第百二十七話・雨の日の訓練と千代女

side:久遠一馬


 梅雨の雨が降りしきる中、清洲郊外にはおよそ七百の兵が集まっている。それぞれの兵の手には槍が握られていて、武士の合図に合わせて槍が振るわれた。


「雨の中、頑張りますね」


 オレは傘をさしながらその様子を見ている。彼らは新たに召し抱えられた清洲と那古野の警備兵の人たちだ。名目は市中の警備だけど、訓練は槍や弓に鉄砲もやる。


 彼らの大半は大和守家の旧領や、上四郡から来た若者たちになる。貧しい農家の二男や三男以降が多く、とりあえず食うには困らない警備兵になるために集まったみたい。


「銭雇いの兵が使えるならば、それに越したことはありませぬが。大丈夫なのでございましょうか」


「大丈夫だよ」


 この日は太田さんと清洲からの帰り道に、彼らの訓練を見掛けた。太田さんを含めて大半の武士は、銭雇いの兵はすぐに逃げて使えないと思っている。


 領内の警備をそんな奴らに任せていいのかと疑問の声も上がったけど、信秀さんは試してみればよいと導入した。


「忍びの件もそうだけどね。ちゃんと暮らしを守ってやれば、おかしなことにはならないよ。怪我をしても文官とか、他の仕事を世話する予定だし」


「奪うのではなく与えることでございますか。それが出来るのが織田の強みですな」


「与えた分はちゃんと働いてもらえばいいんだ」


 訓練は毎日あって基本的には信秀さんの家臣がやっているけど、ジュリアとセレスも何日かに一回は指導しているみたい。


 以前から信長さんの悪友やウチの家臣たちにも指導しているから、だいぶ戦国時代の指導に慣れたと言っていたね。大変なのは規律を守らせることだと言うんだから、戦国時代って違うんだろう。


 ふたりは武術よりは戦術を教えているらしく、街中や建物の中での集団での捕縛術なんかを教えているようだ。その手の知識や経験が武士にはないらしい。


 武士は個人の武力で解決しちゃうからな。


 ちなみに彼らには読み書きと計算も教えているし、ケティによる衛生指導や応急手当も教えている。将来的には適性に合わせて配置転換する計画だからね。


「殿。つけられております」


「いつも通りでいいよ。駄目そうなら放置で」


「ハッ」


 しばし警備兵の訓練を見物して那古野に戻ることにしたけど、護衛から最近よくある報告があった。ウチの身辺を真面目に調べている人たちがいるんだよね。


 オレやエルたちの護衛には滝川家の忍びもいるから、尾行されればすぐに分かる。最近は望月家の人も加わったけどね。


 忍びのみんなには無理に捕まえないように言ってある。 オレを尾行したところで得られる情報は限られているしね。もちろん工業村と牧場は、中に入られないように頑張ってもらっているが。


 危ないのは工業村の中にある建設現場で働く人足にんそくなんだよね。あそこは鉄を精錬する反射炉とか職人の慰安施設の遊女屋とかを、今も建築しているからさ。


「今川家に斎藤家と六角家でございますか。知りたいのは金色酒と金色砲でございましょうな」


「調べたとこで無駄なんだけどね」


 金の成る木である金色酒と、清洲を瞬く間に落とした金色砲をみんな知りたいのだろう。


 金色酒はなぁ。秘密がバレても蜂蜜を手に入れないと作れないし、金色砲は本物の南蛮人に頼めば買えるが、多分高すぎて誰もまともに運用は出来ないだろう。


「連中の目がウチに向いている分には大丈夫だろうね」


「自ら囮になりまするか」


「織田の内情を探られるよりはいいよ。あちこち工作されると厄介だし」


 実はウチは意図的に囮になっているんだよね。エルたちもいるし忍び衆もいるから、ウチならリスク管理が出来る。けど織田家はまだそこまでうまくやれていない。


 他の織田家家臣から、あれこれと情報が漏れるよりはいい。信秀さんの暗殺とか企まれても困るし。


 あんまり忍びを捕まえないのも囮でもあるからなんだよね。




side:望月千代女


 やはり望月家の者たちはしばらく戸惑っていましたわね。報酬がよく暮らしが楽になるから尾張に来たのであって、大半の者はそれ以上のことは望んでいなかったのですから当然ですが。


 そもそも久遠家では、素破・乱破と呼ぶのは禁じられております。私がそれを聞いたのはついこの間ですが。


 殿はあまり細かいことを言うお方ではないようですが、以前酒宴の席で誰かが素破と口にした時に二度と言わないようにと命じられたのだとか。


 他にも農民の子など、生まれを軽んじたり愚弄するような言い方は駄目なようです。


 そのおかげか望月家の者たちは新参者にもかかわらず、温かく迎えていただきました。八郎様と八郎様の奥方様は特に望月家の者たちを気遣ってくれたようです。


 望月家に与えられた禄は三百貫。新参者の素破には破格の禄でしょう。


 しかし望月家の者はまだ気付いていないのでしょうね。久遠家では俗に言うところの禄とは意味が違うということに。働けばそれに応じた禄というか褒美が頂けます。私ばかりか侍女のせつですら頂いているのですから。


 それに家臣の郎党ですら、米や塩や味噌に酒や魚や野菜など、すべて久遠家から頂けます。私など着物もエル様から頂きました。 望月家が恥をかかぬようにと、御気遣いをしていただいたようでござます。


 ただ、禄や褒美はなにに使うのでしょう? 常ならば禄の中で人を召し抱え暮らすはずなのですが。


 もちろん殿方は武具や馬を買っているようですが、私が武具や馬を買うのはおかしいことです。かといって無駄遣いなど出来ません。




「凄いですね。姫様」


「ええ……」


 父上はすでに久遠家のために働いております。滝川家と望月家で久遠家の忍びを作り上げるとのこと。八郎様もやっておられたようですが、明らかに手が足りていなかったのは私にも分かりました。


 ただし私たちも、まだまだ久遠家のことを知らなかったようです。


「なかなかの腕前だね。でも連携が甘いよ。個人じゃなく複数での戦いを修行しな」


「はっ」


 望月家でも腕利きの者たちが、ジュリア様ひとりに軽くあしらわれております。他のお方様と違いあまり働いておられぬようでしたが、どうやらジュリア様は武芸を教えに、清洲や那古野のお城に行くことが多いんだとか。


 ジュリア様に護衛は必要なのでしょうか?


「これとこれを混ぜるといい」


「なるほど」


 それと我が望月家は代々、薬事も秘伝の薬があり生業としていました。ですが久遠家には南蛮や明の医術を修めているケティ様がおられます。


 滝川家の者数名と共に、望月家の者もケティ様の医術を学ぶことになったようです。


 望月家の皆は、かつてとは別人のように生き生きとして働き学び修練をしております。それは本当に喜ばしいことです。


 私も負けてられませんわ!




「くーん」


「クンクン」


 あら、また来ましたわね。久遠家で一番自由な者たちが。


 ロボちゃんとブランカちゃんは近頃は仲良くなったようで、屋敷の中を一緒に走り回っております。お二方は私の部屋にもよく来て休憩していくのです。


 ケティ様はまーきんぐをしているのだとおっしゃっていましたが、どういう意味なのか聞けませんでした。


 遊んでほしいのでしょうか。私の膝の上に乗ってしまいましたわ。


 仕事があるので、少しですからね?



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