第百三十五話・熱田祭り・その二

side:久遠一馬


 金平糖を配り始めてから他の品物も売れ始めた。もしかして買いにくかったのかな? ソースが焼ける香ばしい匂いがしてきたのも理由にありそうだけど。


「オオ! 炒麺しゃおめん!?」


 賑わいを見せた屋台の前に、見慣れぬ服を着てる中華系の顔をした男が片言の言葉で焼きそばに驚いている。まさか、明の人か?


「美味イアル!! 尾張恐ルベシネ! コノタレハ明ニモナイアル」


 男は焼きそばを買うと、その場でズルズルっとすするように食べ始めた。うん。食べっぷりがいい。


 そんなたどたどしい日本語を話す男の言葉に、あれよあれよと焼きそばが売れていく。そういえば誰かが、津島に明のジャンク船が来たって言っていたっけ。


「その方、明の者か?」


「ハイ。尾張ノ噂ヲ聞イテ商イニ来マシタ」


 信長さんはさっそく興味を持ったらしく男に声を掛けた。やはり明の商人かぁ。


「なにを持ってきたのだ?」


「今アル荷ハ漢方薬ガ少シト銅と銀ネ。絹ト硝石ハ堺デ売ッタヨ。銅ト銀ハソノ対価アル」


 どうやらこの商人は船で堺まで商いに来て、そのまま堺で尾張の噂を聞いて来てみたらしい。


 堺で明の商人に聞かれるほど噂が流れているのか。


「欲しいのはなんだ? やはり銀か?」


「銀ガ一番ネ。デモ尾張ニハ南蛮船ヲ持ツ者ガイルト聞イタネ。珍シイモノガアレバト期待シテ来テミタノヨ」


 信長さんは話をしながらチラリとこちらを見た。商いになるかと聞きたいのだろう。


 まあ、漢方薬なら買ってもいい。ただ品物次第だよね。確認しないと、質が悪ければ要らない。とはいえウチの船以外にも交易船が来るのは悪いことじゃないから、そう邪険にする気もないけど。


「その方、商いをしたくば那古野まで来るがいい」


「ソレハ助カル!」


 話を聞くだけでも無駄にはならないだろう。オレが頷くと信長さんは商人に那古野まで来るようにと命じた。


 でもこの商人、信長さんが尾張の領主の息子だと思っていないよね。そこそこいい商人の息子程度の認識で接している気がする。


 封建時代に領主の息子が、市井で露店をやるなんてあり得ないからなぁ。


 信長さんは史実において津島の祭りで女装して参加したなんて逸話もあるから、露店をやっても不思議じゃないけど。


 この時代の武士は体裁とか気にするからなぁ。


「ああ、竹千代殿。いらっしゃい。そちらの方は母上様で?」


於大おだいと申します」


「久遠一馬です。よろしければなにか召し上がりませんか? 竹千代殿と母上様ならば、お代は結構ですよ」


 商人に続いてやってきたのは、竹千代君とお母さんだ。お母さんは初めて見たけど若いなぁ。


 先日には贈り物をしているので、そのお礼を言われたりと少し世間話をする。竹千代君とお母さんは焼きそばとたこ焼きにキャラメルを買ってくれた。


 お代は要らないって言ったんだけどね。払ってくれた。その辺りは家の立場とかあるから素直に受け取ったけど。


 竹千代君、お母さんと一緒で嬉しそうだな。明らかに表情が柔らかくなった。


 どうも信長さんが気を利かせて、ふたりに熱田祭りに行くように言ったみたいだね。信長さんにお礼を言って去っていった。




side:於大の方


 那古野での暮らしにも慣れてきました。


 緒川の屋敷の者たちが来てくれたこともあり、暮らしに困ることもなく日々を送ることが出来ております。


 正直なところ織田家での竹千代の扱いは悪くありません。以前はもて余していたようですが、三郎様の近習になってからは良くなったようです。


 先日には家中の皆様からは贈り物まで頂き、本当にありがたい限りです。


 竹千代は近習ではありますが、日課は学問や武芸を習うほうが多いようです。三郎様の師でもある沢彦和尚様や、久遠様のもとで学問に励み武芸の修練を積んでいるとのこと。


 兄の水野家や松平家と比較しても決して劣っていないでしょう。むしろ優れているのかもしれません。


 武士の役目は領地を守り民を食わせること。竹千代は織田でそう教わったそうです。


 理想は確かにその通りでしょう。ですがそれを実行出来る武士は多くありません。そもそも食べる物が足りないのですから。


 足りないものを領民に与えるには奪うしかありません。少なくとも織田以外では。


 織田は戦をせずに食べる物を得る道を選んだ。それは兄が言っていた言葉です。


 それは氏素性が分からず、恐ろしいとすら囁かれている久遠様のおかげだと聞きます。織田の殿はそんな久遠様を当たり前のように信じて使っている。


 兄が織田に臣従を決断した理由のひとつでもあります。氏素性を問わず才ある者を召し抱えて重用する。なかなか出来ることではないと申しておりました。


「竹千代。久遠様は随分とお若いのですね」


「はい。家臣や郎党まで大切にしておられる、素晴らしいお方です」


 竹千代と熱田祭りに行き、初めて久遠様や噂の南蛮人と言われる奥方様にお会いしました。


 あまり苦労をされていないような、そんなお方に見えましたが、噂以上に若く見えました。


 南蛮の間者だとの噂や南蛮の王の末裔だという噂など、様々な噂があるようですが、直接見るとそれらの話とは噛み合わない印象があります。


 他にも民の中には仏の化身である織田の殿が、仏の世界より呼んだ使いではと話す者もおるとか。


 女の私には分かりません。しかし三郎様と共に民と一緒に祭りに参加する姿に悪い印象は見られませんでした。


 戦うばかりが武士ではない。織田はこれからも変わるのやもしれません。


「竹千代。三郎様や久遠様のような立派な武士となるのですよ」


「はい! 母上」


 竹千代がいつか元服し武士となる時。三郎様や久遠様のように民に慕われる武士になってほしい。


 母としてそう願わざるを得ませんでした。




◆◆

 天文十七年。夏。『織田統一記』には信長と一馬が熱田祭りの市に参加したことが記されている。


 明や南蛮渡来の料理や菓子を領民に売り、金平糖を領民に配ったとある。


 当時の記録と値段から計算すると完全な赤字で、いわゆる領民への施しのようなものだったのだろうと推測される。


 なおこの際に信長たちが売った料理には、焼きそばやお好み焼きやたこ焼きがあり、同時代から存在する料亭八屋の記録などを見ても、現代の味とかなり近かったようだ。


 焼きそばなどのソースは当時は久遠家の秘伝のたれと言われていたが、現代のケティソースの原型になる。


 ヨーロッパ圏では類似するウスターソースがありそのまま呼ばれているが、日本圏及び第三世界ではいつからかケティソースという名になっている。


 正確な発明者や命名者は不明だが、医聖である久遠ケティが料理も得意だったことからその名が浸透した模様。


 尾張者は京の都の将軍様やお公家様も食べたことのない南蛮料理を先に食べたのだと、後々まで語り継いでいる。


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