第百十三話・その頃……

side:???


 湊には堺の名だたる商家の者が集まっておるわ。伊勢から来た船にアレが積んであると知られたからであろうな。


 堺でもなかなか御目にかかれない。尾張産の金色酒が少量ながら入るはず。


 尾張では町の酒場でも飲めると聞くが、畿内ではどこぞの守護ですら手に入らぬと嘆いたとか。尾張の織田様が朝廷に献上した以外は、伊勢の商人が少量を運んでくるのみ。


 本来ならば町の酒場に出すほどあるならば、畿内に真っ先に売りに来るもんなんだがな。嫌われたもんだ。


「金色酒を売ってくれ!」


「無理ですな。あれはすべてお譲りする先が決まっております」


 まあ、今に始まったことじゃない。明との貿易は博多に取られたし、明の密貿易船も西国に先に行ってしまい、堺に来る数は多くない。


 尾張の織田様は畿内への野心がない。前に京の都に上がるために尾張から来た、平手様が言っておったことだ。


 細川様や三好様を意識した言葉なんだろうが、裏を返せば畿内に関わっても旨味がないと言われたのと同じことだ。


 特に京の都に上がるには尾張からだと陸路もある。船が沈むことを考えれば陸路のほうがいい。


 尾張の南蛮船は、織田様に臣従した久遠様の船だという話。いずこのお人かは知らんが、明や南蛮と直接貿易をしておるのは確かか。


 自前で貿易が出来るのなら、苦労して堺に来る必要はないからな。現に伊勢より東の者が買いに来るのは、織田様が売らん鉄砲や硝石ばかりだ。


 伊勢の商人は逆に西国から流れてきた銀や銅を、尾張に持っていくほどだ。英賀の湊もあるし、このままだと堺は廃れてしまうことになる。


 なんとかならんものか。




side:織田信安


「たわけが。何故夜討ちされると思わなんだ?」


「申し訳ありませぬ」


 砦を造らせておったところ、不意を突かれて夜討ちされてしまうとは。そのようなことも考えが及ばぬのか?


 僅か数十騎での奇襲。結果はたいした被害はない。守衛の兵を少しやられて火をかけられたが、大きく燃える前に消し止めたのだからな。


 とはいえ、いいようにやられるばかりでは士気に関わるわ。


「以後、同じことがないようにしろ」


「はっ」


 家中の反応が良うない。長年仕える重臣はともかく、この戦に味方の士気はあまり高くない。


 不満なのだろう。弾正忠家の家臣は羽振りがいいと聞く。あの金色酒も弾正忠家の領内では、安く飲めるらしい。


 弾正忠家との関わりは悪うない。臣従すると誓い、家中の懸念が片付くまで待ってほしいと頼んだら、承諾してくれた。


 されど愚か者の侵入を理由に兵を置いた領境には、未だに兵が残っており砦を建て始めておる。まあ当然の対応なのは理解する。謀反人どもは伊勢守家が弾正忠家へ臣従することを拒絶したのだからな。


 油断して攻められれば恥をかくし、わしとしても伊勢守家から離脱した家臣が弾正忠家を攻めて、責めを負わされるのは困るのでいいのだが。


 だが猪之助いのすけが言うには、品物の値がまったく違うらしい。こちらの領内の商人が、あらゆる品物の買い占めをしておるのだという。良くあることなのだが。


 民や家臣は高い物の値に不満を持っておるが、弾正忠家は領境を通る人の出入りを厳しくしておるからな。


 聞けば弾正忠殿の領内も品物の値が上がったが、向こうはすぐに落ちたらしい。戦をする当事者ではないこともあるが、南蛮船を持つ久遠とやらが品物を大量に運ぶと噂になり、一気に下がったとか。


 この件でも弾正忠殿のおかげだと清洲では評判なのだから、わしが陰でなんと言われておるかが分かるようだ。




「猪之助。品物の値を下げられぬか?」


 やはり懸念は領内の品物の値だ。戦支度も進まぬし、家中ばかりか民からも不満の声が上がる。


 一旦すべての者を下がらせ、猪之助だけを再び呼ぶ。重臣たちは商人との繋がりがある者も多いからな。迂闊なことは言えぬ。自らの命を懸けて戦を止めるように進言した、猪之助ならば信じることが出来る。


「某が商人に働き掛けましょう。多少は下がるかと思いまする」


「多少か」


「商人も商いでございますので」


「弾正忠家の領内では、すぐに元に戻ったのであろう?」


「はっ。お恐れながら今の弾正忠家に逆らえる商人はおりませぬ。弾正忠家に睨まれれば、久遠家からの荷が止められますので」


「義兄殿は商人をも、それほど従えておるというのか?」


「商人ばかりではありませぬ。寺社や伊勢の商人に水軍衆も弾正忠家との対立を避けております。久遠家の荷と南蛮船はそれほどの価値と脅威になります故」


「戦わずして正解か」


 噂以上というべきか。そう考えれば義兄殿はまだわしに温情を掛けておるのだろう。戦で潰したほうが早く後腐れがないのは、わしにも分かることだわ。


「ひとつ手があります。弾正忠様に品物を売っていただくように頼むことです。さすれば品物の値が下がります。商人らも弾正忠家の介入を気にしておるでしょう」


「頼んで売ってくれるものか? 下手をすれば敵になるやもしれぬ当家に」


「売ってくれるでしょう。それだけ臣従する際に当家の立場が弱くなりまするが」


「それは今更であろう? 長々と謀反人を討伐も出来ずに、領内に不満を抱えたままにするよりは、いいのではないか?」


「はっ。そういう見方も出来まする」


「もうよい、素直に頭を下げよう。その方は弾正忠家に行き頼んで参れ。それと遅くなって済まぬとな。わしも書状を書く。従うと決めたのだ。手をこまねいて無能と思われるよりはいい」


「畏まりましてございます」


 恐ろしいお人だ。元々わしなどが敵う相手でないのは、理解しておったつもりだったがな。戦をする前から、これほど恐ろしいとは思わなんだ。


 伊勢守家などいつでも潰せるということか。


 謀反人の鎮圧を急がねばならん。伊勢守家の混乱に、美濃斎藤が動けば大変なことになる。


 戦で勝つだけでは、駄目なのだな。



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