家による海戦にて始まり服部水軍を壊滅させたと記録にある。
その後、制海権を得た織田勢は服部友貞の荷ノ上城を落として市江島を得ている。
なおこの戦にて久遠家は南蛮船を二隻を用いたとある。詳しい運用方法は不明ながら、日本において最初にガレオン船を戦に用いたのがこの戦だと言われている。
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