第九十六話・敦盛の意味するところ

side:久遠一馬


 元の世界の花見とは言うが、やはり宴会になるのはこの時代も変わらないみたいだね。


 花を見ながら和歌をとか言われても、困るからいいんだけどさ。


 おっ、この味噌田楽、美味しいな。 味噌を砂糖とか味醂で味付けしたっぽい。信秀さんのところの料理人。ウチに料理を教わりに何回も来ていたしね。ウチの味付けを習得したのかも。


 この時代の料理って塩分高めで塩辛いんだけど、出汁とか砂糖にみりんを加えると塩分控え目にしても大丈夫みたい。


 信長さんも、史実だと塩辛い味付けが好きだって言われているけど。ウチでは塩分控え目の料理を、普通に美味しいって食べているしね。甘い物好きのほうが問題かも。


「あれは敦盛ですか?」


「ああ。そういえばそなた、そっちはさっぱりであったな」


「元々しがない商人ですからね」


 宴会も進むと誰か知らん人が敦盛を謡いながら舞い始めた。


 史実の織田信長が好んだとされるこの敦盛。どうやらこの時代の信長さんも好きらしい。


 内容が源平合戦の頃の物語だと知ったのは、こっちに来てからだったな。元の世界でも田舎者でインドア派だったオレは、能楽や歌舞伎どころか舞台やコンサートも見たことがない。


 地元の祭でよく知らない演歌歌手が歌っているのは、何度か通りかかる程度に聞いたことはあるが。


 元の世界では敦盛とは信長さんが好み、謡ったとされる有名な一節以外は、ほとんど誰も知らない歴史の中の遺産でしかない。


 内容が哀しく世をはかなむものであるのは、少し意外だった。戦国時代とはいえ必ずしも、裏切り裏切られる世を望んでるわけではないのだろう。


 いつの間にか賑やかな宴会は、静かな敦盛観賞に変化している。


 僅かな期間で散りゆく桜の前で見る敦盛は、命が短くいつ死ぬか分からぬ武士の心を揺さぶるのかもしれない。




side:織田信秀


 公家の真似事など興味はなかったが、こうして桜を見ながら酒を飲むのも悪くはないな。


 もっとも花見の狙いは三郎や一馬と、家中の者たちが話す場を設けることだ。そちらも上手くいけばいいが。


 以前から懸念しておったことではあるが、三郎や一馬の考えることをほとんど誰も理解しておらぬことは深刻だ。皮肉なことだが一馬が目立てば目立つほど、周りは一馬を理解出来なくなる。


 それもそうだろう。一馬は狭い領地など求めておらぬ。自らの領地を守り、あわよくば奪い増やすことしか考えぬ武士に、理解出来るはずはないのだ。


 力があればいい。わしも少し前まではそう考えておった。されど、それではいつか足をすくわれるのではと、最近になり思うようになった。


 織田弾正忠家は最早、尾張の一勢力ではない。この先織田弾正忠家が更に大きくなるには、家中を纏めることも必要であろう。


 そのためには織田弾正忠家は、もっと家中で集まる機会を設けることが必要だ。わしの力を家中に示して、その意思を理解させる。


 そして三郎と一馬は、もっと家中に己の考えを理解させる必要がある。そう容易いことではないが、やらねばなるまい。


 何事も始める前までが重要なのだ。尾張統一とその先の戦が始まる前に、家中をよりひとつにせねばならぬ。




side:平手政秀


「主上はあの鏡にことの外、御心を動かされたぞ。公卿衆も誰もが見たことがないと騒ぎしほどよ」


「それはようございました」


「なにか望みはあるか?」


「特にございませぬ。朝廷と主上に於かれましては以前にも格別の御配慮を頂きました故に」


 翌日、さっそく山科やましな卿は内裏だいりに参内して献上品を主上に献上してくれた。


 これで此度の役目も無事に終えることが出来たわい。特に懸念があるとは思わなんだが、安堵するの。


「うむ。そうであるか。ところであれはまだ手に入るのか?」


「必ずとは申せませぬが、恐らくは」


「ちと面白き噂を聞いた。織田殿は南蛮人を臣下としたと。まことか?」


「その噂は少し違いまする。正確には南蛮船を持つ者を、臣下としております。確かにその者の臣下や妻は南蛮人がおりますが、家臣としたのは、日ノ本から近い離島の商人でございます」


 一仕事終えても安堵しておられぬ。やはり一馬殿の噂は京の都にも届いておったとは。良からぬ噂になる前に、今回の上京を急いで良かった。


「なるほど。なればこそ南蛮の珍しき品が手に入ると」


「はっ」


「騒ぎし輩が出でそうな話ではあるの」


「良しなにお願い致しまする」


「公方は今は近江におる。如何するつもりじゃ?」


「酒と食べ物を少々贈ろうかと考えておりまする。某は生憎と行けませぬが」


「それが良かろう。程々が一番であるからの」


 どうやら山科卿は、こちらの上京の意図を理解してくれたようだ。 今のところ畿内に関わる気はないので、そっとしておいて欲しいのが一番の願いじゃからの。


 近江に逃げておる公方様には個別に酒と食べ物を、少しばかり贈る手筈を整えておる。当初は要らぬかとも思うたが、堺で金色酒が話題となっておる以上は、無視するわけにもいくまい。


「ここだけの話じゃがの。管領の細川には気を付けよ。あの者のせいで都が荒れたと言うても過言ではない」


「はっ、肝に銘じておきまする」


「畿内に参らぬ限りは、そう巻き込まれはせぬと思うがの。それにしても尾張は争いも少ないようで羨ましいの」


「よろしければ、またいつでもお越しくだされ。主も心待ちにしておりまする」


 最後に山科卿が小声で口にしたのは、管領の細川殿の名であった。


 事実上の京の都の支配者にて、ここしばらくの畿内の争いに必ずと言っていいほど関わっておる御方だ。


 わしも会うたことはないが、あまり誉められた御方ではないようじゃの。此度もわざわざ会わんでいいように、本人が京の都におらぬ時に来たのだが。


 エル殿が山科卿と同じく、細川殿のことを気にしておったから念のためであったが、京の都に来て理解したわ。


 ここは乱世の中心なのだ。やはり朝廷との誼を強めるべきであろうな。




◆◆

 久遠鏡。

 現在ある硝子の鏡を昔は久遠鏡と呼んでいた。由来は天文十七年に織田家が硝子の鏡を朝廷に献上したことによる。

 当時はまだ久遠の名は都では知られていなかったが、後に久遠の名が知れ渡るとそう呼ばれることになったという。

 当時は銅鏡を主に使っていた時代であり、硝子の鏡が映す綺麗さに誰もが驚いたとも伝わる。

 この時、織田家により献上された鏡の一枚が今も皇室所有の宝物のひとつとして残っている。








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